稲盛和夫の名言からの学び。[悩んだ時に立ち返るモノ]

稲盛和夫 画像逆境の名言

「人間性や人格」「境遇や環境」は、「思い」によって形成される

日本の経営者、実業家である稲盛和夫さん。

京セラ、KDDIといった大企業を創業し、日本航空が倒産した時には70歳を超える高齢ながらも無報酬で改革依頼を引き受け、見事にそれを再生させた日本を代表する実業家です。

今日はそんな稲盛和夫さんの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「悩んだ時に立ち返るモノ」について考察しました。

稲盛和夫てどんな人?

  • 成績優秀も中学受験に失敗
  • 経営難の会社に就職
  • 27歳で京セラを設立
  • KDDIの成功とJALの再生
成績優秀も中学受験に失敗

稲盛さんは1932年に鹿児島県で7人兄弟の次男として生まれます。父親は印刷所を経営していて、比較的恵まれた家庭環境で育ちました。明るく活発な性格だった稲盛さんは小学校でもガキ大将のような存在でした。

小学校を卒業し鹿児島の名門中学である鹿児島一中に進学を試みますが、2度の受験も両方不合格となってしまいます。

しかたなく私立の中学校に入りますが、その後すぐに戦争が始まり裕福だった稲盛家も空襲により家が全焼するなど、苦しい環境に立たされてしまいました。

学校での成績が良かった稲盛さんは働きながら高校に通い、家族に無理を言って大学受験をしました。しかし第一志望の大阪大学は不合格となり、新設校であった鹿児島大学の工学部に入学します。

経営難の会社に就職

稲盛さんは大学でも熱心に勉強し、成績は常に上位でした。そのため就職も困らないと周囲からも言われていましたが、当時日本は戦争後の不況の只中、そのため就職活動するも受けた会社は全て不採用でした。

なんとか恩師の紹介で京都の松風工業という焼き物メーカーに就職することができましたが、入社してみると松風工業の経営は厳しく、給料もまともにもらえないこともありました。

稲盛さんの他に4人が新卒で入社していましたが、一年も経たずに稲盛さん以外の人たちは会社を辞めてしまいました。稲盛さんも辞めようと思いましたが、父親に反対され、結果辞めれなくなってしまいます。

選択肢のない稲盛さんは、どうせならと考えを改め、現在の環境で一生懸命に仕事をしようと思い立ちます。そして新しいセラミックの開発を任されると、次第に食器や布団を会社に持ち込み寝る間を惜しんでセラミック開発に没頭しました。

27歳で京セラを設立

少しずつ成果が出てくると、より仕事に力を入れるようになり、2年が立つ頃には日本で初めて新しいセラミックの合成を成功させた技術者となりました。

しかし3年ほど経った頃、技術的なことで上司と対立し、そのまま会社を辞めてしまいます。それでも稲盛さんを慕う社内の仲間や、稲盛さんの技術力を惜しむ元上司、その周りの人がお金を出資してくれる運びとなり、1959年その資金を元手に京セラを創業しました。

この時稲盛さんは27歳、若い社員を抱えるベンチャー企業でしたが、確かな技術力を武器にアメリカのIBMをはじめ、多くの企業のセラミック部品開発に携わりました。

こうして京セラは瞬く間に一流企業となっていきました。そして稲盛さんは52歳の時に全く別領域の電話通信事業に参入し、第二電電(KDDI)を設立します。

当時NTTが独占していた電話通信料は他国と比べても非常に高いものでした。通信業界に知識のない稲盛さんでしたが、誰でも手軽に電話を使えるようにしたいという思いから事業をスタートさせました。

KDDIの成功とJALの再生

そしてKDDIは大きな成功を収めることとなります。そんな稲盛さんに2010年、政府から2兆円を超える負債をだし経営破綻した日本航空(JAL)の再生を打診されます。

この時、78歳になっていた稲盛さん。高齢ということもあり何度もその依頼を断りましたが、繰り返しの嘆願により、ついに日本航空の会長に就任します。しかも報酬を受け取らないことを自ら願い出ます

こうしてJALの再建に携わった稲盛さんは、社員の意識改革から少しずつ会社を変えていき、なんと約2年という短期間で日本航空の経営を復活させ、再上場させることに成功したのでした。

