希望とは、我々を成功に導く信仰です
ポーランドの3大偉人といえばショパン、コペルニクス、そしてキュリー夫人。
キュリー夫人は世界で初めてノーベル賞を2度受賞した物理学者であり、イギリスのBBCヒストリーが世界に最も影響を与えた女性の1位にも選び、人類歴史に大きな影響を与えた偉人です。
そんなキュリー夫人の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「一つのことに夢中になる」について書いていきます。
キュリー夫人とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
幼少期から頭脳明晰
キュリー夫人、フランス語名はマリ・キュリー。生まれは1867年ポーランドの首都ワルシャワです。
キュリー夫人の父親は大学で数学と物理を教える科学者で、またおじいさんも物理と化学の教授という学者の家系でした。
そんなこともあってか兄姉も医者や学者を目指すようになります。その中でもキュリー夫人は幼少期から特に優秀で姉よりも早く文字を覚え、4歳でスラスラと本を読めるようになっていました。
お金を貯めてパリの大学へ
当時のポーランドは戦争に負け、ロシアの支配下にありました。学校教育もロシア語を使うように監視される厳しい環境でした。
そんな窮屈な学校生活でもキュリー夫人は常に一番の成績で、そして他の生徒よりも早く卒業しました。
しかしその時のワルシャワの大学は男子しか入学することができず、キュリー夫人はフランス、パリの大学に行こうと家庭教師の仕事をしてお金を貯め、またそれと同時に姉の大学進学の援助もしました。
そして6年ほどかけて資金を貯め、24歳の時にフランスのソルボンヌ大学(現在のパリ大学)に入学し、寝る間も惜しんで勉強に励みました。
ピエール・キュリーと結婚、ラジウムの発見
自分のお金で学費や生活費をまかなっていていたキュリー夫人はアパートの屋根裏部屋に住み、食べ物や暖房も節約するような苦学生でした。
そんな努力のかいもあって25歳で物理学の学士試験にトップの成績で合格し、次の年には数学の学士資格も得ました。
そして1894年に友人の物理学者の紹介でピエール・キュリーを紹介されます。彼はすでに世界的に有名な物理学者で二人はすぐに意気投合し翌年に結婚、夫婦二人で研究を始めました。
キュリー夫婦は次々に新発見の論文を発表します。そして1898年に放射線を出す金属ラジウムを発見し、その3年後にはラジウムを精製することに成功します。
世界で初めてノーベル賞を2度受賞
これらの研究が認められキュリー夫妻は1903年ノーベル物理学賞を受賞し、またラジウムの抽出方法を無償開放し、科学と医学の進歩を願いました。
そんな最中、夫のピエールが交通事故で亡くなってしまいます。キュリー夫人は悲しみの中、二人の研究を最後まで続けようと立ち上がり、ピエールの後を継いでソルボンヌ大学の教授に女性で初めて就任しました。
そして1911年にはノーベル化学賞を受賞し、ノーベル賞の2度の受賞、また他分野での受賞でキュリー夫人は世界で最初の人物となりました。
晩年は研究による多量の放射線を受けた影響で白血病になってしまいます。そして66歳で息を引き取り、夫ピエールが眠るお墓に埋葬されました。
キュリー夫人の名言
チャンスというものは、準備を終えた者にだけ、微笑んでくれるのです。
何が成されたかなど、人は気づかない。何が成されていないかということばかりに目がいくのです。
個人の改善なくして、社会の改革はありません。
自分の仕事の結果を最大限に利用して、全体の人びとの幸福を忘れずに自分自身の利益をも保持すると言うような実際的な人間が、人類にとって必要なのはいうまでもない。しかし、また利害を超越して、ひとつの計画を展開することは、きわめて魅力的であるために、自分の物質的な利益に意をもちいてはいられないような夢想家も、人類にとっては必要である。
人事に携わる者の代わりは幾らもいますが、真理に携わる者の代わりは多くはいません。
ただ一つの関心、ただ一つの夢の中に、私は生きました。
すべての人には幸せに生きる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります。
言葉から見た、キュリー夫人てこんな人!
人類のための研究者
キュリー夫婦はラジウム、放射線を発見し歴史を動かす発見をいくつもしてきましたが、ノーベル賞を受賞するまでその暮らしは苦しいものでした。
実績のある彼らは大学教授という安定的な選択肢もあったにもかかわらず、研究を続けられない条件であればすぐに断りました。それは研究こそが彼らにとって最重要なことであり、裕福に暮らすことに価値を見出していなかったからです。
ラジウムの特許を取らなかったのもその意志の表れであり、自分たちの利益よりも人類の進歩を選んだのでした。
その精神はピエールが亡くなり、キュリー夫人だけになっても続き、放射線に毒される体になっても最期まで精力的に研究を行いました。
人類のための研究者。それがマリ・キュリー夫人でした。
キュリー夫人の名言からの学び。[一つのことに夢中になる]
夢中力が何かを成し遂げる
キュリー夫人の名言で印象的だったのが「ただ一つの関心、ただ一つの夢の中に、私は生きました。」という言葉でした。
キュリー夫人は大学の時も遊びや娯楽に目もくれずいつも勉強をしていました。それは学ぶということが彼女にとって楽しみであり、喜びであったからです。
研究者として活動を始めたときも、人類のためという大義はありましたが、それはただの自己犠牲ではなく、自分が何よりも研究することに大いに夢中になっていたのです。
そんな飽くなき好奇心が圧倒的な熱量を生み、結果的に歴史的な発見へと繋がったのでした。
大義に加え自分がそれをやってワクワクできるかどうか。そんな前のめりな熱い姿勢が何をやるにおいても大切なのだとキュリー夫人の言葉を見て感じました。
夢中力が何かを成し遂げる
最期まで夢中に研究を続けた偉大な物理学者キュリー夫人の言葉からそれを学びました。