空海の名言からの学び。[修行とは自分探しである]

空海 画像世界の偉人の名言

仏として生きる道は遠いところにあるのではない。すぐそこにある。

真言宗の開祖でもある空海

弘法大師の称号を持ち、現代でも弘法大師、空海のたどった道を「お遍路」としてまわる文化があります。

そんな日本の仏教文化に大きな影響を与えた空海の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「修行とは自分探しである」について書いていきます。

空海てどんな人?

  • 役人になるために勉強
  • 大学を辞め、仏教の道へ
  • 運良く遣唐使になり、密教を学ぶ
  • 仏教だけでなく社会貢献も
役人になるために勉強

空海は774年、讃岐の国(現在の香川県)に生まれます。父親は郡司という役人で、まわりの地域を治めていました。空海も役人になるべく幼少期から勉学に励みます。

国学と言われる学校では儒学や医学などを勉強していたと言われています。国学の先には大学という学校がありましたが、大学は基本的に高い位の貴族しか入れないところでした。空海の家の位だと大学に入るためには国学での良い成績が求められました。

そんなこともあり、必死に勉強した空海は好成績で国学を卒業すると、大学の進学を目指し15歳の時に都のある京都の長岡へ行きます。そこで大学の入試に向けて朝早くから夜遅くまで勉強の生活を3年ほど続けました。

そして791年に無事に大学に合格。明経道という儒学、歴史、漢文などを学ぶ学科に進みます。しかし次第に大学の授業や役人になることに価値を見出せなくなり、同時に仏教の教えに興味を惹かれるようになります。

大学を辞め、仏教の道へ

その後、結局大学も辞めてしまい、山で修行を行うようになりました。また故郷の四国に帰り、いろいろな山々を渡り歩きながら修行を続けたと言われています。

この頃に大乗仏教の教法の一つである密教の教えを説いた「大日経」に出会い、空海はこれを解読しようといろいろな経典を読みあさりました。また24歳の時には仏教の素晴らしさを説いた「三教指帰」という書物を書きます。

空海は密教をもっと学びたいと思い、留学僧として唐(現在の中国)へ行こうと考えます。そのために唐の言葉を学び、それに備えていました。

803年に遣唐使船の出港が決まりますが、空海は残念ながら留学僧になることができませんでした。この時、同時代に生きた有名な僧、最澄が1年の短期留学生として船に乗っていました。

運良く遣唐使になり、密教を学ぶ

20年に一度といわれる遣唐使船に乗ることができず、落胆していた空海ですが、出発した船が途中で嵐にあい、引き返してきたという報告を受けます。そして運良く人員補充のメンバーに選ばれ、念願の唐の都長安に降り立ちました。

そして密教の第一人者といわれる恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に弟子入りし、教えを受けます。そこで密教を学んだ空海は日本で布教しようと、たまたま日本から来ていた使者の船に乗り、本来なら20年のところを2年で帰国することとなりました。

その後、京都の高雄山寺に入り、本格的に密教を広める活動を始めます。そして先に帰国していた最澄も空海から密教を教えてもらおうと訪ねてきました

しかし、次第に仏教に対する考え方の違いが生じ、空海と最澄は仲違いしていきます。(これには諸説あり、お互い布教活動が忙しくなったため距離ができてしまったという説もあります)そして空海はより密教を深く探求しようと高野山に入り、修行をすることにしました。

仏教だけでなく社会貢献も

空海は唐で仏教だけでなく、様々な学問も学んだと言われています。そして、その知識を生かし社会事業なども行っていました。その一つが現在も日本最大の農業用ため池として使われている満濃池の堤防作りで、これにより田畑は水害から守られたと言われています。

また身分関係なく勉強をできる学校をつくろうと、日本で初めての民衆のための学校である綜芸種智院を開校し、お金がなくても学べるように学費は免除され、食事なども支給されてました。

そして空海が入定した90年後、921年に醍醐天皇より「弘法大師」の称号が与えられました。現在のお遍路の傘には「同行二人」という文字が書かれおり、これは弘法大師と2人で道を歩くという意味合いが込められています。

空海のことば

空海 イラスト

もし自分に適していることにその能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。しかし、自分に向いていない物事に、その能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。

修行して悟りを得ようとする人は、心の本源を悟ることが必要である。心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である。

つまらない人は、善行と悪行の区別がつかず、その因果も信じることがない。目の前の利益だけを見ているので、その因果は必ず返ってくる。

道理に迷って苦しむのも、自分の中にある仏に目覚めて正しく励むのも、みな自分の決心次第である。

人を思いやる気持ちと、人に利益をもたらす行動をすることが全ての根本である

片手だけでは拍手できない。片足だけでは歩けない。右手と左手が感応して拍手になり、右足と左足が感応して歩く。だから相手が感応するまで祈り続けなさい。

周りの環境は心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。静かで落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる。

言葉から見た、空海てこんな人!

自分の生きる道を求めた人

空海の言葉からは「まず、自分がどうあるべきか」という考えが強く表れていると感じました。

幼少期に役人になるために勉強していた時も、出世という価値観におさまらず自分が心から求めるものを追求していきました。そして空海にとってはそれが仏教だったのです。

家柄や環境に流されるのではなく、自分がどう感じ、どういう道で生きていきたいかを深く考え、求めていきました。また仏教の道に進んでからも山で修行や社会貢献の活動を行い、常に生きる道を求めていた人でした。

空海の名言からの学び。[修行とは自分探しである]

人生を通して合う場所を探す

今回の空海の名言で印象的だったのは「自分に向いていない物事に、その能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。」という言葉でした。

人間は誰ひとりとして同じ人がいないように、個性や好みもバラバラです。存在が唯一無二であるなら、その人にしかできないことがきっとあって、それはそれぞれが人生を通して探していくものなのかなと、空海の言葉をみて感じました。

ある環境や時代では無価値とされていたものでも、状況が変われは価値として輝くもの。

仏教、修行を通して自分をみつめ続けた空海の言葉からそれを学びました。

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