2019年まで36年にわたり「盛和塾」という経営塾も開催していた稲盛さん。その人気は日本だけでなく海外でも高く、著書は中国でベストセラーになるなど、多くの人が稲盛さんの経営、そして人生哲学を求めました。

そんな稲盛さんは現在(2020年)88歳です。その歩みは今も続いています。

稲盛和夫の言葉

稲盛和夫 イラスト

自分の考えていることを、「動機善なりや、私心なかりしか」 と自分自身に問いました。つまり、お前の動機は善なのか、そして、私心はないのかということを、半年間くらい自分自身に厳しく問い続けたのです。

利他で感じる幸福感と利己で感じる幸福感というのは、若干味が違うということです。利他の幸福感というものを感じる癖をつけていきますと、それは欲が満足するときの幸福感とは比べ物にならないぐらいさわやかで、きれいで、 すばらしい気持ちになっていきますから、自然と利他をやっていこうという気持ちになっていくような気がします。

判断をするには、判断のための基準、座標軸が私の中になければいけない。座標軸とは何かというと、それは私が持っている考え方、哲学です。

世のため人のために尽くすということは、美しい心を持つということ。美しい心をもっているから、自分のことはさておき、人のために尽くすことができるのです。そう考えれば、人生というのは、美しい心をつくるためにあるのではないか、そのように私は思います。

よく、「努力をしなさい」と言うと、「しています」と、みんな主観的に言いますが、主観的なものではないのです。客観的に見て、誰にも負けない努力をしているということが大事であって、自分自身が努力をしていると思うだけのことではないのです。

試練とは苦難だけをいうのではない。成功もまた天が人に与える試練だ。少しばかりの成功に酔いしれ、傲慢に なっていく人は、最後には自分自身の欲の深みにはまって沈んでいく。

感謝は理性で覚え、理性で使う

稲盛和夫の名言を引用・参考にした文献

言葉から見た、稲盛和夫てこんな人!

利他という哲学に行きている人

成績優秀で学校での評価は高かった稲盛さんですが、中学受験や大学受験、または就職活動に失敗するなど幼少期から多くの挫折を味わってきました。

自暴自棄になりながらも最後には自分の心をポジティブな方向へ転換し、恵まれない環境下でも一生懸命働くことで一歩ずつ成果を上げていきました。

そして27歳で独立した京セラを大企業に成長させ、KDDI創設、JALの再建など数々の偉業を成し遂げたのでした。

稲盛さんがその都度大切にしていたこと。

それは「人のために」という利他の心でした。京セラ創業当時は支援してくれた人たちや社員のため、通信事業への参入は人々のため、誰でも使いやすい価格をと考えたため、日本航空の再生は3万人を超える社員と日本経済のため。

それらの大義を行動の動機としていました。稲盛さんは今回紹介した名言だけでなく、いろいろな場所でこの利他の心の大切さを語っています。常にそのことを頭の中に置き、自分の哲学として昇華させている。

それは稲盛さんの「自分の考えていることを、『動機善なりや、私心なかりしか』と自分自身に問いました。つまり、お前の動機は善なのか、そして、私心はないのかということを、半年間くらい自分自身に厳しく問い続けたのです。」という言葉からも感じることができます。

利他という哲学に行きている人。それが稲盛和夫という人でした。

稲盛和夫の名言からの学び。[悩んだ時に立ち返るモノ]

自分の中に指針を持つ

今回の稲盛和夫さんの名言で印象深かったのが「判断をするには、判断のための基準、座標軸が私の中になければいけない。座標軸とは何かというと、それは私が持っている考え方、哲学です。」という言葉でした。

人生には大小問わず、様々な分かれ道があります。

どちらの道を進めばいいのか。決断が下せず長時間、長期間悩む人も多いのではないかと思います。悩んで悩んで決めた道、でもまたすぐに別の分かれ道が出現する。人生はその連続なんじゃないかとも思ったりします。

常に決断を求められる人生の中で、稲盛さんは自分の中に基準、座標軸を持つことが大切だと言いました。稲盛さんにとってそれは「人間として正しい」ということでした。

道に迷った時に自分の中に基準となるものがあれば、それに立ち返り間違わない判断ができる。長い人生の中で「何を大切にするか」その指針を自分の中に定めることが大切だと、稲盛さんの言葉に触れて感じさせられました。

自分の中に指針を持つ

利他の指針で企業を成功させた経営者、稲盛和夫の名言からそれを学びました。

今日の英語

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guiding principle・・・指針

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