妥協とは、僕にとって、最も汚い言葉だ
イギリスのミュージシャン、フレディ・マーキュリー。
世界中で活躍したロックバンド「Queen/クイーン」のボーカルをつとめ、数々の名曲を残しました。2018年に公開されたクイーンとフレディの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」は日本でも大ヒットし、現代でも色あせない存在感を示しています。
今回はそんなフレディ・マーキュリーの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「言い訳のない人生」について考察します。
フレディ・マーキュリーとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
アフリカの小さな島で生まれる
フレディ・マーキュリー、本名はファルーク・バルサラはタンザニアのザンジバル島で生まれます。インド出身であった両親は当時イギリスの領地だったサンジバル島に仕事のため移住してきました。
5歳になったフレディはザンジバルの宣教学校に通い始めます。幼少期から音楽が大好きで、7歳からピアノも習い始めました。また音楽だけでなく絵画などの芸術も得意だったといいます。
小さな島だったザンジバル島はあまり教育体制が整っていなかったため、両親はインドの寄宿学校に8歳になったフレディを入学させました。
12歳でバンドを組む
学校に入るとフレディは聖歌隊に入ります。聖歌隊で歌うフレディを見た音楽の先生は、その歌声に感動し音楽の特別クラスに彼を入れるなど、フレディの才能は幼少期から際立っていました。
クラシック音楽を勧めた先生の思いとは裏腹に、フレディの関心はロックに向かっていきます。そして12歳で学校の友人と一緒にバンドを組むなどロックに熱中していきました。
しかし16歳の時に進級試験に落第したことで、フレディは故郷のザンジバル島に帰ることとなります。その2年後にはザンジバル革命が起こり、島の情勢が不安定になったことからフレディの一家はイギリスに移住することとなりました。
クイーンの母体となったスマイルと出会う
その後フレディはロンドンにある工業学校で芸術やデザインの勉強をしながら、またいくつかのバンドも組むなど音楽も続けていました。
バンドはあまり長続きせず解散を繰り返していましたが、24歳の時ギラリスト、ブライアン・メイやドラマーのロジャー・テイラーがいたスマイルという3人組のバンドに出会います。
当初は彼らのファンであったフレディでしたが、ボーカルが脱退するタイミングでスマイルに加入することとなります、そして名前も新たに「クイーン」と改名し、後にベースのジョン・ディーコンを加えた4人バンドで本格的に活動を始めます。
ボヘミアン・ラプソディが大ヒット
結成から3年後にデビューすると、当初はイギリス国内での評判は良いものではありませんでした。しかし1975年に発表した「Bohemian Rhapsody/ボヘミアン・ラプソディ」が世界中で大ヒットしたことをきっかけに世界的ロックバンドとなっていきます。
ボヘミアン・ラプソディをはじめフレディはクィーンの多くの曲を作詞、作曲しています。その後も「We are the champions」や「Killer Queen」などのヒット曲を次々と生み出しました。
そんな中、41歳の時にHIVに感染していることが判明、それをきっかけとしてフレディは45歳でその生涯を終えることとなりました。しかし彼が亡くなってからもクイーンの曲は世界中でヒットし、彼の音楽は色あせることなく、今に生きる人の心も惹きつけています。
フレディ・マーキュリーの名言
どんな形であっても他人を幸せにできるという事実に喜んでいる。たとえそれが長い人生の中のたった数時間でもね。観客に幸運を感じさせたり、いい気分にしたり、笑顔にしたりできることは、僕にとってとても価値のあることなんだ。
あなたになりたいと思うものがあるなら、何にだってなれる。それがなんであっても、自分が思う通りに一度やってみることだ。
僕は世界を変えたいわけじゃない。幸福は僕にとって一番大切なことで、もし自分が幸福なら作品にもそれはあらわれる。結局、失敗して言い訳したって、それはすべて自分の責任だからね。僕はいつも自分自身に対して正直であると感じていたいし、生きている限りは人生を大いに楽しみたいんだ。
クイーンのコンサートに来るお客さんには心ゆくまで楽しんで帰ってもらいたいね。クイーンの楽曲はいい映画を見に行くみたいな現実逃避なのさ。
僕らは批判に屈するつもりはない。それで、もしまだ何かしら価値を認めてもらえるようなら、この先も生き続けるよ。
僕は僕さ。わかるかい、僕でしかない。めちゃくちゃになってしまう時もあれば、ちゃんとしている時もある。そして、僕は僕なんだ。
お金で幸せは買えないが、それを与えることは十分にできる。
言葉から見た、フレディ・マーキュリーてこんな人!
音楽で幸せを与えた人
伝説のロックバンド、クイーン。そのボーカルとして圧倒的な存在感を放っていたフレディ。その人生は45年という短いもので、多くの人が彼の死を惜しみました。
しかし彼が亡くなってからもクイーンの人気は衰えることなく、むしろさらなる高まりをみせるほどでした。アメリカでのクイーンのアルバムセールスは8000万枚近くに及びますが、その約半分はフレディが亡くなってから売り上げたものです。
そして彼の死から30年経つ現代でもその人気の高さは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」がヒットしたことでもよくわかります。
そんな人々の心に強烈な印象を残したフレディは「どんな形であっても他人を幸せにできるという事実に喜んでいる。たとえそれが長い人生の中のたった数時間でもね。観客に幸運を感じさせたり、いい気分にしたり、笑顔にしたりできることは、僕にとってとても価値のあることなんだ。」
という彼の言葉にもあるように、は音楽に対して、常に真剣に向き合い、ライブに来てくれたお客さんを楽しませることに全力を傾けていました。
彼はお客さんを幸せにするという言葉で表現していますが、そんな姿勢が長い時間が経過しながらも人々を魅了し続ける一つの要因なのでしょう。
音楽で幸せを与えた人。それがフレディ・マーキュリーという人でした。
フレディ・マーキュリーの名言からの学び。[言い訳のない人生]
素直でいることを忘れない
今回のフレディ・マーキュリーの名言で印象深かったのが「結局、失敗して言い訳したって、それはすべて自分の責任だからね。僕はいつも自分自身に対して正直であると感じていたいし、生きている限りは人生を大いに楽しみたいんだ。」という言葉でした。
人間は誰しも失敗します。そして失敗があると「あの時もっとこうしてればよかった」後悔するのものでもあります。
後悔は自己反省であり、できていなかったこと足りなかったことなど、自分の不足を探すことでもあるので、次なる失敗をしないためにもとても大切なことだと感じます。
しかし時として、周囲が、環境が、時間が、、、と自分以外ものに責任を転換させ、言い訳をしてしまう。そんなことも珍しくはないでしょう。
言い訳とは結局、自分を正当化するもので、自分の不足な部分を見えなくしてしまうと感じます。もちろん自分自身を認めることも大切ですが、足りない部分を客観的にみて、正直に受け止め、反省する素直さも人として成長していく中ではとても大事なことだと改めて感じさせられます。
自分に非があることは受け止め改善し、足りない自分を受け入れ愛する。フレディの名言に触れて言い訳せずに生きること、素直になることの大切さを教えられました。
素直でいることを忘れない
世界的ロックスター、フレディ・マーキュリーの名言からそれを学びました。