信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
1984年から2007年まで日本の5000円札の肖像画として馴染み深い新渡戸稲造
「武士道」という本を書き、日本人を世界に伝え人でもあります。文化と教育という側面で、日本と世界の橋渡しとして活躍した新渡戸稲造の名言とそこからの学びを紹介します。
新渡戸稲造とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
幕末の時代、岩手の盛岡で生まれる
新渡戸稲造は1862年に盛岡藩士の三男として生まれます。
幕府陥落、鎖国が終わると、一気に西洋の波が日本に押し寄せます。新戸部家にも西洋の品が多くあり、また家の近くのお医者さんから英語を習っていたこともあり、稲造は自然と西洋に憧れを抱くようになります。
武士の時代が終わり、これからは学問の時代だと考えた稲造は、新しい学問を求め、たった9歳で兄と一緒に東京の叔父のところへ移り住みます。
13歳になると東大の前身の1つでもある東京英学校に入学し、そこで内村鑑三らと出会います。
札幌農学校へ
15歳の時、北海道開拓の人材育成学校である札幌農学校の募集があり、稲造は内村鑑三や佐藤昌介と共に北海道へ行きます。
「少年を大志を抱け」の言葉で有名なクラーク博士を招き、作られた札幌農学校ですが、稲造たちが入学した時には、博士はすでに帰国していました。クラーク博士は8か月の短い期間しか学校にいませんでしたが、学問の礎となる多くの教えを残していきました。
その1つがキリスト教による心の教育で、学校でも学生に聖書を配り、キリスト教を教えていました。のちに日本の代表的なキリスト教指導者となる内村鑑三もここで聖書と出会い入信していくのでした。
稲造はさらに熱を入れ勉学に励みますが、読書のしすぎで目を悪くし、この頃からメガネをかけるようになります。
奥さんはアメリカ人
その後、稲造は東京帝国大学(のちの東大)に入るために東京に戻りますが、その頃から海外と日本の学問との間に差を感じ始めます。そして「もっと新しい学問を学びたい。日本と世界をつなぐ、太平洋の架け橋になりたい」とアメリカへの留学を決断します。
札幌農学校の時からキリスト教を信仰していた稲造ですが、この頃、説教や礼拝などカタチだけの習慣を信仰している伝統的なキリスト教に次第に懐疑的になり、クエーカー派と呼ばれる賛美歌や礼拝もない、ただ神に祈りを捧げる一派の集会に顔を出すようになります。
そこで出会ったのがのちに妻となるメアリーでした。ドイツへの3年間の留学を経て、二人は結婚。稲造はメアリーと一緒に日本に帰国します。
武士道の出版と国際連盟事務次長
稲造は日本人が持っている奥ゆかしい独自の道徳観を、「武士道」という本にまとめ、英語で出版します。アメリカでベストセラーとなったこの本は、ドイツ語、フランス語、ポーランド語、ノルウェー語など、様々な言語に翻訳され、日本文化を海外の人たちに広く知らせるものとなりました。
のちの大統領セオドア・ルーズベルトもこの「武士道」にとても感銘を受け、60冊ほど買い、子どもや知人に配ったといいます。
これにより国際的に知名度を上げた稲造は、日本代表として国際連盟の事務次長に就任し、スイスへと渡ります。またそこで現在のユネスコの前身となる国際知的教育委員会を立ち上げ、そこにキュリー夫人やアインシュタインを引き込むなど、大きな業績を残します。
晩年は日本に戻り、世界と日本の橋渡しに奮闘しますが、日本は国際連盟を脱退し、第二次世界大戦に突入してしまいます。稲造は日本と世界の平和のために各地を飛び回りますが、その途中のカナダの地で病気になり、この世を去ります。
新渡戸稲造の名言
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。
いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、おのれに十五分の力があることがわかってくる。
武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。
バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である。
真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行との間にある。
もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である。
勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る方の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。
勇気が人の精神に宿っている姿は、沈着、すなわち心の落ち着きとしてあらわれる。
言葉から見た、新渡戸稲造てこんな人!
日本と世界の橋をかけた侍
「武士道」を書いた新渡戸稲造の言葉には、サムライ魂を感じる言葉がありました。
自身も武士の家柄出身ということもあり、日本人の心、道徳心を武士の中に見出していた新渡戸稲造。彼が唱える武士道は品性でした。威張り、力を誇示するのではなく、奉公の精神で皆に優しく、謙虚である。
新渡戸稲造は大学の教授としても活躍しますが、多くの学生が彼の授業を求め、彼の人格を慕っていたといいます。
日本のために、世界のために
自分ができる奉公は何なのかをいつも考えていた新渡戸稲造は世界と日本との橋渡しとなった一人の侍でした。
新渡戸稲造の名言からの学び。「立ち止まることも勇気である」
自分の意思で進み、自分の意思で止まる。
新渡戸稲造の言葉の中には「勇気」という文字をよく見かけます。
彼が考える勇気とは強さであり、優しさであり、落ち着きでもあります。一歩踏み出し挑戦することも勇気が必要ですが、周りに流されす、その場にとどまることも勇気が必要です。
新渡戸稲造はどちらの勇気も必要で、2つが合わされば真の勇気になると言いました。進むのも、止まるのも、自分の意思が必要です。特に周りの流れに逆らった行動となるとなおさらで、みんなが進んでいる時に止まること、自分一人だけ別行動だと急に孤独で、不安に襲われます。
そんなマイナスな気持ちに勝つ勇気を支えるものは自分の中にある価値基準であると感じます。
何を一番大事にしているのか。
その基準が決まっている人は行動も明確です。一心不乱にお金を稼ぐ人もいれば、出世や高給など気にもとめず家族との時間を大切にする人もいます。どちらにも執着しない人もいるでしょう。
どこに自分の価値の基準を立てるか。
それが決まっていたら。あとはそのために行動するだけなのです。勇気につながる行動は自分の価値観を決めることから始まる。
世界平和という大きな価値観を持った新渡戸稲造の言葉からそれを学びました。