苦悩を通して、歓喜に至れ。
偉大な音楽家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
ベートーベンはそれまで貴族に仕えていた音楽家とは一線を画し、市民など大衆に向けた活動をしたことで、音楽の新しい道を示しました。その中で「運命」や「第九」といった誰もが聞いたことのある名曲を生み出していきます。
今回はそんなベートーベンの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「運命を変える生き方」について考察します。
ベートーベンとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
音楽家の家系に生まれる
ベートーベンは1770年にドイツの小都市、ボンに生まれます。祖父は宮廷の楽長をつとめ、父も楽団の歌手を仕事にするなど、音楽家の家系で育ちました。
しかし父親は酒に溺れた生活をおくり、家族の暮らしは祖父の稼ぎによって支えられていました。そしてベートーベンが3歳の時に祖父が亡くなると一家は一気に貧困に陥ってしまいます。
歌手としての仕事もほとんどなかった父は当時若くして名声を得ていたモーツァルトに影響を受け、稼ぎのためにとベートーベンを音楽家にしようと考え、厳しい音楽教育をするようになりました。
10代から音楽で家族の生活を支える
ベートーベンは10歳で小学校をやめ、作曲家に弟子入りし音楽漬けの毎日をおくります。そして14歳の時には宮廷でオルガン奏者として働くようになり、10代の時から父親に代わり家計を支える立場となります。
そのように音楽を続けたベートーベンは16歳の時に憧れていたモーツァルトの弟子になりたいと、彼がいるウィーンまで訪ねて行きます。
ベートーベンのピアノの実力はモーツアルトから見ても感心するもので、弟子入りを認められますが、喜びも束の間、母親の体調が悪いとの知らせを受け、急遽ドイツに戻らなければならなくなりました。そして母親はそのまま回復することなく亡くなってしまいます。
28歳の時に聴覚障害
その数年後には父親も亡くなり、22歳となったベートーベンは2人の弟を養いながら音楽家を続けることとなります。同じくしてモーツァルトも亡くなってしまったため、ベートーベンは作曲家のハイドンに弟子入りし、25歳でピアノ協奏曲を発表します。
ベートーベンのピアノは多くの人の心を惹きつけ、また即興演奏が得意だったため、若き天才ピアニストとして注目されるようになりました。
しかし28歳の時、耳が聞こえづらくなる難聴に悩まされると、症状は次第に悪化していき30歳の時にはほとんど聞こえなくなってしまいます。
音楽家にとって命とも言える聴覚を悪くしてしまったベートーベンは絶望にくれ、弟に遺書まで書き残し自殺を考えますが、音楽への情熱からギリギリでそれを思いとどまります。
困難を乗り越え数々の名曲を生み出す
それからベートーベンは以前にも増して音楽に打ち込み、34歳からの10年間は傑作の森と呼ばれるほどに「運命」「田園」「エリーゼのために」などなど、数々の名曲を残します。
そして54歳の時に「第九」として有名な交響曲第9番を発表。この頃にはベートーベンの聴力は失われていたといいます。初演には多くの市民も訪れ、演奏が終わった時には大きな喝采がベートベンにおくられました。
聴覚障害患いながらそれを乗り越え、時代を超えて愛される数々の名曲を残した天才作曲家ベートーベンは1827年に56歳でその生涯を終えました。
ベートーベンの名言
もしも病状が良くならなくても私の覚悟はできている。自分を不幸だと思っている人間は、自分と同じ1人の不幸な者が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家、価値ある人間の列に加えられんがため、全力を尽くしたことを知って、そこに慰めを見出すことができるだろう。
私の心と魂は、子供の頃から優しさと、大きな夢をなしとげる意欲で満たされて生きてきた。
神がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かう。
真に称賛できる人物とは、逆境に直面したときに、自分の生き方を貫ける人間なのだ。
人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。
ぼくの芸術は、貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない。
今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ。我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい。そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。
こんな私が無から曲を作り得ること自体が、神の存在する証拠なのだ。
言葉から見た、ベートーベンてこんな人!
苦悩の中、強い情熱を持って生きた人
音楽家の家に生まれ、幼い頃から音楽に親しみ教育を受けてきたベートーベン。しかしそれはただの楽しみだけではなく、家族を養うためのものでもありました。
そんな重圧のかかる環境の中でも彼は音楽に没頭し、それに喜びを見出します。そんなベートーベンをおそったのが耳の障害でした。
日に日に聞こえなくなり悪化する症状に、音楽家としての未来に対し絶望したことは言うまでもありません。苦難のなか自殺すら考えた時に最後に残ったのが熱い音楽への想いでした。
「私の心と魂は、子供の頃から優しさと、大きな夢をなしとげる意欲で満たされて生きてきた。」
という彼の言葉にもあるように、立ち上がれないような困難を受けれも、それ以上にその先にある希望を信じ生き抜きました。
そんなベートーベンの生き様から生み出された曲たちは、それまで貴族の娯楽であった音楽から大衆へ向かい、またフランス革命などの時代背景の中、より自由へ向かう歓喜メッセージとなりました。
苦悩の中、強い情熱を持って生きた人。それがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンという人でした。
ベートーベンの名言からの学び。[運命を変える生き方]
情熱が運命を変える
今回のベートーベンの名言で印象的だったのが「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ。我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい。そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」という言葉でした。
少年時代からその才能は評価されながらも、彼が背負った運命は治らない障害を若くして背負って生きる苦悩でもありました。絶望にくれ、死をも考えたベートーベン。その苦しみや悲しみは残された言葉にも表れています。
しかしベートーベンはクラシック音楽に詳しくない人でも一度は耳にしたことがある「運命」や「第九」などの名曲を数々残しました。そしてそんな曲たちのほとんどは彼が耳を悪くしてから生み出されたものでした。
ベートーベンが患った障害の確かな原因はわかっていなく、必然か偶然か、彼の運命は音楽家として生きる上で最も困難な道を選びました。
苦難や逆境と呼ばれるものは、とかく理不尽とも取れるような状況でも降りかかるものでもあります。
運命はあらかじめ決められているものなのかどうか。今回のベートーベンの言葉に触れ、それを強く考えさせられました。
良くも悪くも運命というものは存在し、それぞれに定められたものかもしれません。しかしそれは決して不変なものではないはずです。その運命を受け入れ、乗り越えようとする強い気持ちと行動があれば新たな道を作り、生きることができる。
ベートーベンの言葉と、音楽に情熱を燃やし苦難を乗り越え残した名曲という軌跡にそんな運命を変える生き方を教えられました。
情熱が運命を変える
障害を乗り越えた偉大な音楽家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名言からそれを学びました。