真の芸術作品は、神が与える完成の影に他ならない
イタリアの彫刻家、ミケランジェロ
ルネサンス期に幼少期から活躍した芸術家で、特に代表作としてあげられる「ピエタ」や「ダヴィデ象」彫刻はその完成度の高さから、奇跡の彫刻と呼ばれていました。
今回はそんな天才芸術家ミケランジェロの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「無駄な努力はない」について考察します。
ミケランジェロとは?どんな人? 生涯・経歴を紹介
13歳で画家の弟子となる
ミケランジェロは1475年にフィレンツェ共和国(現在のイタリア)で生まれます。父親は政府の仕事や採石師、農場経営など様々な仕事をしていました。
父親はミケランジェロに学問を学ばせようと考えますが、ミケランジェロは学問よりも教会などの絵画を見るのを好み、結局13歳で画家のドメニコ・ギルランダイオに弟子入りすることになります。
ミケランジェロは14歳でドメニコから一人前の画家と認められるなど、早くからその才能を開花させていきます。また15歳の時にはフィレンツェで最大権力を持っていたメディチ家が創ったアカデミーにも参加しました。
メディチ家のアカデミーに参加
このアカデミーでミランドラやポリツィアーノなどの有名な詩人とも交流し、ミケランジェロは彼らからも多くの影響を受けました。
しかし17歳の時に彼の活動を支援していたロレンツォデ・メディチが亡くなり、またフランス軍の侵攻によりメディチ家は国外追放されてしまいます。支援先を失ったミケランジェロは一度ボローニャに移住します。
その後再びフィレンツェに戻ったミケランジェロは国外のメディチ家から彫刻の依頼を受け、細々と制作を続けていました。そんな時ローマのカトリック教皇がミケランジェロの彫刻に感銘を受け、ローマに来るよう打診します。
20代で代表作を残す
ローマに移住した時のミケランジェロの年齢はまだ21歳の若さでした。その翌年1497年には代表作として知られる「ピエタ」の制作をフランス大使から依頼されます。
この彫刻は大きな評価を得て、ローマでもミケランジェロの才能は広く知られるようになりました。その数年後、ミケランジェロは故郷のフィレンツェに帰還します。
フィレンツェに戻るとすぐに彫刻依頼を受けたミケランジェロ、それが自身の中でも最も有名とされる「ダヴィデ像」でした。ミケランジェロがダヴィデ像を完成させたのは29歳の時でした。
晩年まで制作に打ち込む
この作品により揺るがない評価を得たミケランジェロは、その後もフィレンツェだけでなくローマからも彫刻や絵画の依頼が舞い込み、制作に追われる日々を送ります。
その後再び住居をローマに移したミケランジェロは亡くなるまでローマで過ごします。
最後はヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の改築設計とデザインを担当していましたが、その完成を待たずに88歳でその生涯を終えることとなりました。
ミケランジェロの名言
芸術家が名声を得るのは、決して幸運や偶然の力ではなく、真摯な努力と勤勉の結果である。
絵画なるものは、彫刻に似ているほど良く、彫刻というものは、絵画に似ているほど悪い。絵画と彫刻には、月と太陽ほどの、違いがある。
私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねているかを知ったら、芸術家になりたいとは誰も思わないだろう。
美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない。
どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。
羅針盤は手の中にではなく、目の中に持つことが必要だ。何故なら、手が実行し、目が判断するからだ。
やる価値のあることなら、たとえ最初は下手であっても、やる価値がある。
言葉から見た、ミケランジェロてこんな人!
見えない努力をし続けた天才
ミケランジェロは「万能の人」と呼ばれるように、主な活動としていた彫刻以外にも画家や建築家、詩人としても活躍していました。
また代表作とされる彫刻の「ピエタ」や「ダヴィデ象」はその完成度の高さから奇跡の彫刻と評価されていました。これらの代表作も20代のうちに製作されたと考えると、その才能の凄さを改めて感じさせられます。
まさに天才といえるミケランジェロですが、意外なことに彼の言葉の中には「努力」という文字がよくみられます。
「私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねているかを知ったら、芸術家になりたいとは誰も思わないだろう。」
この言葉を見ると、他人が見ていないところでどれほどの努力を積み重ねてきたのかが、伝わってきます。
努力という過程なくしては、いかなる天才も人を感動させる結果を残すことはできないのでしょう。
見えない努力をし続けた天才、それがミケランジェロという人でした。
ミケランジェロの名言からの学び。[無駄な努力はない]
意志を持った努力をする
今回のミケランジェロの名言で印象的だったのが「やる価値のあることなら、たとえ最初は下手であっても、やる価値がある」という言葉でした。
何か新しいことを始めたとき、挑戦した時、多くの人は大きな壁にぶつかります。
自分のあらゆる「足りなさ」に打ちひしがれ、うまくできない時には「こんなことしてていいのだろうか?」と迷走し、悲観してしまうことも多いと思います。僕もそうです。
そんな心が沈んだ時に立ち返るべきなのが「なぜこれをやりたいと思ったのか」という気持ちです。そしてこれをやることで自分や周りの人、はたまた社会にとってどんな影響があるのか、というやることの意味です。
このように立ち返った時、答えがちゃんと見つかるのであれば、きっと、もう一度立ち上がり進んでいけるはずです。
そしてたとえやりたいことが実現されなかったとしても、実現まで向かう努力という過程はきっと無駄にならず自分の中に残るはずです。
大切なのは何の為に何を成したいのか、という意志です。
そんな意志を持ち、努力をすることの大切さを、偉大な芸術家ミケランジェロの名言から学ぶことができました。