渋沢栄一の名言からの学び。[信用される生き方]

渋沢栄一 画像 偉人の言葉

真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない。

日本の経済、また資本主義の父といわれる渋沢栄一

明治初期の日本の近代化に大きく関わり、その分野は政治、経済、教育など多岐にわたります。その活動の多さと実績はまさに「父」と表現するにふさわしいものでした。

今日はそんな渋沢栄一の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「信用される生き方」について書いていきます。

渋沢栄一てどんな人?

  • 江戸時代の末期に生まれる
  • 倒幕を志すが真逆の道、幕臣となる
  • ヨーロッパで近代文化を学ぶ
  • 500以上の企業設立に携わる
江戸時代の末期に生まれる

渋沢栄一は江戸時代の末期である1840年に現在の埼玉にある武蔵国で生まれます。渋沢家は農業や藍の製造販売など、商売を幅広く行う家でした。

栄一は6歳になると父親から学問を教えられ、一年間で多くの本を読みました。その中には儒教の教えが書かれた「論語」もあり、この孔子、儒教の教えが栄一の道徳観に大きな影響を与えました

7歳になると従兄弟の尾高惇忠から学問を習い、その後大人になってもこの尾高とは良い関係が続き、重要な局面で栄一を支える人物となります。

倒幕を志すが真逆の道、幕臣となる

14歳になると家業である藍の買い付けに一人で行くようになり、そこで商才を発揮します。よい藍の葉を安く仕入れ、14歳ながら仕入先と対等に話をしていたと言われています。

1853年にペリーが来航すると尊王攘夷運動(天皇政権を唱えと外国排除を訴える)が過激化していきます。農民出身の栄一も江戸時代の身分制度に不満を抱いていたため、倒幕を目指してこの流れに加わっていきます。

しかし、ひょんなことから知人の紹介で一橋家、一橋慶喜(のちの徳川慶喜)の家臣として仕えることとなると、この慶喜が徳川最後の将軍になってしまいます。栄一もそれに伴い幕府の家臣として働くこととなり、少し前までは倒幕を目指していたのに、真逆の道に進むこととなりました。

ヨーロッパで近代文化を学ぶ

そして1967年に幕臣としての仕事、パリ万博視察のためにフランスに向かった栄一。視察後、約2年間にわたりヨーロッパ各国を訪問し、最新鋭の技術や文化を吸収します。このヨーロッパでの体験が栄一に多大な影響を与え、その後の日本の改革にも大きく貢献していきます。

ヨーロッパから帰国すると徳川慶喜は大政奉還した後で、幕府はなくなっていました。慶喜は栄一に「これからはお前の道を行きなさい」と伝え、ここから栄一は独自の道をつくっていくこととなります。

まず日本で初めてとなる株式会社を設立し、初めて資本主義を日本に持ち込みます。これらもフランスに行った時に学んだことでした。

500以上の企業設立に携わる

その後大隈重信の誘いにより大蔵省に入省し、国立銀行条例や新貨幣をつくるなど様々な改革をおこなっていきます。しかし予算編成などを巡って大隈重信や大久保利通と対立、4年ほどで大蔵省を退官しました。

退官後すぐに日本最古の銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀こう)を創設し、「銀行」という言葉も渋沢栄一が決めたと言われています。その後は実業家として活躍し、500を超える企業設立に携わりました。そこには現在も続く数々の大企業もあり、日本の経済に多大な影響を与えました。

また社会貢献にも熱心で日本赤十字社の設立関東大震災復興のために寄付金集めなど、これらの活動にも実業家の中でも最も情熱的に取り組んだと言われています。

また一橋大学や日本女子大学の設立に参加し、日本の経済、文化、教育などの礎を一人で築くくらいの偉大な功績を数々残しました。そんな栄一は過去2回ほどノーベル平和賞にノミネートもされています。明治の日本の躍進に大きく貢献した渋沢栄一は1931年、92歳で息を引き取りました。

渋沢栄一のことば

渋沢栄一 イラスト

できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である。

どのような時代にも仁と義と利とは並行するものであり、決して相反するものではないと私は信じている。

事業には信用が第一である。世間の信用を得るには、世間を信用することだ。個人も同じである。自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。

たとえその事業が微々たるものであろうと、自分の利益は少額であろうと、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで仕事にあたることができる。

限りある資産を頼りにするよりも、限りない資本を活用する心掛けが肝要である。限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である。

本当の商業を営むには私利私欲ではなく、公利公益であると思う。

信用はそれが大きければ大きいほど、大いなる資本を活用することができる。世に立ち、大いに活動せんとする人は、資本を造るよりも、まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。

欲の強い人ほど不義に対してはかえって弱く、欲の淡い人ほど正義に立って剛いものである。

参考・引用した文献

言葉から見た、渋沢栄一てこんな人!

私益より公益を大切にした人。

渋沢栄一が行なった数々の歴史に残る偉業は、1人の人間によってなされたものだと信じられないほど多岐にわたります。

彼が自分の成功だけで終わらなかったのは、自分よりも国や社会の発展を重要視していたからだと、成してきた偉業と言葉たちから感じさせられます。

また自分が死んだ後も家族や親戚に残した財産はわずかなもので、結果的に残りは社会に還元されました。

私益よりも公益を大切に。自分が生きる意味をより大きなもののために見出した人。それが渋沢栄一でした。

渋沢栄一の名言からの学び。[信用される生き方]

資本よりも信用を求める

渋沢栄一の言葉には事業で大切なのは「信用」であるという内容が多く出てきます。

何か事業を始めようとするとき、「利益」というものはいつもついて回ります。当たり前ですが利益がないと事業の継続性を保つのは困難です。

そんな利益を第一に考えるのは間違いではないですが、その利益は得てして信用から発生するものです。そしてその信用は私益に走らず公益的である人に集まるものであると、渋沢栄一の名言たちに触れ、そう感じさせられました。

逆説的ではありますが、利益を得たいのであれば、まずはそれを一番最後に考え、公益的な行いをする。人のためになり、心から喜ばれる行動が、信用へと変化して自分のところへ帰ってくる。

資本よりも信用を求める

明治の日本の発展に貢献し、死ぬまで公益的に生きた渋沢栄一の言葉からそれを学びました。

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