築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為である。
イギリスの政治家ウィンストン・チャーチル。
第二次世界大戦で猛威を振るったヒトラー率いるドイツに立ち向かい、ヨーロッパの危機を救ったイギリスの英雄です。
今日はそんなチャーチルの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「勇気から始まる」について考察しました。
ウィンストン・チャーチルとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
勉強嫌いで成績は最下位
チャーチルは1874年、ロンドンのブレナム宮殿で生まれます。父は公爵家の三男で保守派の政治家、母親はアメリカ富豪の令嬢でした。
チャーチルが2歳の時に一家はアイルランドに移住します。彼は幼少期から家庭教師に勉強を教わるも、勉強嫌いの子供でした。
そしてイギリス総選挙にともなって一家は再びイギリスに戻り、チャーチルは8歳の時に学校に通い始めます。しかし、成績は全教科で最下位で、運動も得意ではなかったため、落ちこぼれとして問題児扱いされていました。
士官学校を卒業し軍隊へ
その後の学校生活でもあまり成績は上がらずでした。しかし文章を書くのが好きだったチャーチルは学校の校内雑誌に記事を投稿したり、詩も書いていたと言います。
18歳になると成績の悪さから大学ではなくサンドハースト王立陸軍士官学校に入学します。小さい頃から軍隊に憧れていたこともあり、士官学校卒業の時には好成績を残しました。
その後は軍隊に入り騎兵隊に配属されるも実戦の機会はあまりありませんでした。そのため自ら志願し独立戦争中のキューバへ行き、スペイン軍に帯同するなど行動力を発揮します。
26歳で政治家の道へ
1899年に軍を除隊すると政治家を目指し保守党の候補として立候補しますが、あと一歩のところで落選します。しかしその後起きたボーア戦争の影響で解散総選挙が行われると、再び出馬し26歳で初当選を果たします。
しかし自由貿易を支持していたチャーチルは保守党の政策と対立するようになり、すると1904年には自由党に移ります。その後は海軍大臣や内務大臣などを歴任しました。
1930年に入るとヒトラーがドイツで権力を持ち始めます。それにチャーチルは警鐘ならしますが、イギリスはドイツに対して融和政策をとります。
しかし1939年にドイツがポーランドへ侵攻し第二次世界大戦が勃発します。ここでやっとイギリスは対ドイツへと傾倒しますが、ドイツの勢いは凄まじくチャーチルが首相になった当日にベルギー、オランダに攻め入り、その5日後にはフランスを陥落させてしまいます。
イギリスの英雄へ
これによりヨーロッパのほとんどの国がドイツの占領下に置かれる状況が出来上がり、アメリカも沈黙。イギリスは孤立し絶体絶命の状況でした。
そんな中、ヒトラーはチャーチルに和平交渉を持ちかけますが、チャーチルはこれを拒否し徹底抗戦の姿勢を貫きます。ドイツ軍はイギリスに攻め入りますが、チョーチルのもと士気の高まったイギリス軍はこれをなんとか食い止めます。
その後イギリスはアメリカと、ソ連と同盟を結び、1944年にノルマンディー上陸作戦によりパリを解放、一気に形勢を逆転します。そして1945年にドイツが降伏し、ヒトラーの脅威から世界は守られました。
1965年にチャーチルは90歳で息を引き取りますが、この時の働きは現代でも色あせずイギリスの国民的英雄として語り継がれています。
ウィンストン・チャーチルの名言
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う。
成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である。
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。
勇気とは、起立して声に出すことである。勇気とはまた、着席して耳を傾けることでもある。
勇気がなければ、他のすべての資質は意味をなさない。
成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。
私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を言われようと何ともない。害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
言葉から見た、ウィンストン・チャーチルてこんな人!
いくどの失敗を重ね成功をつかんだ人
チャーチルの人生は多くの失敗に溢れていました。
幼少期は勉強ができず問題児扱いされ、士官学校も2回の受験失敗を経てようやく入学、軍隊に入るも先走った行動から損害を出し、指揮官として先頭に立った第一次世界大戦では作戦失敗により多くの犠牲者を出してしまいました。
しかしその度重なる失敗が多くの経験をチャーチルにもたらし、一歩ずつ成功へと導きました。それは彼の「成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である」という言葉からも感じ取れます。
いくどの失敗を重ね最後に大きな成功を成し遂げた人。それがウィンストン・チャーチルでした。
ウィンストン・チャーチルの名言からの学び。[勇気から始まる]
勇気からすべてが始まる
フランスが負け、孤立した状況に立たされたイギリスはまさに絶体絶命でした。それほどヒトラー率いるドイツの勢いは凄まじく、ヨーロッパを恐怖で覆いました。
そんな時、最後の砦となったのがチャーチルがリーダーとなったイギリスでした。負けるのが当たり前、膨大な被害を被るかもしれない状況下で、巨大な敵に対する心境は計り知れません。
しかしチャーチルは対抗姿勢を曲げず、イギリスは最後までドイツの本国上陸を許しませんでした。チャーチルは「勇気がなければ、他のすべての資質は意味をなさない。」と言ったように、彼の勇気が国に伝染し、最後はドイツに打ち勝ちました。
多くの高い能力を持っていたとしても、使うタイミングや状況を間違うと意味をなさない。適切な時に適切な行動をとれるかどうか。
それは能力の高さで決まるのではなく、心の強さであり、勇気によって決まるのだとチャーチルの言葉に触れて感じました。
勇気からすべてが始まる。
ヨーロッパを救ったイギリスの英雄ウィンストン・チャーチルの言葉からそれを学びました。