希望があるところに人生もある。希望が新しい勇気をもたらし、再び強い気持ちにしてくれる。
たった15年の生涯でこの世を去ったアンネ・フランク。
彼女の名前を世界に広めたのはアンネが生前より記していた日記でした。日本でも出版された「アンネの日記」は60以上の言語に翻訳され世界中でベストセラーとなりました。
今回はそんなアンネ・フランクの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「幸せになること」について考察します。
アンネ・フランクとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
裕福なユダヤ人夫婦の次女として生まれる
アンネ・フランクは1929年ユダヤ系ドイツ人夫婦の次女としてドイツのフランクフルトで生まれます。父親は銀行家、母は実業家の娘ということもあり、比較的裕福な家庭環境でした。
しかしアンネが生まれた年にアメリカの株価が暴落し世界恐慌が起きます。第一次世界大戦に敗北したドイツは世界恐慌が起きる以前から経済的に深刻な状況下でした。
そんな大不況のドイツで支持を集めたのがヒトラー率いるナチス党でした。ヒトラーはもう一度強いドイツを取り戻そうと国民に訴え、そして現状の貧しさをつくっているのはユダヤ人だと主張しました。
ヒトラーの猛威によりオランダへ
当時のユダヤ人はアンネの父親がそうであったようにお金に関わる商人などの職業にしか就けない時代でした。しかしそのせいでユダヤ人は豊かになり自国民は貧しくなったとヒトラーは考え、問題の責任をユダヤ人に押し付けた形でユダヤ人迫害を開始したのです。
1933年ついにヒトラーが首相になり政権を握ります。危機感を感じたユダヤ人たちは次々とドイツ国外に亡命していきます。アンネの家族も一家でオランダへ移住することになりました。
オランダで生活を始めた時、アンネは4歳でした。明るく人懐っこい彼女はすぐに近所の人気者になります。家の隣には同じ歳のユダヤ人少女のハンナが住んでいて二人は幼稚園、小学校、中学校と一緒で生涯の友となりました。
隠れ家での生活
一方ドイツではヒトラーが勢力を拡大し、1939年にチェコとポーランドに軍事侵入します。これがきっかけで第2次世界大戦が始まり、ドイツ軍はオランダにも侵攻してきました。
そしてオランダは抵抗もなくドイツに降伏し、ドイツがオランダを占領するようになりました。それによりユダヤ人の活動は制限されます。公園などの公共施設にも立ち入りを禁止され、学校もユダヤ人学校しか通えなくなりました。
そしてさらにドイツの勢力がどんどんと強くなると、ユダヤ人は労働収容所に強制送還されるようになりました。危機感を感じたアンネの父親は自身の会社の空き家に身をひそめることを決め、アンネ家族と数人の友人とそこに移り住みます。
15年の人生とアンネの日記の出版
隠れ家生活は2年ほど続きますが、1944年の8月4日に突然の警察の侵入によりそこにいたアンネたちは逮捕され、連行されてしまいます。そのときその場に残されていたのがアンネの日記でした。
そして9月3日、ホロコーストにより最大の犠牲者を出した収容所、アウシュヴィッツに送られます。ここでは男性も女性も丸坊主にされ、名前も奪われ番号で管理されました。
そして10月には姉と一緒にベルゲン・ベンゼン収容所に移され、最初に姉が亡くなり、アンネはその死を追うように息絶え、最期は汚物だらけの水たまりに倒れていたと言います。わずか15年の人生でした。
家族の中で唯一生き残ったのが父親のオットー・フランクでした。彼は収容所が解放されオランダに戻りアンネが残した日記を形見として知人から受け取ります。
そしてアンネの「戦争と差別のない世界になってほしい」という願いを全世界に伝えるため、日記の出版を決断。この日記は60以上の言語に翻訳され、2,500万部を超える世界的ベストセラーになりました。
アンネ・フランクの名言
私が私として生きることを許して欲しい。そうすれば満足して生きられます。
私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。
与えることで貧しくなった人はいまだかつて一人もいません。
幸せな人は誰でも、他の人をも幸せにするでしょう。
誰もがたった今この瞬間にこの世界をよくするために貢献することができるというのは、なんて素晴らしいことでしょう。
辛い現実はあるものの、私は、今でも人間の心は本質的に善であると信じている。
太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?
言葉から見た、アンネ・フランクてこんな人!
人間に対する希望を捨てなかった人
国を失ったユダヤ人は長い差別の歴史を持っています。その差別意識を最大にまで煽ったのがヒトラーであり、それまでにも多くの不平等を受けてきました。
そんなユダヤ人として生まれたアンネの人生はわずか15年で終わらされてしましました。
隠れ家での生活を始めてからアンネの日記は始まります。その中に残された言葉はその過酷な状況をリアルに写し、そんな環境でも希望に生きたアンネの強さを残しています。
「辛い現実はあるものの、私は、今でも人間の心は本質的に善であると信じている。」という彼女の言葉にもあるように絶望的な不条理を受けながらも人間の善意を信じる姿勢に、人としての心の大きさを感じさせられます。
人間に対する希望を捨てなかった人。それがアンネ・フランクでした。
アンネ・フランクの名言からの学び。[幸せになること]
当たり前の普通が幸せである
アンネ・フランクの名言の中で特に印象的だったのが、「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」という言葉でした。
隠れ家に住み迫害を受けたアンネの願いはとてもシンプルなものでした。普通に暮らしたい。それだけで幸せでした。
第二次世界大戦が終わってからも世界から戦争がなくなった日は1日もありません。アンネの言葉にあるように人は皆幸せになりたいと願いながらも、様々な問題で争い続けています。
それは国同士だけでなく、国内や、個人間にも存在します。難しい問題です。
ただ自分が幸せになりたいと思うように、他の人も幸せになりたいと願っていて、その願いは物質的な豊かさではなく、自分が自分として存在し生きていけるそんな当たり前のことなのかもしれません。今回アンネ・フランクの言葉に触れてそう感じさせられました。
当たり前の普通が幸せである。
15年の人生でその後に生きる多くの人に感動を与えたアンネ・フランンクの言葉からそれを学びました。