上杉謙信の名言からの学び。[覚悟を決める]

上杉謙信 画像偉人の名言

心に欲なき時は義理を行う

戦国時代を代表する武将、上杉謙信

数いる戦国武将の中でも圧倒的に強く、人数的に劣勢な状況でさえ数々の勝利をおさめました。また強いだけでなく、義理人情にあつい人物としても有名でした。

今日はそんな上杉謙信の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「覚悟を決める」について考察します。

上杉謙信とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

  • 15歳で初陣をかざる
  • 22歳で越後の国を統一
  • 語り継がれる武田信玄との関係
  • 晩年は織田信長と合戦

15歳で初陣をかざる

上杉謙信は1530年に越後国(現在の新潟県)の戦国大名、長尾為景の四男として生まれます。当時の越後は内乱が激しく、日々戦をしているような時代でした。

抗争をおさめることができず、1536年に父は隠居し、兄の晴景が家督をつぎ当主となりました。その間、謙信は寺に入門し、禅を学びます。その後父親が亡くなり、他の武将が勢いを増していきました。

また兄の晴景に国を統治する能力がなく、豪族による謀反が起こります。しかしそこに立ちはだかったのが謙信で、15歳ながらこの謀反を鎮圧することに成功します。この戦が上杉謙信の初陣と言われています。

22歳で越後の国を統一

そんな武功をあげる謙信の働きに、かねてから晴景に不満を持っていた人々は晴景を退陣させ謙信を当主にしようと動きだします。そして結局、晴景は謙信に家督を譲り、隠退することとなりました。その時、謙信は19歳でした。

しかしその後、謙信の家督相続に不満を持った長尾政景らの武将たちから反乱が起こります。謙信はこれをなんとか鎮圧。越後の内乱はようやく落ち着きをみせ、謙信は22歳で越後統一を果たしました。

その同時期に始まったのが武田信玄との有名な戦「川中島の戦い」です。1553年に第一回の合戦が始まってからなんと12年間、5回に及ぶ大戦を繰り広げます。第五回の合戦では2か月以上にわたりにらみ合いの膠着状態が続き、お互いに撤退することでこの戦いは終わったとされています。

語り継がれる武田信玄との関係

敵に塩を送る」という言葉がありますが、これはこの上杉謙信と武田信玄が由来になっていると言われており、信玄が塩不足により苦しんでいた時、謙信は塩を送り、敵を苦境から救ったとされています。

また何度も謀反や反乱を起こした武将たちも降伏さえすれば命を奪おうとまではしませんでした。そんなエピソードにもあるように人情味に溢れた人物だったと言われています。

信玄との戦いが長期戦になる中で、謙信は次第に毘沙門天堂にこもるようになり信仰の世界に身を置くようになっていきます。一時は出家を志し、高野山に向かおうとしますが、家臣の必死の説得によりそれを思いとどまっています。

晩年は織田信長と合戦

晩年は関東へ出陣し、金山城、騎西城、羽生城などを次々と攻略していきました。また当初は同盟関係にあった織田信長ですが、信長が天下統一に勢いづくことで、次第に対立するようになります。

それにより長年争っていた武田や北条家と和睦し、反信長体制をとることになり、その後手取川の戦いで織田信長と戦うことになります。そこで織田軍は死者1000人以上を出し大敗したとされています。

どんどんと陣地を広げる上杉軍。謙信は次なる大遠征を計画していましたが、1577年その準備中に倒れ、脳溢血により亡くなってしまいます。享年49歳でした。

上杉謙信の名言

上杉謙信 イラスト

人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。

生を必するものは死し、死を必するものは生く。

我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。

人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならぬ。

大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。

戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きばかりで知行を多く与え、人の長としてはならない。

我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。

言葉から見た、上杉謙信てこんな人!

自分の中の正しい義を貫いた人

人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。」という上杉謙信の名言にもあるように、人として、武士として、またはリーダーとしてどうあるべきなのかが、謙信の中には強く定まっているのを、彼の言葉たちから感じました。

たとえ敵だとしても非情に扱うのではなく、その中にも自分の義を見出す。幾度となく裏切りにあいながらも慈悲深い心を持っていました

自分の中の正しい義を貫いた人。それが上杉謙信でした。

上杉謙信の名言からの学び。[覚悟を決める]

死ぬ覚悟があれば何でもできる

今回の上杉謙信の名言で印象的だったのが、「生を必するものは死し、死を必するものは生く。」という言葉でした。

いっけん矛盾のように感じる言葉でありますが、よく考えてみると、とても深く、また同時に強く心に残りました。

この言葉は物事を成す時の「覚悟」を指しています。死ぬ覚悟をできている人は、総じて大事を成し遂げられる。今まで紹介してきた偉人たちも死を感じるようなどん底を経験していることも珍しくはありませんでした。

彼らはそんな状況でも覚悟を持って挑戦し続け、大きな偉業を成し遂げたのでした。上杉謙信も戦国時代という乱世を生きながら、日々死を覚悟して生きてきたのでしょう。

その強い覚悟が自身にに力を与え生きる活力に変えていくのかもしれません。死のうとするものは生きる。死ぬ覚悟があれば何でもできる。

厳しい戦国の世を生きた上杉謙信の言葉からそれを学びました。

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