マザー・テレサの名言からの学び。[奉仕とは覚悟である]

偉人の言葉

あなたは、あなたであればいい。

インドの貧しい人たちの為に生きたい!と修道女になったマザー・テレサ

いつしかその活動は世界中に広まり、多くの人たちを感動させました。

今日はそんなマザー・テレサの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「奉仕とは覚悟である」について書いていきます。

マザーテレサてどんな人?

  • 幼い頃から貧しい人たちの為に
  • 修道院を出てスラムで生活
  • 神の愛の宣教者たち
  • 活動は世界へ、ノーベル平和賞受賞
幼い頃から貧しい人たちの為に

マザーテレサは1910年に旧ユーゴスラビアの町、スコピエで生まれます。母親は熱心なカトリック信者でもあったため、時間があるときはマザーテレサや兄弟たちを教会に連れて行きました

ちなみにテレサは修道名で本名はアグネス・ゴンジャという名前でした。そんな生活の中でテレサの信仰心は育まれていきます。

そして12歳の時、資産家の家に生まれながら財産を捨て、修道者となった聖フランシスコの話を聞き、自分もいつか宣教師として貧しい人のために働きたいと思うようになりました。

そんな気持ちを抱いて過ごしていたある時、通っていた教会の神父のもとにインドにいる宣教師から手紙が届きます。その手紙によりテレサはインドの貧しい環境を知ることとなります。

何か強い使命感を感じたテレサは18歳の時、インドで修道女として生きることを決意します。修道女として生きることは生涯独身で、二度と家族にも会えないような厳しい道でした。

それでもテレサの意思は固く、1928年にインドのカルカッタに到着し、修道生活が始まりました。この時に「テレサ」という修道名が与えられました。

厳しい修行を終え、20歳で初誓願といわれる3つの誓いを立て、はれて修道女としての一歩を踏み出したのです。

修道院を出てスラムで生活

修道女としての最初の仕事は修道院に付属している聖マリア女学校で地理と歴史を教えることでした。しかし守られた修道院の生活と外のスラム街で貧しく暮らす人々の生活の解離にいつも心をいためていたといいます。

それでも学校での仕事を全うし、1937年に終生誓願をたて、ついに正式な修道女となります。また生徒からとても慕われていたこともあり、女学校の校長にも就任しました。

修道女は基本的に修道院の外へ出ることは禁止されていましたが、校長になったテレサは別の女学校にも教えに行くことになりました。そこで外へ出た彼女は直接スラムで苦しむ人々の現実を見ることとなります。

その後、第二次世界大戦や宗教戦争などで多くの人がインドでも亡くなりました。そんな悲惨な光景にマザーテレサは貧しく生きる人たちに仕える人生を生きたいと強く思うようになりました。

修道院を出てスラムで生きる。そんな前例は今までになかったことでした。しかしテレサの強い希望により、最後はローマ法王の許可を得て、マザーテレサは修道院を出てスラム街へ行くことになりました。

神の愛の宣教者たち

最初は子供たちに字を教える事から始めました。また貧しい人のために食べ物や薬の寄付を求め、一軒一軒歩いて回りました。

そんなテレサの行動に感化され、協力してくれる人たちや、教え子たちが集まるようになりました。この集まりを「神の愛の宣教者たち」とテレサは名乗り、その後ローマ法王から正式な修道会として認められました。

テレサをはじめとした修道女たちは休みなく働きますが、あまりに多くの人が餓え、そして道端で死んでいく現状でした。テレサはせめて家の中で安らかに死を迎えられるようにと、ヒンズー教徒の休憩所を借り、そこでスラムで生きる人たちの世話を始めました。

しかしキリスト教のテレサにヒンズー教の人たちからの嫌がらせがはじまります。しかし彼女は毅然とした変わらぬ姿勢で貧しい人々に尽くし続けました。そんな姿をみているうちに反対していたヒンズー教の人たちもテレサたちの仕事をいつしか手伝うようになったといいます。

活動は世界へ、ノーベル平和賞受賞

1955年には孤児のための家を作り、彼らの将来のこを想い子どもたちを育ててくれる里親制度も考えました。その後里親の申し出は世界中から集まるようになり、多くの物資も届くようになりました。

また1959年には当時多くの差別を受けていたハンセン病の人たちのために、彼らが安心して生活ができる村を作ります

1965年にはインド中で修道会を開くようになり、マザーテレサは様々な場所に行くことになりました。日本にも2度ほど訪れ、神の愛の宣教者たちの施設を作りました。

これらの活動により世界的な賞が次々とテレサに与えられます。その中でも1979年に受けたノーベル平和賞は有名で、彼女は賞金や晩餐会などの費用は貧しい人たちの為に使って欲しいと願いました。

最後まで貧しい人たちの為に生きたマザーテレサは多くの人が見守る中、87歳でその生涯を終えました。

マザー・テレサの言葉

マザーテレサのイラスト

愛の反対は憎しみではなく無関心である。

笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの。

この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。

飽くことなく与え続けてください。残り物ではいけません。痛みを感じるまでに、自分が傷つく程に与え尽くしてください。

世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。

言葉から見た、マザーテレサてこんな人!

無償の愛の伝道師

マザーテレサの言葉の中には「」という文字が本当によく出てきます。それは彼女が常にそれを心に持って、愛を基準とした行動や生き方をしてきたからだと感じさせられます。

食べることの飢えよりも愛がない飢えの方がよっぽど貧困だという彼女の言葉にもあるように、孤独に生きる人たちに寄り添い、見返りを求めない愛を注ぐ姿はまさに母親そのものでしょう。

多くの人はマザーテレサの活動そのもの以上に、彼女が持つ愛情に心動かされたのだと感じさせられました。彼女の愛が多くの人に伝染し、世界中を感動させるムーブメントを起こしたのです。

無償の愛の伝道師、それがマザーテレサでした。

マザーテレサの名言からの学び。[奉仕とは覚悟である]

今の自分の最高を与える覚悟

今回のマザーテレサの名言で印象的だったのが、「痛みを感じるまでに、自分が傷つく程に与え尽くしてください。」という言葉でした。

寄付や社会貢献などもそうですが、人は誰かの為になったと感じたら、ある程度の満足感を感じる生き物です。だからある意味、誰でもできる行動とも言えます。

しかし僕もそうですが大概は自分の暮らしや余裕が前提の行動であり、それらがもし守られていない、自分が苦しい状況の中でも他人に与えられるかどうかは、想像してみましたがとても難しいことです。

でもマザーテレサの言う「愛」や「与える」というのは、一時的だったり余裕がともなうものではなく、自分が苦しく不幸な状況であってもかえりみず、誰かの為に与えられる。そういう覚悟に満ちたモノでした。

今の自分の最高のものを与える覚悟。

それが人々に愛情だと感じさせる原動力だと感じました。

結婚や家族を捨て貧しい人たちの為に生きたマザーテレサの言葉からそれを学びました。

今日の英語

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missionary・・・・伝道師

service・・・・奉仕

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