沈黙の春の名言|レイチェル・カーソンの本の名言からの学び

沈黙の春の名言からの学びのイラスト1 本の名言

今回の本の名言で取り上げたのはアメリカの作家・生物学者であるレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」です。

レイチェル・カーソンは幼少期から作家になることを夢みて、子供雑誌に自分の作文を投稿していました。成績も優秀で大学は文学部に入りますが、次第に生物学に興味を持ち、生物研究に没頭するようになります。大学卒業後は文学と生物学の知識で活躍し、沈黙の春をはじめ世界的ベストセラーの本を残しました。

沈黙の春」は1962年に出版されました。DDTをはじめとする農薬や殺虫剤の恐ろしさを世界で初めて訴え、動物だけでなく、人体にも多大な悪影響を及ぼすと提唱しました。

また特定の生物を死滅させることによる生態系の乱れを危惧し、人間の都合で自然、生物をコントロールしようとすることの問題が様々な事例をもとにつづられています。

沈黙の春は発売から半年で50万部を売り上げ、時代を超えるベストセラーとなります。人類と密接に関わり続けている環境問題、現代でも様々な問題が残る中、地球に住むいち生物としての視点から、生きることについて考えさせられる一冊です。

著者レイチェル・カーソンの紹介

レイチェル・カーソンは1907年にアメリカで生まれます。父親は農業を営み、自然に恵まれた環境で育ちました。

小さい時から本を読むことが好きだったレイチェルは、自分でも文章を書き始め、将来は作家になろうと雑誌に自分の作文を投稿していたといいます。

学校での成績も優秀で、大学はペンシルベニア女子大学の文学部に入学します。しかし2年生の時に受けた生物学の講義で自然の神秘に深く感銘を受け、文学部から専攻を変え、生物の研究に勤しむようになります。

学生生活を終えると、臨時講師などをしながら、研究を続けました。その後、シナリオライターとして働き始めたことを転機に、「潮風の下で」や「われらをめぐる海」などの本を出版し、作家として活動するようになりました。

そして生物の大量死に環境汚染が関係していると、いち早く気づいたレイチェルは「沈黙の春」を発表し、環境問題という大きなムーブメントを起こします

この本を執筆中から癌を患っていたレイチェルは出版の2年後に51歳でその生涯を終えました。

レイチェル・カーソンについてはこちらに詳しく書いています↓

沈黙の春のあらすじ

沈黙の春は、当時アメリカをはじめ世界で使用されていたDDTをはじめとした農薬、殺虫剤の危険性を、具体的な事例や研究データをもとに詳細に解説していく、その流れを一貫としています。

1950年代は危険性も疑われず大規模に使用されていた農薬類。生物、人間の死にも直結するような化学物質もいくつもあった中、その危険性を強く主張しているのが印象的です。

また文明の発達により人間が自然をコントロールしようとする流れを危惧し、人を地球に生きる一つの生物という視点から、どのように生きるべきかの大きな問いを投げかける形で締めくくられています。

沈黙の春の名言

沈黙の春の名言からの学びのイラスト3

時をかけて――それも何年とかいう短い時間ではなく何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命との環境のバランスができてきた。時こそ、かくことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時そのものが消えうせてしまった。

ただ野生の花は美しい、という理由だけで、道ばたの草木を守れ、と言っているのではない。秩序ある自然界では、草木はそれぞれ大切な、かけがえのない役目を果している。道ばたの生垣になっている低木や、畑と畑との境に植えてある草木は、小動物のすみかとなったり、また鳥が巣をかけたり、餌をあさるところなのである。

最上でしかもいちばん安あがりの防除方法は、化学薬品ではなくて、ほかの種類の植物なのである。

最近の医学では、エネルギーを生み出す個々の細胞の機能が脚光をあびている。生命をして生命たらしめているこのエネルギー、このものすごいエネルギーを生み出すメカニズムのおかげで、私たちは健康でいられるばかりでなく、生きることができるのだ。生きていくのに何がいちばん必要かといって、これに及ぶものはない。

のぞみさえすれば、この危険な度合をへらすことができる。二十億年あまりにわたって 原形質生物から進化し淘汰されてきたこの遺産を守ることができる。この遺産は、私たち一代かぎりで使っていいものではない。きたるべきつぎの世代へと大切につたえていかなければならないのだ。だが、私たちは、その保全を心がけて行為することがあまりにも少ない。

昆虫防除に化学薬品を使い出してから、私たちは二つのきわめて重大なことを見落していた。まず、人間ではなくて、自然そのものの行うコントロールこそ、害虫防除に本当に効果があるということ。害虫の個体群は、生態学者のいう環境抵抗によってチェックされているが、これこそ生命がこの地上に誕生してから、変ることなく行われてきたいとなみといえよう。

愚かなことに、私たちは天敵を殺してみてはじめてそのありがたさに気づく。自然のなかを歩いても、その美しさに気づく人がほとんどいないように、自然の不思議、私たちのまわりでいとなまれている不思議な、ときにはおそろしいばかりの力に溢れた自然を見る人はいない。

私たちは、いまや分れ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。

沈黙の春|レイチェル・カーソンの本の名言からの学び

沈黙の春の名言からの学びのイラスト2

人間として生きていくということ

人類は地球上で、最も多くのものを与えられた生き物でしょう。大きな文明を築けるほどの知恵と力を持ちました。

しかしその発展は自然の力なくしては決して成し遂げられなかったでしょう。現在でもほぼ全てのものを我々は地球に存在するあらゆる自然から享受しています。

しかし、当たり前のように存在するそれらの物に、人は目を向けるのを忘れがちだと、感じさせられます。それだけでなく「もっと、もっと」という欲望のまま、時には自分たちにとって害となるものを排除する。

全てが自分たちのものとも捉えられるような欲に任せた行動により、人間は環境を破壊し、地球のバランスを崩してきました。

人という生物がここまで発展したのには、きっと何か意味があることなのでしょう。しかし大きな力を持ったものには大きな責任が伴うことであると、この本を読んで強く感じさせられました。

一つの生き物を絶滅させるような力を持つ我々は、与えられた環境、自然、生物に対しての責任と心配りを持ち、生きていくことが大切であり、そんな小さな意識が日々の行動を変えていくのだと、今回の沈黙の春の言葉から学びました。