高杉晋作の名言からの学び。[変化を楽しむ生き方 ]

高杉晋作 画像 日本の偉人の名言

面白きこともなき世を面白く

江戸末期の時代に生きた長州藩士、高杉晋作

師匠である吉田松陰の思いを受け継ぎ、新しい時代を求め倒幕を目指し生きた偉人です。

今日はそんな高杉晋作の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「変化を楽しむ生き方」について書いていきます。

高杉晋作てどんな人?

  • 上級武士の家系に生まれる
  • 吉田松陰との出会いと、死
  • 尊王攘夷を目指し活動を始める
  • 倒幕を目の前にした無念の死
上級武士の家系に生まれる

高杉晋作は1839年に長州藩(現在の山口県)に生まれます。父親は長州藩の武士で、高杉家は戦国時代から有名な毛利家に仕えてきた名門でした。

上級武士の家系であった晋作は幼少期から武士としての在り方を教育されます。生まれつきあまり体が丈夫ではなかった晋作ですが、負けず嫌いの性格だったため、人一倍剣術に励みます。

学問では8歳で寺子屋に通い、14歳の時には長州藩の学校である明倫館に入学します。そして19歳の時には吉田松陰が開いた塾、「松下村塾」に入ります。

吉田松陰との出会いと、死

松下村塾は農民から武士まで身分に関係なく学ぶことができたため、様々な環境から優秀な生徒が集まりました。そんな塾内でも晋作は久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一らと共に四天王と呼ばれるなど、頭角を現していきます。

そして1年後には江戸に遊学し、大橋塾などで勉学に励みます。しかしその後すぐに倒幕に向けた活動をしていた師・吉田松陰が安政の大獄によってとらえられ、江戸の牢屋に幽閉されることになります。

江戸にいた晋作は松陰の世話、また手紙でやりとりしながら、松陰の志に触れ、自分の生きる道を模索します。長州藩の命令により故郷に帰ることになった晋作。その10日後に吉田松陰は死刑を宣告され、斬首刑に処されてしまいます。

尊王攘夷を目指し活動を始める

師松陰の突然の死に打ちひしがれた晋作ですが、志半ばで倒れた松陰の思いを胸に生きていくことを決断します。

そしてまずは松陰が生前、果たせなかった海外視察を行います。24歳の時、幕府の使節員として上海へ渡り、アヘン戦争の敗北によってイギリスやフランスの植民地になろうとしていた清の実情を目の当たりにします。

この視察により外国の力の強さ、不利な条件でアメリカと条約を結んだことにより、いずれ清と同じく日本もアメリカの植民地になるのではと危機感を抱き、尊王攘夷の動きを強めていきます

倒幕を目の前にした無念の死

その後、武士だけでなく、農民や商人など身分を問わず隊員になることができる奇兵隊を発足。また一時期イギリスやアメリカなどの連合軍と長州藩が戦った際には、悠然とした態度で和議交渉を成功させるなど、活躍します。

幕府との争いも激化する中、坂本龍馬らの働きにより1866年に薩長同盟が結ばれると、晋作は海軍総督として長州に攻め込んできた大多数の幕府軍に奇襲を仕掛け、これを退けます。

次第に幕府の力が弱まるに連れ、時代は一気に倒幕へと向かって行きます。しかし念願の倒幕を目の前にして晋作は肺結核を患ってしまいます

そしてその結果、29歳の若さでこの世を去ることとなりました。その後すぐに大政奉還が行われ江戸時代が終わり、明治という新しい時代へと進みます。

高杉晋作の名言

高杉晋作 イラスト

「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。

雑念をやめ静かなときも動くときも心を同じにするのがよい。何かひとつだけのことを考えるならば雑念が自然となくなり、素早く実行できる。

天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

世間の人々は名誉や利益を追って走っている。そんな時代に利益や名誉を捨てる僕のようなものが他にいるだろうか。僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。

「これぐらい大したものではない」と心で唱える。難しくて我慢できないことをこの方法で乗り切る。これは自分の中の神を見つめる心を研ぐ方法である。

戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。

直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ。

言葉から見た、高杉晋作てこんな人!

人の道を悟り行動した人

高杉晋作の人生は師匠である吉田松陰と同じく、とても短いものでした。その吉田松陰が願った道、新しい日本を実現しようと、松陰の死を受けて行動に移して行きました。

人として生きるということは、自分のためではなくより大きな存在のために生きるということ。

高杉晋作は日本という国のため何度も命を落とすような状況に落ちいっても、松陰から受け継いだ志を貫き、生きました。その姿勢こそ晋作にとって人として生きるということだったのでしょう。

それは彼の「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。」という言葉からも感じ取れます。

人の道を悟り行動した人。それが高杉晋作という人でした。

高杉晋作の名言からの学び。[変化を楽しむ生き方 ]

その時の感覚で生きる

今回の高杉晋作の名言で印象的だったのが「天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。」という言葉でした。

江戸の後期。大きく時代が動いている時に生きた高杉晋作の人生もまさに激動でした。幕府や外国とも戦いながらいつ死んでもおかしくないような状況を幾たびも越えてきました。

そんな時代の変化が大きい時に予想や予定は無意味なのかもしれません。自分にできる準備や事前に深く考えることはとても大切ですが、人知を超えたことは、その状況に立たないとわからないでしょう

そんな時、無駄に予想を立てるのではなく、まずその場所に立ってみる。そしてその時自分が感じた感覚で次を選択していく。

大きな時代の変化の中にある現代でも、その変わりゆくこと自体を楽しみ、その時その時で自分が信じる道を選ぶこともが切だと、高杉晋作の言葉に触れて感じさせられました。

死がすぐ間近にあるような大きな変化の時代で生き、自分の道を歩いた偉人、高杉晋作の言葉からそれを学びました。

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吉田松陰

倒幕の活動を行った長州藩士。松下村塾を開校し、高杉晋作の師匠として教育を行った。

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