アウシュヴィッツ強制収容所に行ってみた体験・感想

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 画像偉人の言葉

ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

アウシュヴィッツ強制収容所 ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ヒトラーが率いたナチス党。「強いドイツを取り戻す」という意志のもと、ユダヤ人迫害を行いました。そのナチス最大の被害者を出した収容所がポーランド、オシフィエンチムという町にあるアウシュヴィッツ収容所です。

2020年1月27日

この日、アウシュヴィッツ収容所が解放されてから75年を迎えました。世界中のメディアでそれは取り上げられ、日本でもNHKなどで報道されていました。

そんな中、Twitterのタイムラインにこんなツイートが流れてきました。

このツイートを見たとき、僕も2年ほど前にアウシュヴィッツに行った身として何かモヤモヤしたものがあったと同時に情報の大切さ、無知であることの怖さも感じました。

しかし、それは今の僕にも当てはまることで、知らないことは自分にもまだまだたくさんあり、それを一つずつ理解し知っていくことが大切だと、改めて感じさせられました。

なので、僕の見てきたものが誰かの知識となることもあると思い、アウシュヴィッツに行った時に個人的な日記に書いた実体験、その時感じた事をここで書いてみようかと思います。

2017年10月10日アウシュヴィッツ訪問

アウシュヴィッツ強制収容所に行ってみた

ポーランドの古都クラクフからバスで1時間半くらいにあるオシフィエンチムという場所。そこにあるのがアウシュヴィッツ強制収容所。ナチスの収容所中で一番の犠牲者を出した巨大施設。

友達が「行って良かった」と言ってたこともあり、ずっと行きたいなと思っていた場所。ここに来るためだけに、トルコから旅をしてきたと言っても過言ではない。そしてやはり来て良かったと思える場所だった。

収容所は三つあり、第三収容所はソ連の空爆によって今は残っていない。ここで150万人(と言われているが不鮮明な数字)の人が亡くなり、その90%がユダヤ人だったとされている。現在は第一収容所と第二収容所が見学できる。

アウシュヴィッツ第一収容所

入口には写真でもよく見る有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のゲートがある。

そこをくぐると細長いレンガ棟がいくつもあり、そこに多い時で20,000人の人が収容されてた。今はその棟の中が展示スペースになっていて、当時の写真や、遺品、収容部屋やガス室などを見ることができる。

アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所
アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所
アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所

痛々しいほどあちこちに張り巡らされた有刺鉄線。

写真も数は少ないが展示されている。当時の収容された人が命がけで撮ったとされるブレブレの写真。でもそれがすごくリアルだった。

アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所

大量の靴やメガネ、カバンなどが展示されている。物質不足だったためそれらの日用品は全て没収されたようだ。

アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所

撮影が禁止で撮ることができなかったが、当時の人たちの大量の髪の毛も展示されていた。その毛髪で製品を作る労働をさせられてたみたいだ。

数ある収容所の中でアウシュヴィッツが有名な理由の一つがこのガス室。裸にされて中にパンパンになるまで押し込められ、上からガスが投下され殺された。

アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所
アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所

↑これがそのガスとして使われたもの。チクロンB。実は殺虫剤として日常的にも使われているものでもあるらしい。

ガス以外にも絞首や銃殺も行われていた。

アウシュヴィッツ強制収容所 第一収容所

このコンクリートの前に並ばされ、銃殺された。

ナチスはこのような巨大な施設の管理、監視、誘導、殺害、死体処理などを収容された人たち自身にさせていた。収容者の中にも上下関係をつけることで暴動を未然に防ぐ。

いい働きをしたものには広い部屋や少し多い食事などを与え、精神的にもコントロールしていた。

だからユダヤ人を殺していたのは同じユダヤ人だったことも多かった。

アウシュヴィッツ第二収容所

第一収容所からシャトルバスが出ていて、5分ほどで着くところにある第二収容所

総面積1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)の広大な土地。そのほとんどが収容所になっていて、多い時で90,000人が収容されていたと言われている。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

収容所まで線路が乗り入れており、昔はドイツや他の主要ヨーロッパ各国までこの線路が繋がっていて、大勢のユダヤ人がこの場所に送られた。

そしてこの場所で「労働者」「人体実験の検体」「価値なし」で選別され、その「価値なし」と選別された人たち(主に老人、女性、子ども)は、ガス室にそのまま送られた。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所
アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

