宮沢賢治の名言からの学び。[苦しみを糧にする]

宮沢賢治 画像日本の偉人の名言

雨にも負けず 風にも負けず

日本の詩人、童話作家である宮沢賢治

学校の教科書にも作品がいくつも採用されるなど、馴染み深く国民的に愛されている作家です。

今日はそんな宮沢賢治の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「苦しみを糧にする」について書いていきます。

宮沢賢治てどんな人?

  • 裕福な家庭環境で生まれる
  • 盛岡の農学校に入学
  • 妹が病気になり東京から地元に帰る
  • 若干37歳で亡くなる
裕福な家庭環境で生まれる

宮沢賢治は1896年に岩手県の花巻市で生まれます。家は祖父から続く商人の家系で、父親は質屋と古着屋を営んでいました。

小学校は地元の学校に入学し、とても優秀な生徒だったといいます。担任の先生が教育の一環として、生徒に童話を読み聞かせていたこともあり、のちの創作活動においてもこの経験が大きな影響を与えたと語っています。

1909年に盛岡中学校に入学すると、実家から離れ寄宿舎に入ることになります。中学時代は星座や鉱物に熱中し、山を駆け回っていました。また石川啄木の影響を受け短歌などもつくったりしていました。

盛岡の農学校に入学

中学卒業してしばらくは家業の手伝いをして過ごしていましたが、勉強したい気持ちと、貧しい人たち相手に商売をする質屋という職業に嫌気がさしていたため、仕事に身が入りませんでした。そんな賢治を見かねた父は、学校に進学することを認めます。

賢治は猛勉強の末に盛岡高等農林学校、現在の岩手大学農学部にトップの成績で合格。特待生にも選ばれるなど勉学に勤しみます。また友人と同人誌をつくり、そこで短歌や短編小説なども制作していました。

学校を卒業後も研究生のとして農学校に残ります。その2年後、研究生も卒業した賢治は助教授になることも勧められましたが、それを断ります。

妹が病気になり東京から地元に帰る

翌年、25歳の時に父親との関係が悪化したことで、東京に移住します。印刷会社で働きながら生計を立てていましたが、妹が病気になったことで地元に帰ることになります。

帰ってからは地元花巻の農学校の教師となり、農業だけでなく化学や英語なども教えていたといいます。そして詩などの作品を書いて雑誌にも投稿していました。

しかしその後も妹の容体は回復せず、結核により30歳の若さで亡くなってしまいます。最愛の妹を失った悲しみから、妹を思ったいくつもの詩をいくつも残しました。

若干37歳で亡くなる

1924年に自身の詩集である「心象スケッチ 春と修羅』を自費出版します。その後も賢治の代表作である童話「注文の多い料理店」も自費で出版しますが、本は全く売れませんでいた。

その後は教師を辞め、一人で暮らし始めた賢治。いろいろな農作物を育てながら農業の講習などを行っていましたが、徐々に体調を悪くしていきます。この時期に書かれた詩が有名な「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」などでした。

そして37歳の時に結核からくる急性肺炎によりこの世を去ることになりました。生前は作家としての活動はほとんどなかった宮沢賢治ですが、彼の死後、その作品は注目を集め、日本を代表とする作家となりました。

宮沢賢治の名言

宮沢賢治 イラスト

真の幸福に至れるのであれば、それまでの悲しみは、エピソードに過ぎない。

何がしあわせかわからないです。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから

世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない。

かなしみはちからに、欲りはいつくしみに、いかりは知恵にみちびかるべし

自分が真実から目をそむけて子どもたちに本当のことが、語れるのか

人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ。

人間は他人のことを思いやって行動し、良い結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づくほんとうの「幸せ」なのである

言葉から見た、宮沢賢治てこんな人!

思いやりに生きた人

宮沢賢治の育ちは裕福なものでした。それは父親の仕事によるところが大きかったのですが、当時の東北地方は飢饉により農民の暮らしは大変なものでした。

そんな彼らを横目に裕福に暮らすことに賢治は嫌気をおぼえるようになります。そこから家業を継ぐ道を拒んだ彼は、自分の力で人に貢献できる道を模索していきます。

それが彼にとっては農学であり文学だったのでっしょう。人に対する思いやりに生きた人

それは賢治の「人間は他人のことを思いやって行動し、良い結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づくほんとうの「幸せ」なのである」という言葉からも感じることができます。

宮沢賢治の名言からの学び。[苦しみを糧にする]

悲しみは苦しみは幸せに向かう物語

今回の宮沢賢治の言葉で印象的だったのが「真の幸福に至れるのであれば、それまでの悲しみは、エピソードに過ぎない。」という言葉でした。

生前に作家として原稿料をもらったのはたったの一回だけだった宮沢賢治。彼は生きている時に現在のような名声を手に入れることはありませんでした。

それでも彼が残した作品たちは時代が変わっても残り続け、彼の思いを引き継いでいっています。

人生山あり谷あり。苦しいことがあれば、その先に楽しいことはきっと来る。と通例のように言われます。そんな山あり谷ありを繰り返すのが人生であり、苦しみがあるからその先の幸せをより強く感じることができる。

苦しみも、その先の幸福につながる自分の物語の一部だと考えることができたら、辛い状況でもなんだか少し頑張れる気がします。そう宮沢賢治の言葉に触れて感じさせられました。

悲しみは苦しみは幸せに向かう物語

人を思いやる国民的な作家、宮沢賢治の言葉からそれを学びました。

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