[徳川家康の名言からの学び]運を待つ生き方

徳川家康 画像 偉人の言葉

鳴かぬなら

鳴くまでまとう

ホトトギス

織田信長豊臣秀吉と同じホトトギスを題材に詠んだ徳川家康の有名な言葉

この句は戦国の時代を終わらせ、長い江戸時代の礎を築いた徳川家康という人物を

とてもよく表していると感じます。

彼を一言で表すと自分が天下人になる順番を「待った」武将でした。

今日はそんな徳川家康が残した言葉と、そこからの学びを書いていきます。

徳川家康てどんな人?

  • 幼少期からの長い人質生活
  • 武田信玄との戦いに大敗
  • おじいさんの老体で天下統一
  • 乱世の終結。200年を超える江戸時代を築く
幼少期からの長い人質生活

家康は若干6歳の時、家柄の事情により忠誠の証として今川家に人質としていくことになります。

しかし、今川家に向かう道中で何と護衛役が織田家に家康を売ってしまいます。

そこで2年間織田家に人質として生きながら、

その後、人質交換の名目でさらに今川家に引き取られ、

19歳まで人質として生きることになります。

武田信玄との戦いに大敗

しかし織田信長今川義元を桶狭間の戦いで打ち倒すことで、人質人生は終わりを迎えます

信長と同盟を結び、城を築いた家康は反信長の武田信玄と戦いますが、

戦巧者だった信玄に大敗し、命かながら生き延びました。

武田信玄は家康なんぞいつでも倒せると思い、逃げる家康を追いませんでした。

家康はこの大敗を胸に刻むために肖像画まで残したと言われています。

おじいさんの老体で天下統一

そこから織田信長、豊臣秀吉と仕えていた人物が天下に近づくにつれ、

家康も力をつけていきました。

そして豊臣秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いに勝利した家康は

晴れて日本のトップの座に君臨することになります。

征夷大将軍となり、あの江戸幕府を開いたときには61歳

諸説ありますが江戸時代の平均寿命が40歳前後だったことも考えると

かなりのおじいちゃんだったことがわかります。

乱世の終結。200年を超える江戸時代を築く

その後100年以上続いた戦国の時代は終わりを告げ、

家康が築いた江戸時代に突入します。

なんと明治維新までの264年間を徳川家が治めていたのです。

そんな現代の入り口まで多大な影響を与えた徳川家康は75歳で亡くなります。

徳川家康のことば

徳川家康 イラスト

勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、

害その身に至る。

人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。

七文字で言えば「身のほどを知れ」。

願いが正しければ、時至れば必ず成就する。

重荷が人をつくる。身軽足軽では人は出来ぬ。

愚かなことを言う者があっても、

最後まで聴いてやらねばならない。

でなければ、聴くに値することを言う者までもが、

発言をしなくなる。

人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。

急ぐべからず。

天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。

言葉から見た、徳川家康てこんな人!

自分を見つめた天下人

戦で初めて鉄砲を使った織田信長

戦略的に動き農民からのし上がった豊臣秀吉

二人ともやり方は違えど己の実力で天下を目指しました。

彼らが能動的であるならば、家康は受動的

常に一歩引いたポジションを取るような、

ある意味では戒めのような受け身の姿勢を彼の言葉から感じます。

それはおごることなく自分を客観視し、冷静に分析した上で、

自分が取るべき行動をしてきたことの証なのかなと思います。

それは時には「何もしない」という歯がゆい行動であっても。

自分に訪れるタイミングを受け身で待ち続ける

山のように構える人格を家康の言葉から感じました。

徳川家康の名言からの学び。「運を待つ生き方」

運は掴み取るのではなく、待つもの

運は自分で掴むもの

そんな成功例や、自己啓発はなどは多いと思いますが、

家康はまた新しい成功例を教えてくれました。

運やタイミングはきっと自分に訪れる。

その時を信じて待つ待つ待つ

豊臣秀吉との戦に勝ちながらもあえて家臣になることで、

確実に自分の天下にできる日を待つ。

それはもしかしたら自分で動き、運をつかみに行くことよりも

難しいのかもしれません。

思い立ったら即行動も大切ですが、

冷静に考え、時には何もしない待ちの姿勢でいることも大切なんですね。

人質として生き、戦で敗れながらも自分の可能性を信じて待った不屈の姿勢

家康の名言から学びました。

今日の英語

hostage

人質

passive

受動

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