これが第二収容所のガス室。ドイツ敗戦間際、証拠隠滅のためにナチスがダイナマイトで爆破したため、今は瓦礫状態。

ガス室の向こう側へはユダヤ人しか立ち入りできないようになっている。この日は多くのイスラエル国旗を持った学生たちがきていた。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

アンネフランクもいたとされている第二収容所の収容棟群。レンガ造りだっり木造だったり、もともと馬小屋だったものなど。

どちらにせよ劣悪な環境だったのが見た瞬間にわかる。ただの木の板のようなベッドに4~5人で寝ていたらしい。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

石に穴を開けただけのトイレ。

下水も完備されてない状況で感染症も蔓延していた。人がいるような場所じゃない

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

アウシュヴィッツツアーガイドの中谷さん

今回、日本人で唯一アウシュヴィッツの公式ガイドをされている中谷剛さんのガイドつきで見学した。

正直よほど歴史やこの事象について詳しい人以外はガイド付き見学をお勧めします。展示の説明だけでなく、それまでに続く歴史や現在の世界情勢なども絡めながら解説してくれます。

そしてなぜこの場所でこういった悲劇が起きたのか。など終始、見学者に問いを抱かせる解説をされていて、それがとても胸にくるものがあります。

本当にお勧め。

中谷さんへは個人で予約もできます。

メールはこちらから↓
nakatani@wp.pl

アウシュヴィッツ強制収容所 中谷さん

中谷さんありがとうございました!

アウシュヴィッツ強制収容所に行ってみた体験・感想

ここで起きたこと。そして今起きている戦争など。どれも非人道的なものだ。

なぜこのようなことが起きてしまうのであろうか。ただただヒトラーが残虐であり、ナチスが卑劣な組織であったからなのであろうか。

実際、話を聞いて感じた僕の考えも含め書こうかと思います。

ドイツ人とユダヤ人の歴史

まずヒトラーがリーダーになった時のドイツの状況。第一世界大戦に敗れ、多くの負債を抱え、国はぐちゃぐちゃ。国政は衰弱し、国民は悲しみと怒りにくれていた。そんな状況の中、ヒトラーが打ち出したのが、「民族の立て直し」である。

世界一誇り高く、優秀なドイツを取り戻す。これに多くの国民が賛同した。

その時のユダヤ人の状況は。

と、その前に歴史をかなりさかのぼる。昔からユダヤ人は迫害の歴史をたどっている。それはヨーロッパがキリスト教の国々の集合体(と言っても過言ではないだろう)であるからである。

そしてこのキリスト教の教祖であるイエス・キリストを殺害したのがユダヤ人であった。

今もキリスト教の最重要施設があるバチカン市国。そのイタリア半島を中心にヨーロッパ席巻していたローマ帝国によりユダヤ人は国を侵略され、ついには国を失い、民族はヨーロッパ中に分散した。

その当時のヨーロッパは農業が主流。そんな国を追われたユダヤ人がする仕事が、身分の低い人達がやる商業だった。

ユダヤ人への迫害意識

しかし時が流れ、多くの革命が起き、農業中心から商業が主流の時代が訪れる。そこで多くのユダヤ人が裕福になることができた。もともと偏見、差別のあるユダヤ人が力やお金を手にすることに、いい思いをしない人は多かっただろう。

そんなもともとある偏見や差別の上に、少し力を持ち始めたユダヤ人。「自分たちが苦しい思いをしているのに。」そんな妬みや、怒りなどいろいろな負の感情をその時代の人たちはユダヤ人に向けてしまう。

国を浄化するためにはユダヤ人を排除する。といった感じで。

これはユダヤ教を脅かすかもしれないキリスト教に対する感情。イエス・キリストに対する怒り、妬みにより最終的に排除したユダヤ人たちの動機とそんなに違わないと思う。

そこからヒトラー率いるナチス党によるユダヤ人大虐殺が始まる。歴史を辿れば、いろいろな感情が絡み合って複雑になってくる。

これは誰が悪いのであろうか。

直接お互い殺しあったユダヤ人。

それをさせたドイツ人看守

それを率いたヒトラー

ヒトラーをリーダーにしたドイツ人

キリストを殺したユダヤ人

感じたこと

ここで僕が感じたこと。

それはそれぞれ立場や状況は違えど皆「誰かのため。何かのため。」これが動機になっているのではないか?ということだ。

家族を守るために、同族を殺す。ドイツ民族のためにユダヤ人を殺す。

国のために。宗教のために。この「誰かのため。何かのため。」は往々にして自分の中で大きな正義になる。そしてその正義は人の行動を正当化し、時に常軌を逸した残虐性まで帯びる。

