旅とは人生であり、人生とは旅である
日本のサッカー選手・実業家の中田英寿。
10代から日本代表として活躍し、当時世界最高峰のサッカーリーグと呼ばれたセリエAに移籍、日本人初となるリーグ優勝メンバーとなります。その後ドイツワールドカップを最後に29歳で現役を引退し、現在は国際サッカー評議会のメンバーとしてサッカー界に貢献するかたわら実業家としても多方面に活躍しています。
今回はそんな中田英寿さんの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「潔い生き方」について考察します。
中田英寿とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
兄の影響でサッカーを始める
中田英寿さんは1977年に山梨県の甲府市で生まれます。2歳年上のお兄さんがサッカーをやっており、その影響を受け中田さんがサッカーを始めたのは小学3年生の時です。
中田さんは小さい頃はそこまで飛び抜けた才能の持ち主ではなかったと周囲の人は語っていたといいますが、中学3年生の時に初めてU-15の日本代表に選出されると、その後も年代別の代表に呼ばれるなど、どんどんと頭角を表していきます。
高校は山梨のサッカー名門校である山梨県立韮崎高等学校に進学し、2年生の時には高校サッカーの最上位大会である全国高等学校サッカー選手権に出場します(韮崎高校は2回戦敗退)。高校生の頃からセリエAへの移籍を見据えイタリア語の勉強をしていたといいます。
19歳でオリンピック代表に選出
高校卒業後はJリーグの道へ進みます。当時12チームあったJリーグの中で中田さんにオファーをかけたのはなんと11チーム。2、3チームの練習に実際に参加し、最数的には中田さんはベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)を選択しました。
新人ながらリーグ戦8得点を決めるなど、早々にチームの中心となった中田さんは19歳でアトランタオリンピックの日本代表にも選出されます。オリンピック初戦で日本はブラジル代表に勝利、「マイアミの奇跡」として現在でも称えられています。
オリンピックの翌年にはフル代表にも選出され、すぐにレギュラーに定着。初のワールドカップ出場を目指すチームを20歳の若さで牽引し、日本は初めてのワールドカップ出場を決めました。
21歳でセリエAのペルージャに移籍
1998年のフランスワールドカップでは全試合フル出場を果たすも日本は3戦全敗。しかしこのワールドカップをきっかけに中田さんは海外のクラブにも注目され、多くのチームが彼の獲得に動いたとされています。
そして21歳の時にセリエAのペルージャへ移籍。開幕戦で強豪のユヴェントスを相手に華麗なオーバーヘッドを含む2得点と、鮮烈なデビューを果たします。このシーズンでは年間10得点をマークする活躍をしました。
1999年シーズンでは名門のASローマへ移籍します。そして翌年にASローマはリーグ戦で優勝し、中田さんは日本人で初めてセリエAの優勝メンバーとなりました。
29歳で現役を引退
2001年には当時のアジア人選手最高額となる33億円でパルマに移籍します。2002年、中田さんは日韓ワールドカップでも変わらず中心選手として活躍し、初のグループリーグ突破へ大きく貢献しました。
その後ボローニャ、フィオレンティーナを渡り歩き、2005年にはイングランドのボルトンへ移籍します。そして2006年に開催されたドイツワールドカップ、グループリーグ敗退が決定すると、中田さんは29歳の若さで現役引退を発表しました。
その後は世界各地を旅してまわり、チャリティーマッチを主催したり、現在では日本酒の魅力を世界に発信するAPAN CRAFT SAKE COMPANYの代表を務めるなど実業家としても活躍しています。
中田英寿の名言
ある意味で一つのことに集中しないで、必ずいろいろなことが見える状況に身をおいておかないと、何をやるにもそうだと思っている。
すべての出来事は、すべてが未来への糧になる。
僕はこれまで日本代表に対して、何度も『自分たちのサッカー』をすべきだという発言をしてきました。でもそれは、『負けてもいいから、理想のサッカーをするべきだ』という意味ではまったくありません。
足のどの部分で、どのくらいの力で蹴ると、どういうパスになるのか、頭の中にインプットしながら蹴らなきゃ駄目。イメージしたボールと同じボールが蹴れるまでパスを繰り返す。誰かに教わっても、自分の体が覚えなければ、すぐ忘れるだけだから。
何より大事なのは、何が必要かを自分で考えることだと思います。
美しいプレーを見せようと思ったら、地味な練習を死ぬほどしないと、基本があれば、1を100にすることだってできる。基本がない選手は、いつか消えていくでしょう
自分にできることを積み重ねていけば、必ず流れが変わる日が来る。それを信じていられるうちは、どんなことにも耐えられるよ
目先の勝負だけにこだわるのではなく、50年後、100年後のために『日本のサッカーとは何か』を考え、確立していくべき時期に来ている
最終的には、自分に嘘をついてまで続けたくなかった。それが引退の理由ですね。それが僕の生き方ですから。
言葉から見た、中田英寿てこんな人!
好きという想いを大切にしている人
日本のサッカー界において名実ともに特別な存在感を持つ中田英寿さん。当時世界最高峰だったセリエAで活躍し、その後の日本人選手がヨーロッパへ渡る大きなきっかけとなったのも、中田さんの活躍があったからでしょう。
10代から日本代表に呼ばれ、そこからずっと一線で活躍し続けますが、29歳というまだまだプロとして活躍できる年齢にもかかわらず、電撃引退を発表します。その理由は「好きでやってきたサッカーが楽しめなくなったから」というものでした。
サッカーから離れた中田さんは「知らないことを知れることが楽しい」という理由から行く先も決めない世界放浪の旅へ出かけます。その後も日本酒や日本文化を発信する会社を立ち上げたりと、サッカーとは関係ない業界にも興味関心が惹かれれば、純粋にそれに向かって行きました。
「ある意味で一つのことに集中しないで、必ずいろいろなことが見える状況に身をおいておかないと、何をやるにもそうだと思っている。」
という中田さんの言葉にもあるように、サッカーだけでなく、様々なことに興味関心を寄せ、取り組む。それは好きという自分自身の内なる想い大切にしているからだと、感じさせられました。
中田英寿の名言からの学び。[潔い生き方]
内なる想いに正直に生きる
今回の中田英寿さんの名言で印象的だったのが「最終的には、自分に嘘をついてまで続けたくなかった。それが引退の理由ですね。それが僕の生き方ですから。」という言葉でした。
29歳という若さで引退を決めた中田さん。サッカー選手としては実績も充分で、まだまだ活躍できる年齢でありながらの突然の決断。
ですが、好きであったはずのサッカーが楽しめなくなった自分の気持ちに正直に、第一線から退きました。
時に環境や実績は物事を決めるのに大きな足かせとなります。
中田さんの場合もヨーロッパで活躍してきた実績、環境、また金銭面など様々な要因を考えると、自分の気持ちを押し殺し、このまま通常の引退の路線を見据え、数年ほど現役を続けることはできたはずです。
しかしそれをしなかったのは、外部要因に惑わされることなく自分の気持ちに正直になるという中田さんの「潔さ」であると感じさせられました。
そして、その潔い決断が、新たな興味関心へと中田さんを向かわせ、現在の様々な事業や取り組みにつながっているのだと感じます。
自分が何が好きで、何をしている時が幸せなのか。その気持ちに正直になることで、潔い決断、生き方ができるのだと中田英寿さんの名言から学びました。