今回の本の名言で取り上げたのはオーストリアの心理学者ヴィクトール・フランクルの世界的ベストセラー本「夜と霧」です。
ヴィクトール・フランクルはユダヤ人として、あのナチスのホロコースト(大虐殺)を経験、最大の被害者を出したと言われるポーランドのアウシュヴィッツ収容所をはじめ、チェコやドイツの収容所を転々とし、約3年もの過酷な期間を生き抜きました。
この「夜と霧」はフランクルが自ら過酷な収容所を経験した体験記としてだけではなく、ひとりの心理学者、精神科医として収容所で生きる人々の心の変化や在り方を客観的に描いています。
1946年に出版され、世界的名著として知られているこの本は、英語版だけでも900万部を売り上げ、日本語を含め17カ国語に翻訳されています。
人類の負の歴史。想像を絶する環境で生き抜いたフランクルの体験と観察、分析は、人間とは?生きることとは?という根源的な問いについて心深く考えさせてくれる。そんな一冊です。
著者ヴィクトール・フランクルの紹介
ヴィクトール・フランクルは1905年にオーストリアのウィーンで生まれます。
幼少期から勉学に優れ、3歳ですでに将来は医者になろうと考えていました。そして学生の時に有名な心理学者、フロイトと文通を交わし、知見を深めていきます。
また同じく有名な心理学者アルフレッド・アドラーが創設した個人心理学会のメンバーとなります。しかし次第にフロイトやアドラーの思想に疑問を感じるようになったフランクルは独自の道を進んでいきます。
24歳でうつ病の人のための相談所を作り、ヨーロッパの各都市で講演会も行うなど、充実した日々をおくりますが、31歳の時にヒトラー率いるナチスドイツの猛威から、家族共に収容所へ送られることになります。
そして約3年間、アウシュヴィッツ収容所などで地獄のような収容生活を生き延び、再び医者として働きはじめます。1946年にはその体験を綴った「夜と霧」を出版すると、半世紀を過ぎや現代でも読み継がれている世界的な名著となりました。
その後もフランクルは講演活動などを通して、自らの体験を世界中に伝ます。そして1997年、92歳でその激動の生涯を終えることとなりました。
ヴィクトール・フランクルについてはこちらに詳しく書いています↓
夜と霧のあらすじ
夜と霧は第1~3段階と称する3つの章に大きく分けられています。
第1段階は収容までの期間や、アウシュヴィッツでの選別の体験、収容初期の人々の反応などが書かれています。
そして第2段階は収容の生活の詳細です。この本の大部分がこの章に比重が置かれており、様々な辛い体験と、それに対面する人々の心理が綴られています。
第3段階では収容所からの解放について述べられています。印象的なのが、自由の身になっても家族を失い、せっかくの解放も孤独の中に陥り、幸せを感じることができないというものでした。フランクル自身も彼以外の家族は全員収容所で亡くなり、フランクルだけが生還しました。
この本の特筆ところは、フランクルの精神分析医としての視点です。収容された人々の心を知ることができ、それを通してナチス収容所の悲惨さをより深く感じれ、「人として生きること」を考えさせてくれます。
夜と霧の名言
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰を つうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。
人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、気体は均一にいきわたる。それと同じように、苦悩は大きくても小さくても人間の魂に、人間の意識にいきわたる。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。
人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。
被収容者は、生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。あらゆる精神的な問題は影をひそめ、あらゆる高次の関心は引っこんだ。文化の冬眠が収容所を支配した。
わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙す ることもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
旧版には、「ユダヤ」という言葉が一度も使われていないのだ。「ユダヤ人」も「ユダヤ教」 も、ただの一度も出てこない。かつて何度か読んだときには、このような重大なことにまったく気づかなかった。
まずなにより、フランクルはこの記録に普遍性を持たせたかったから、そうしたのだろう。一民族の悲劇ではなく、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかったのだろう。さらにフ ランクルは、ナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく、ジプシー (ロマ)、同性愛者、社会主義 者といったさまざまな人びとが入れられていた、ということを踏まえていたのではないだろうか。 このことに気づいたときは、思わず姿勢を正したくなるような厳粛な衝撃を受けた。
夜と霧の名言|ヴィクトール・フランクルの本の名言からの学び
人生をどう生きるかは最期まで自分が決める
ホロコースト最大の収容所とされたアウシュヴィッツをはじめ、ナチスが権威を持っていた時代はヨーロッパ各地に収容所が置かれていました。
ホロコーストで犠牲になった人数は600万人と言われていますが、この数字も不確かなものとされ、本来はもっと多かったのではという意見もたくさんあります。罪のない人々、人を人として扱わないようなあまりに残忍な政策が半世紀前の世界にありました。
この本の中でとても印象的なエピソードがありました。収容されていた若い女性の話です。
過酷という言葉では決して足りない悲惨な状況下、彼女は自分が数日のうちに死ぬことを悟っていたにもかかわらず、実に晴れやかな表情でいたと言います。
そして「自分の運命に感謝している」とフランクルに伝え。最期の日を迎えました。
育った家、受けた教育、環境が人を育て、人を変えることは往々にしてあるでしょう。しかし、そこから何を感じ、どう生きるかを決めるのはどこまでも人間の自由意志によるものです。
様々なものが奪われた辛苦の環境でも、それだけは奪うことはできなかった。それは、たとえどんな状況に置かれても人は自分の意思で自分の人生を決めることができることを意味しています。
人生が終わる最期まで生きる意味や価値は自分が持ち、決断するものであると、今回の夜と霧を読んで感じ、学ぶことができました。