武田信玄の名言からの学び。[信頼関係は先に信じることで築かれる]

武田信玄 画像偉人の名言

もう一押しこそ慎重になれ。

1500年代の日本は全国各地に国があり、それらが日々争う、戦国の時代でした。

そんな乱世の中でも群を抜いて存在感を放っていたのが武田信玄です。のちに天下人となる織田信長に「天下一強い」と言わしめた武将でもあります。

今回はそんな武田信玄の名言を紹介し、その言葉たちから学んだ「信頼関係は先に信じることで築かれる」について書いていきます。

武田信玄とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

  • 戦国時代に生まれる
  • 21歳で武田家の長に
  • 政治家としても活躍
  • 天下を目指すも無念の病死

戦国時代に生まれる

武田信玄は1521年に甲斐の国、現在の山梨県で生まれます。この時代の日本は全国各地にいる大名が天下を取ろうと、戦を繰り広げていた戦国時代でした。

信玄の父、武田信虎も国の陣地を拡大しようと戦に明け暮れていました。しかし、戦で頭がいっぱいだった信虎はあまり国内の情勢に目を向けていませんでした。

そのため農民は戦や年貢に追われボロボロ、家臣たちにも不満が募っていました。

21歳で武田家の長に

そんな武田家の内情を抱えつつ、信玄は順調に成長します。彼は小さい頃より文武両道に優れおり周囲も立派な後継ができたと安心していました。しかし、父親はそんな信玄をうとむようになり、次男の信繁の方を可愛がりました。

その後、信玄も戦に加わるようになると自ら軍策を練った戦いで、圧倒的多数の敵に対しても勝利するなど頭角を現していきます。

武田家は着実に領土を広げていきますが、父親のやり方に限界を感じた信玄は、信虎を隠居という形で国外追放し、21歳の若さで武田家の長となりました。

政治家としても活躍

長となった信玄は、他国との戦だけでなく国内の統制にも力を入れていきます。そして政治家としての才覚もあらわし、様々な改革をしていきます。

その一つが田畑を水害から守るために築かれた信玄堤です。当時の甲府盆地は毎年のように川が氾濫し、作物や家さえも流してしまうなど、大きな被害を与えていました。

信玄はそれを食い止めようと20年もの期間をかけて600メートルの堤を作りました。その後この信玄堤は江戸時代になっても少しずつ増築され、400年経った現在は2キロ以上の長さになり、甲府盆地を変わらず守り続けています。

天下を目指すも無念の病死

武田信玄もその他の武将と同じく天下統一を目指した1人でした。そんな数々の武将の中でもこの武田軍と上杉謙信率いる上杉軍の強さは天下一であったと、のちの天下人となる織田信長は語っています。

信玄はその上杉謙信と5回、なんと12年間の長期にわたる大戦を繰り広げます。この戦はその後、「川中島の戦い」として語り継がれていきました。

晩年は病に悩まされた武田信玄。天下取りに台頭してきた若き才能、織田信長を討つために京都を目指しますが、その途中で病気が悪化し、53歳で無念の死を遂げることとなります。

武田信玄の名言

武田信玄 イラスト

自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。

我、人を使うにあらず。その業を使うにあり。

一生懸命だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳が出る。

信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。

組織はまず管理者が自分を管理せよ。

いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。

人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。

言葉から見た、武田信玄てこんな人!

自分を治めることに努めた人

若くして甲斐の国の長となった武田信玄は、戦ばかりでそれまであまり顧みられていなかった国の内政に積極的に取り組みます。信玄の言葉にはそんな「国」という組織を意識した言葉が多いと感じました。

信玄は26歳の時に55か条の法律を定め、その中に自分にそむいてはならないという項目も設けながら、「自分が法律に反したり、間違いを起こせばすぐに投書せよ」という項目も最後に付け加え、家臣だけでなく自分にも厳しい、法律をかしました。

また39歳の時にお寺に出家し、座禅などで自分の心を整えることを常に試みていまいた。現在認知されている「信玄」という名前に改名したのもこの時でした。

国を治める前に自分を治める

戦国という混乱の時代の中でひときは活躍した武田信玄は国という大きなものと同じくらい、自分を治めるよう努めた人でした。

武田信玄の名言からの学び。[信頼関係は先に信じることで築かれる]

信頼は得るものではなく与えるもの。

武田信玄の言葉からは家臣たちなど「人との信頼関係」を大切にしている。ということがよく伝わってきます。

中でも「信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。」という言葉には相手に忠臣を求めるのではなく、自分からまず相手を信じることを第一に考えていたと感じさせられます。

現に信玄は家臣との会話を大切にし、決して独裁的にならず、彼らからの助言もよく聞いていたといいます。

人は心から信頼されていると感じると、より強く力を発揮するのかもしれません。戦国時代で天下一と言われた武田軍の強さの秘密はこの強固な信頼関係があったからこそなのですね。

自分を信頼して欲しければ、まずは自分が相手を信頼する

当たり前のような言葉ですが、それゆえにこれは普遍的な内容なのかもしません。

国や家臣を信じ戦国の世を生きた武田信玄からそれを学びました。

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  • relationship・・・・関係
  • trust・・・・信頼