ボスニア戦争の時もそうだった。他民族でも友人のような付き合いをしていた人たち。その人たちが実際殺しあった。

家族を守るめ。それで銃を持ち、人を殺せる。国を再建するためガスをまく。宗教を守るために異教を断絶する。

もちろん根本的には自分の為というのもあるが、誰かや何かのための行動。それはきっとその人それぞれにとって正しい義なのである。現在まで世界のどこかで絶えることなく戦争が続いている。

自国を守るための戦争や侵略は正義なのか。ナチスドイツ時代、この収容所を作ることは正義とされた。

それを作ったのはヒトラーだが、ヒトラーは民主主義により国民が選んだ国民の代表だ。

だから「国民が本気で訴えれば閉鎖できただろう。」と中谷さんは説明してくれた。

しかし、それをしなかった。

ヨーロッパ各国も差別や、偏見があるだけで、ユダヤ人がここに送られるのを見て見ぬ振りをした。

もし国際社会が連携して働き掛けていたら、この政策自体止められたかもしれない。

大衆迎合多数決

これが民主主義の恐ろしいところだ。少数派や、新しい価値観はいつでも犠牲になる。

中谷さんは「僕たちはすでに自分の中にヒエラルキーを持っている。」とも言っていた。

自分の持っている肌の色や、髪の色で優劣をつけ、自分の持っているものを正義とし、違うものを悪とみなす。怖いなと思った。

でも些細なことでも自然としてしまっている差別は誰しもあるであろう。

考えたこと

僕はこれを聞いて考えたこと。

それは自分の中の正義に盲目にならないことがとても大事だということ。

もし、ドイツ人看守が、ヒトラーが、民衆が、ヨーロッパが、世界が、一旦立ち止まり、考えることができたら。別の歴史になっていたかもしれない。

最後の方で中谷さんが言っていた言葉、「人の意識で社会は形成される。

偏見、差別、自分の正義は本当に正義なのか。そういった疑問を常に持ち、考える。その意識一つで人は変わり、社会は変わり、世界は変わっていくんだと思う。

やっぱり肌の色で優劣をつける。人が人を殺す。それは単純におかしな話なのだ。

僕自身まだまだわからないことだらけだし、的外れなことを言ってるのかもしれないけど、とりあえず誰も理不尽に死んでほしくない。

というのが今の僕の思考レベルで言えることです。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所

今回行った時、多くのイスラエル国旗を持った学生がきていた。

まだユダヤ人に対して差別が残るヨーロッパ。自分がユダヤ人だと明かさない人も多いと聞いた。その中で、背中いっぱいに国旗を掲げ、この場所を歩く若い背中。

自分に対するアイデンティティーをしっかり持ってるその背中はとても勇ましく、力強かった。

中谷さんは、いろんな人がこの場所に興味を持ち、実際来て、この歴史を知ってもらうことが彼らユダヤ人に対して追悼になるし、とても嬉しいことなんだ。だから、その人たちとすれ違うだけでも、意味があるのだと。言っていた。

近年、アウシュヴィッツの来訪者が急増している。去年は過去最高の来訪者数だったみたい。そして広島の原爆資料館も去年が過去最高の来訪者数を記録した。

偶然でおそらく必然の一致。

日本は世界で唯一の被曝国だ。僕ら日本人は、学校でも原爆の痛々しい記録を教えられてきた。はだしのゲンとか学年全員でみた。

だからイスラエルの国旗を掲げるこの学生たちの気持ちが少しわかる気がした。やっぱり外国の人が、興味を持ってわざわざ広島まで来てくれるのは、日本人として嬉しい。

広島行ったことないなー。僕も日本に帰ったら広島に行こう。

今回はだいぶ長い投稿になってしまいました。なかなか感じたことをうまく文にするのは難しいです。

最後に中谷さんが言ったて印象的な言葉。

人が感じたことが政府、歴史を変えて行く。

最後に

これが2017年10月に訪問した時、感じた衝動をすぐさま書いた体験談です。

文章や言い回しなどおかしなところはありますが、この時に感じた素直な感情を大切にしようと、修正せずに載せてみました。

この記事で少しでも何かの気づきになっていただければ幸いです。

アウシュヴィッツ強制収容所 第二収容所
関連のある人

アンネ・フランク

ここに収容された少女。彼女が残した迫害の記録は「アンネの日記」として出版された。

ヴィクトール・フランクル

オーストリアの心理学者。アウシュヴィッツの体験を書いた「夜と霧」の著書は世界的ベストセラーとなった。

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