あらゆる茨の道を切り開き、誰も手がけない新しい創造と取り組め。
日本の実業家、井深大。
学生の頃から発明などが得意だった技術者でもあり、大学生でパリ万博の金賞を受賞するなど若くしてその才能が注目されます。
その後、盛田昭夫とSONYを創業し、トランジスタラジオやトリニトロンテレビ、ウォークマンなど世界に誇る日本の電化製品を生み出しました。
今回はそんな井深大の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「アイデアよりも実行力」について考察します。
井深大とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
機械いじりが好きな少年時代
井深大は1908年に栃木県で生まれます。父親は古河鉱業の技術者をしていました。しかし、大が3歳の時に転倒した怪我の影響でカリエスという病気にかかり、31歳の若さで亡くなってしまいます。
そのため大は母と一緒に祖父の家がある愛知に移り住みました。2年ほどして母親は母校である日大女子大学の附属幼稚園で働くことになったため、2人で東京に引っ越します。
8歳の時に母親が再婚したため、再び祖父の家に戻り、そこで小学校時代を過ごします。小さい頃から機械いじりが好きだった大は自転車のランプを分解したりと、よく実験をしていたといいます。
発明品がパリ万博の金賞を受賞
小学校卒業をきっかけに、大は母親のいる神戸に移ります。そして当時最も入学試験が難しいとされた第一神戸中学に見事合格します。この頃も変わらず発明が好きだった大は、ラジオなども自分で作ってしまうほどでした。
その後は第一早稲田高等学院に入学し、そのまま早稲田大学へと進学しました。そして大学3年生の時に光通信の実験から光電話を発明し、「光るネオン」と名付けた特許も取得します。
この光るネオンはパリの博覧会にも出展され、金賞を受賞するなど国際的な評価を得ます。これにより大は天才発明家として注目されるようになりました。
海軍だった盛田昭夫と出会う
大学卒業後は写真化学研究所に入社し、しばらくして日本光音工業に転職すると真空管などの研究開発の仕事に勤しみます。社長の植村は大の能力を高く評価し、新たな会社「日本測定器」を設立、大は常務に就任しました。
その後太平洋戦争が始まると軍からの仕事が増え、この時期に盛田昭夫(当時は海軍の中尉)と出会います。そして戦争が終わると日本測定器は解散し、大は東京で新たな会社「東京通信研究所」を設立します。
最初に開発したニュースを聞くための短波受信機が注目され、新聞に取り上げられると、その記事をみた盛田が大に連絡し、2人は再会を果たします。そして1946年、のちのSONYとなる東京通信工業株式会社を設立しました。
数々のヒット商品を生み出す
そして1950年に日本初のテープレコーダーを発表すると、その後もトランジスタラジオやトリニトロンテレビなど数々のヒット商品を生み出し、それらは日本だけでなく世界中で販売され「世界のソニー」と呼ばれるようになります。
そんな世界的な企業を創り上げた大は、63歳の時に一線を退き、84歳の時には経済人としては初の文化勲章も受章しています。
引退後も、音楽が趣味だった大は、外でもっと手軽に音楽を聴けないかと考え、ヒット商品ウォークマン誕生のきっかっけを作るなど、最後まで発明家であり続けました。そして1997年、89歳でその生涯を終えました。
井深大の名言
世の中に尽くすとか、他人のために何かするということは、お金ができてから、名声を得てからすることだと、考えるのはまちがいだと思います。あなたの周りを見渡せば、身近なところに誰にでもやれることが、いくらでもあるからです。
社会をリードしていく人間の、基本的能力とは何か。それが「人徳」であると私は思います。
アイデアが重要なのではない。一つのアイデアをどうやって、具体的にしていくかが重要。
自分の幸福を考えるとともに、他人の幸福を考える。そうした生きる姿勢が、自分の職場生活をより楽しく豊かなものにし、家庭生活をもうるおいあるものにする。そして、ひいては豊かな社会を作っていくことにつながると言えましょう。
「物」だけで「もの」を考える時代は終わった。これからは「心」と「意識」を考えたものづくりの時代だ
一番のモットーは、他の人が既にやってしまったことは、やらないこと。
枠の中からどうやって飛び出すかが重要。技術に感性を結びつけると、大きな飛躍ができる。
言葉から見た、井深大てこんな人!
まだ見ぬ新しいモノを求めた人
日本が世界に誇る大企業、SONY。トランジスタラジオやウォークマンなど、その製品たちは当時の電化製品を先導していたと言っても過言ではないでしょう。
現代で最もクリエイティブな製品を提供しているApple。その創業者であるスティーブジョブズもSONYの製品に憧れ、影響を受けたと語っています。
そんなSONYの創業当時からの企業姿勢は「人がやらないことをやる」というもので、それは創業者のひとり、井深大が最も大切にしてきたことでもありました。
「一番のモットーは、他の人が既にやってしまったことは、やらないこと。」と語るように、幼少期から発明に打ち込み、若くしてパリ万博で注目され、技術者として活躍してきた井深大は、常に既存のものと決別し、見たことのない新しさを求めた人でした。
井深大の名言からの学び。[アイデアよりも実行力]
想像だけで終わらない実現させる力
今回の井深大の名言で印象的だったのが「アイデアが重要なのではない。一つのアイデアをどうやって、具体的にしていくかが重要。」という言葉でした。
インターネット普及して久しい昨今、毎日膨大な情報が溢れ共有され、個人が何かを伝えたいと思えば多くの人に届けることが可能になりました。Youtuberやインスタグラマーなどを代表するように、手軽に自分の作品やアイデアを発信できるのが現代だと感じさせられます。
空を飛びたい、早く走りたい、夜でも明るく生活したい。飛行機。車やバイク。電気など、人類はその願望を発見とアイデアにより具現化してきました。
現代では当たり前に存在しているこれらの製品ですが、それが夢物語の時代がありました。
例えば、ライト兄弟が飛行機を作った時、他にも多くの人が空を飛びたいと願い、鳥などを見ながら、飛べるアイデアを少なからず考えたことでしょう。しかし実際にそれを形にしたのはごくわずかで、成功させるまで諦めなかったのがライト兄弟でした。
同じ人間として生きている以上、願望も似てくるのは必然なことのように思います。
特に現代でこれほど情報が共有されるとアイデアという”モノ”自体に価値はなく、問題はその考えたアイデアを実際に実行できるかどうか。それが大きな分かれ道なのだと感じさせられます。
誰もやったことのないことをするからには、多くの失敗が待っているのは容易に想像できることです。それでも実行に移せるかどうかが、想像で終わる人と、何かを成し遂げる人の違いなのだと、今回の井深大の言葉に触れて感じさせられました。
想像だけで終わらない実現させる力
SONYを創業し、数々の新しい製品を生み出した井深大の名言からそれを学びました。