たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。
キリスト教の修道士、マルティン・ルター。
16世紀に起こった宗教改革の発起人として知られ、現在もキリスト教の中心的宗派であるカトリック、そしてこの宗教改革により、次に多い宗派であるプロテスタントが誕生しました。
そんな巨大宗教の歴史を動かしたマルティン・ルター。今日はそのルターの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「今の常識を疑え」について書いていきます。
マルティン・ルターとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
厳格な父親のもと勉学に励む
マルティン・ルターは1483年に現在のドイツにある小さな村アイスレーベンで生まれました。父は農夫の出身であったものの、農民として生きる以外の道を模索し、鉱山で鉱夫として働いた後、自営で溶鉱炉を持ち、市会議員にまでなった人でした。
そんな成り上がりの人生を歩いてきた父親は子どもたちにも厳しく対し、向上心を持つように育てました。ルターもそんな父親の願いを受けるよう懸命に勉学に取り組みます。
5歳の頃からラテン語の学校に通い始め、また13歳になると家から離れた地域の学校に行き、大学に行くための教育を受けました。
嵐が人生を変えるターニングポイント
そして18歳の時に法律家を目指し、エアフルト大学に入学します。22歳の時にはロースクールに入りますが、その年彼の人生を動かす出来事に遭遇します。
ある日、自宅を出て学校に向かっている道中にルターは激しい雷と落雷に見舞われます。「ここで自分は死ぬかもしれない」そう感じたルターはとっさに「聖アンナ様、助けてください。私は修道士になります」という言葉を発したといいます。
これを自分の心からでた誓いであると悟ったルターは両親や友人の反対を押し切り、なんと大学を辞め、聖アウグスティヌス会修道院に入ることとなります。
修道士になるも大きな悩みを抱く
今までと全く違った修道院の生活にもすぐに適応したルター。しかし厳しい修行を行い、聖書を読み、祈りを捧げても心に平安は得られることはなく、悩み続けていました。
そんな悩みの中でも修道士として大学で神学や哲学を教え、神学教授としても活動するようになります。また同時に当時のカトリック教会で盛んに販売されていた免罪符(罪を軽減する証)などの観念的な信仰や腐敗した組織体系にも強い疑問を持っていました。
そんな時、聖書にあるロマ書を読んだルターは「人は善行ではなく信仰によってのみ義とされる。」「人間を義とするのは、すべて神の恵みであるという」という悟りを得て、長年抱いていた悩みから解放されました。
免罪符を批判し宗教改革へ
そして1517年にルターは宗教改革の発端とされている「95か条の論題」を発表し、そこで免罪符を堂々と批判しました。ラテン語で書かれたこの文章はすぐにドイツ語に翻訳され、国中に広まり、ルターと同時期に教会に不信感を持っていた人たちの心に火をつけるものとなりました。
1521年にルターは正式にカトリック教会を破門されますが、宗教改革の動きは止まることなくヨーロッパ各地にまで広がり、その後カトリック教会からプロテスタントへの分離へと繋がっていきました。
現在世界で22億人以上の信者を持ち、世界最大の宗教とされているキリスト教。そんな巨大宗教の分岐点となり、その後の人類思想や文化にも多大な影響を与えることとなったマルティン・ルター。最後は自身の故郷の村で62歳の時にその生涯を終えました。
マルティン・ルターの名言
誰が正しいと言おうとも、自分の良心に反するのならば、それは正しくない。
希望は、強い勇気であり、新たな意志である。
どんなに知恵があっても、これを使う勇気がなければ何の役にも立たないように、いくら信仰が厚かったとしても、希望がなければ何の価値もない。希望はいつまでも人とともにあって、悪と不幸を克服する。
悲しむ理由よりもっと多く、喜ぶ理由が私たちはある。
あなたの良い行いを必要としているのは神ではありません。隣人です。
人々の行動はすべて根底に希望があるのです。
あなたは発言したことにだけ責任を負うのではない。発言をしなかったことにも責任を負うのだ。
言葉から見た、マルティン・ルターてこんな人!
明日に希望を持ち続けていた人
ルターが生まれたのは現在のドイツに当たる地域でしたが、当時のその地域は神聖ローマ帝国が支配しており、それはドイツだけでなくチェコ、オーストリア、イタリア北部を含む巨大国家でした。
そしてそのローマ帝国の国教となっていたのが、ローマカトリック、キリスト教だったのです。しかし権力があるところにはどこにでも黒い欲望が渦巻いており、教会では聖職者の堕落行為や免罪符による経済活動による腐敗が起こっていました。
その時、そこにメスを入れたのがルターでした。多くの人が不満を持ちながらも行動を起こせない中、彼は自分の信じる信仰を貫き、大きな変革を起こしたのです。
ルターの行動は腐敗したキリスト教から離れ、それとの関係を断つのではなく、教会の変化を願うものでした。それは彼が心から信仰を持ち、未来のキリスト教に希望を持っていたからでしょう。
それはルターの「希望は、強い勇気であり、新たな意志である。」という言葉からも感じ取ることができます。
明日に希望を持ち続けていた人。それがマルティン・ルターという人でした。
マルティン・ルターの名言からの学び。[今の常識を疑え]
自分の心で本質を見つける
今回のルターの名言で心に残ったのが「誰が正しいと言おうとも、自分の良心に反するのならば、それは正しくない。」という名言でした。
国の宗教となっていたカトリック、キリスト教。また宗教という特性上、それはまず「信じること」から始まります。ルターが強く疑問を呈した免罪符も、お金を払うことで罪が軽減されるというもので、人々はそれを信じ購入していたのです。
しかしルターは自分自身の心が悔い改め、善なる行いをしないかぎり罪はなくならないと考えました。反省の心もなく、ただお金を払うことのみで罪が消えるといことへの矛盾を強く感じたのです。
そしてルターはその免罪符に異を唱え、その主張は多くの人の心を動かし大きな変革へと繋がっていったのでした。
当時のローマで免罪符は人々の中の「常識」であったことでしょう。しかしルターによりその価値観が変わっていったように、常識とは時代とともに変化していくものです。
今現在、常識とされているもの。まわりが良しとしているもの。
それをただ単に流され受け入れるのではなく、まず疑い自分の頭で考えてみること。それが何事にも本質を求め、次なる変化を起こす上でとても大切なことなのだと、ルターの言葉に触れて感じさせられました。
自分の心で本質を見つける
常識を疑い改革を起こしたマルティン・ルターの名言からそれを学びました。