
アンパンマンは“世界最弱”のヒーロー
小さい子供たちに絶大な人気を誇るアンパンマン。
そのアンパンマンを生み出した人、それがやなせたかしさんです。漫画家、絵本作家、作詞家、デザイナーなど多方面に活躍し、長い期間を通して人々の記憶に残る作品を生み出した偉人です。
今日はそんなやなせたかしさんの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「正義は思いやり」について考察しました。
やなせたかしとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
東京でデザインを学ぶ
やなせさんは1919年に東京で生まれます。父親は講談社の編集者をした後、東京朝日新聞に入り、特派員として上海に渡ります。これをきっかけに一家で上海に移住するも、父親がアモイに転勤となり、母と子供達は日本に帰国します。
しかしその後すぐに父親がアモイで亡くなり、遺された家族は高知へ移住します。まもなくすると母親は再婚し、やなせさんと弟は医者をしていた伯父さんに引き取られます。
小学校と中学校は高知で通うものの、高校からは東京に移ります。現在の千葉大学工学部デザイン学科にあたる東京高等工芸学校図案科に進学、デザインを学びます。
日中戦争で戦地へ
1939年に学校を卒業すると田辺製薬の宣伝部に就職。しかし1941年に徴兵され、日中戦争中の中国へ出征します。
やなせさんは幹部候補生となり、暗号の作成と解読をする部隊に配属されました。そのため戦場に行くこともあまりなく、銃も一度も打たなかったといいます。
終戦後しばらくはクズ拾いの会社で働きます。その時拾った雑誌をきっかけに、絵を描きたい思いが再熱したやなせさんは1946年に高知新聞に入社し、編集のほか漫画や、表紙絵などを描くようになります。
28歳の時には結婚機に上京、本格的に漫画家を志すようになります。生活費を稼ぐために三越の宣伝部に入社しグラフィックデザイナーとしても働きながら、精力的に漫画にも打ち込みました。
アンパンマンの誕生
三越の広報誌や新聞、雑誌などでも漫画を描くようになったやなせさん。34歳の時に漫画家としての収入が給料の三倍になったことで三越を退社し、漫画家として独立します。
しかしその後の時代は手塚治虫さんなどのストーリー漫画が主流となり、やなせさんの漫画は時代遅れと揶揄されるようになります。漫画家としての仕事は激減するものの舞台美術や放送作家などの仕事の依頼が次々と舞い込み、生活に困ることはありませんでした。
そんな時、現在のサンリオの社長である辻信太郎さんと出会い交流を深めます。1966年にやなせさんの初の詩集である「愛する歌」がサンリオから出版され、これによりサンリオは出版業に力を入れていきます。
そして1969年にやなせさんは12の物語からなる短編メルヘン集を出し、その一つの物語としてアンパンマンが生まれました。
人々に愛され続けるキャラクターへ
その後、絵本作家としても活動を始めたやなせさん。アンパンマンも数ある絵本の中の一冊として出版されます。しかし、顔をちぎって食べさせる描写などがグロテスクだと評論家や保護者からバッシングを受けます。
しかしそんな大人たちと真逆の反応をみせたのが子供たちでした。アンパンマンの評判は次第に広がり幼児層を中心に絶大な人気を得ました。そして1988年にアニメ化されると30年以上たった現在も続く大人気番組となりました。
アンパンマンのヒットもあり、やなせさんは様々な賞も受賞します。2000年には漫画家協会の理事長に就任し、自身も独特なファッションなどでメディアに登場、漫画界を盛り上げようと尽力します。
晩年は様々な病気を患いながらも精力的に活動したやなせさんは、死の間際までアンパンマンの舞台挨拶に登壇していました。そして2013年、94歳で息を引き取りました。
やなせたかしの名言


自分はまったく傷つかないままで、正義を行うことは非常に難しい。

逆転しない正義とは献身と愛だ。

本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろうと。そんなヒーローを作ろうと思った。

「人が喜ぶかどうか」が何よりも大事だと思うんです。

正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。

絶望の隣には、希望がそっと座っている。

生きる、生きている、生かされているということは本当にありがたい。

あんまり深く突き詰めて考えない。「今日を楽しむ」と考えていけば、何とかやっていけるんじゃないかな。

正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。
言葉から見た、やなせたかしてこんな人!
人を喜ばせることに生きた人
膀胱癌は10回以上再発するなど、晩年は病気とのたたかいだったやなせさん。そんな体調の中でも最期まで活動することを止めませんでした。
「生きている。それだけでありがたい。」という自身の言葉にもあるように1日1日を大切に、楽しく生きることを大切にしていたと感じます。
その活動の背景にあるのは「人を喜ばせたい」という想いであり、亡くなる直前までアンパンマンの舞台挨拶に登場したその姿にそれが表れていました。
そしてやなせさんが亡くなってからも、彼が残したキャラクターや作品たちは多くの人々を喜ばせ続けています。
人を喜ばせることに生きた人。それがやなせたかしでした。
やなせたかしの名言からの学び。[正義は思いやり]
相手を思うことから正義は始まる
今回のやなせさんの名言で一番心に残ったのが「本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろうと。そんなヒーローを作ろうと思った。」という言葉でした。
アンパンマンのストーリーはパトロールから始まります。そしていつもお腹を空かせた人たちに自分の顔をちぎって渡し、食べさせてあげます。
アンパンマンは最弱のヒーローだとやなせさんは語るくらい、アンパンマンは弱点が多いヒーローです。自分の力がなくなり、弱さをさらけ出す状況になろうとも、まず人を助けることを考える。それがアンパンマンです。
正義を主張し争うと、それは巨大な戦争にまで発展します。それぞれの立場に正しさがあり、現実社会をみても「正義」ということの難しさを感じさせられます。
しかしやなせさんは正義は簡単だと言いました。それは困っている人を助けることだと。
自分の正しさを主張するのが正義ではなく、まず相手を想うこと。何よりもそれが大切なのだと、やなせさんの言葉に触れて感じさせられました。
相手を思うことから正義は始まる
子供たちから愛されるヒーロー、アンパンマンをつくったやなせたかしの名言からそれを学びました。