怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ。
第16代のローマ皇帝、マルクス・アウレリウス
皇帝よりも学者になりたかったアウレリウスは、軍事以上に学問に精通し「哲人皇帝」と呼ばれていました。特に哲学を好み、アウレリウスが残した著書「自省録」は現代でも評価高く、読み継がれています。
今回はそんなマルクス・アウレリウスの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「命に対する向き合い方」について考察します。
マルクス・アウレリウスとは?どんな人? 生涯・経歴を紹介
6歳で皇帝から寵愛を受ける
マルクス・アウレリウスは121年にローマ皇帝に仕える貴族の子どもとして生まれました。法務官などを務めていた父はアウレリウスが3歳の時に亡くなります。
母親は教育熱心で、アウレリウスは小さい頃から一流の学者や家庭教師から学問を学びます。中でも古代ギリシャで生まれたストア哲学に強い関心を持っていました。
6歳で聖職の学校へ通うことになったアウレリウスは勤勉で優秀であったため、幼いながら当時の皇帝ハドリアヌスからも注目され、寵愛されていました。
18歳の時に後継者に指名
アウレリウスが18歳の時、叔父のアントニヌス・ピウスが皇帝となります。ハドリアヌスの命令で叔父の養子になることとなったアウレリウスは皇帝の後継者として指名されます。
その後、財務官や執政官などの皇帝に仕える仕事に就きますが、勉強が好きで哲学者になりたかったアウレリウスは仕事のかたわら、寝る間を惜しんで哲学の勉強に勤しみました。
39歳で皇帝に就任
そして161年、アントニヌス・ピウスが亡くなったことで、アウレリウスは39歳で皇帝に就任することとなります。
もともと貴族の華やかな生活を嫌い、質素な暮らしを心がけていたアウレリウスは皇帝になってからも質素な暮らしと、また謙虚な振る舞いを心がけ、民衆からの人気も高かったといいます。
ローマ帝国は大きな力を持っていましたが、アウレリウスが皇帝に就任した当時はその力も弱りつつある変革期でした。異国との戦争も絶えず、アウレリウスも常に戦争に赴く生活を送ります。
自分に宛てた手紙、自省録を残す
そんな激動の中、アウレリウスは自身の内面を見つめ、反省、戒める言葉を綴った手記を書き始めます。「自省録」として現代でも出版されているこの本は、2000年の時代をこえて人々に愛される哲学書となっています。
晩年まで戦争に追われ、ローマ帝国存続に命を燃やしたアウレリウスは58歳でその生涯を終えることとなりました。
マルクス・アウレリウスの名言
この世においては汝の肉体が力尽きぬのに魂が先に力尽きるのは恥ずべきことではないか。
何かをするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、無思慮にするな、心にさからってするな。君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。
君が自分に楽しい思いをさせてやりたいと思うときには、君と一緒に生活している人びとの長所を考えてみるがよい。
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。
己を律するためには、次のように考えるといい。お前は老人だ。これ以上、理性を奴隷の境遇におくな。身勝手な衝動に操られるままにしておくな。また、現在与えられているものに不満を抱いたり、未来に不安を抱くことを許すな。
人間にふさわしい態度は、死に対して無関心であるのでもなく、烈しい気持ちをいだくのでもなく、侮蔑するのでもなく、自然の働きの一つとしてこれを待つことである。
いかなる自然も芸術に劣らず。芸術の仕事は、すべて自然のものごとを真似ることなり。
みせかけの微笑を見せたり、心に仮面をかぶったりしない、真心のこもった、裸のままの親切には、人は決して抵抗できないものだ。もしこちらがあくまで親切を続ければ、たとえ良心のひとかけらもない人間でも、必ず受け入れてくれるだろう。
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時など、もうないのだ。人の一生は短い。
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時など、もうないのだ。人の一生は短い。
言葉から見た、マルクス・アウレリウスてこんな人!
自分に厳しく生きた人
古代ギリシアの皇帝として生きたマルクス・アウレリウス。時代の変革期、公務や戦争など忙しい日々をおくる中でもアウレリウスは哲学の勉強を続け、自分の思考を深めていきました。
「己を律するためには、次のように考えるといい。お前は老人だ。これ以上、理性を奴隷の境遇におくな。身勝手な衝動に操られるままにしておくな。また、現在与えられているものに不満を抱いたり、未来に不安を抱くことを許すな。」
といった名言にもあるようにアウレリウスが残した言葉は自分自身を戒めている内容が多いと感じました。
学校を卒業し、王宮で働くようになってからのアウレリウスは、まわりの貴族の強欲な振る舞いに幻滅し、自分はこうなりたくないと思ったといいます。
しかし、なかなか自分を律するのは難しく、時には流されてしまうこともありました。
そんな人としての弱さを存分に感じているアウレリウスだからこそ、自分を律し生きれたのだと、彼の言葉を見ても感じさせられます。
自分に厳しく生きた人、それがマルクス・アウレリウスという人でした。
マルクス・アウレリウスの名言からの学び。[命に対する向き合い方]
今を考えて生きる
今回のマルクス・アウレリウスの名言で印象的だったのが「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」という言葉でした。
「人生はあっという間」
「命を大切にして生きろ」
命について、のこれらの言葉は、教訓の一つとしてよく聞かれます。
現在の日本はとても平和です。戦争で命が脅かされるのことはなくなりました。それでも災害、病気、事件事故など様々なことで今もどこかで、多くの命が亡くなっています。
それが自分の身に訪れない保証はどこにもないのですが、なかなか命や死へといったものに強く意識を向けるのは難しいと感じます。
自分で振り返って考えてみても、明日やその先の未来が当たり前のように来るかのように日々を過ごしてしまっています。
ですが、やはり人間いつ死ぬかわからないのです。本当に明日死ぬかもしれない。それを具体的に強く意識するなら、今現在の行動はきっと違ってくるはずです。
なかなかこの意識を継続するのは大変ですが、だからこそ今日こうしてマルクス・アウレリウスの言葉に触れることで、その大切さを再認識することができました。
日々、自分がどう生きるのか。そんな命に対する向き合い方をマルクス・アウレリウスの名言から学びました。