バスケットボールを心から愛したヤツがいた。ただ、それだけでいい。
バスケットボール界のスーパースター、マイケル・ジョーダン。
“エアジョーダン“と呼ばれる脅威のジャンプ力を駆使したプレーなどで数々の記録を築き活躍したジョーダンは、チームも何度も優勝へと導きました。異名はバスケットボールの神様。
そんなマイケル・ジョーダンの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「限界を超える基準」について考察します。
マイケル・ジョーダンとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
チームに入れないという挫折
マイケル・ジョーダンは1963年にアメリカのニューヨークで生まれます。生後3週間でシリアルを食べていたという逸話があるほど、食欲が飛び抜けて旺盛な子供でした。
4人兄弟の3男であったジョーダンは兄たちと一緒に幼少期からバスケだけでなく野球やアメフトなどもしていたといいます。
ジュニア選抜入り活躍するなど幼い頃からバスケットボールの才能を開花させていたジョーダンですが、高校生の時に「背が低い」という理由でチームに入ることを拒否されるという大きな挫折を味わいます。
大学で活躍し、オリンピックで金メダル
当時180cmほどの身長だったジョーダンはチームに入るだけでなく、「最高のプレーヤーになる」という目標を掲げ、毎日早朝からのトレーニングを続け1年後には見事チーム入りを果たします。
大学はバッケットの名門であるノースカロライナ大学に進学し、早くから主力として活躍したジョーダンは大学の頂点を決めるNCAAトーナメントでチームを優勝に導きます。
そして2年生の時には全米ジュニア選抜に選ばれると、その後はロサンゼルスオリンピックのアメリカ代表にも選出され、金メダル獲得にも貢献します。
プロではチームを3連覇に導く
大学在学時にプロ入りを決意し、NBAドラフトで3位指名を受けたジョーダンはシカゴ・ブルズに入団します。1年目からレギューラーとして活躍し、3年目には得点王に輝くなどチームの顔として多くの人気を集めます。
入団当初のブルズはとても弱く、ジョーダン一人のチームと揶揄されることもありました。しかしジョーダンの活躍や監督交代などでチームも徐々に力をつけ始め、NBAファイナルで”スリーピート“と呼ばれる3連覇を果たすなど黄金期を迎えます。
しかし3連覇を成し遂げた直後にジョーダンは突然の引退を表明します。それは当時事件によって亡くなった父親のことや3連覇によりモチベーションが低下したと考えられています。
野球選手への挑戦と再復帰
引退したジョーダンは、なんと野球の世界に飛び込みます。30歳でシカゴホワイトソックス傘下にあるマイナーチームに入団し、10年以上のブランクがありながらも1日1000スイングの練習を重ねホームランを打つまでに成長します。
そして2年後には再びバスケット選手として古巣のブルズに復帰しました。そしてブルズはまたもスリーピートを獲得するなどジョーダン加入とともに再びチャンピオンと返り咲きを果たします。
36歳で再度引退を表明したジョーダン。15年間の選手生活ではNBA歴代1位の記録である平均得点30.12点のほか得点王10回、5度のシーズンMVPに輝くなど、まさに「バスケットボールの神様」と呼ばれる成績を残しました。
マイケル・ジョーダンの名言
高校時代は代表チームの選考から漏れた。9000回以上シュートを外し、300試合に敗れ決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功した。
才能のある人は、たくさんいるし、 もちろん、私もその一人だと思っている。しかし、人生を通じてほかのプレーヤーと違っている点は基準である。
自分に期待することではじめて物事は可能になる。
失敗をすることは耐えられるが、挑戦しないでいることは耐えられないんだ。
才能で試合に勝つことはできる、だがチームワークと知性は優勝に導くんだ。
僕はつねに実践することでチームを引っ張ってきた。これは僕の性格だ。僕は言葉で引っ張ったことは一度もなかった。言葉で引っ張ろうと考えたことさえなかった。なぜなら、言葉が行動に勝ることはないと思っているからだ。
限界とはほとんど幻に過ぎない。
ステップ・バイ・ステップ。どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。
言葉から見た、マイケル・ジョーダンてこんな人!
自分を信じ続けた人
バスケットボールの神様にふさわしい、輝かしい記録を残してきたマイケルジョーダン。
生まれながらのスーパースターにみえる彼の人生も多くの人と同じように失敗とそれを乗り越える努力によってつくられています。
「高校時代は代表チームの選考から漏れた。9000回以上シュートを外し、300試合に敗れ決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功した。」
と語るように多くの失敗を経験しながらも、心が折れず突き進むことができたのは、ジョーダンが誰よりも自分を信じていたからでした。それは彼の「自分に期待することではじめて物事は可能になる。」という言葉からも感じさせられます。
バスケット選手から野球選手への無謀ともいえる転向も自分自身に期待し、挑戦する心を持ち続けてたが故の行動だったのでしょう。
自分を信じ続けた人。それがマイケルジョーダンという人でした。
マイケル・ジョーダンの名言からの学び。[限界を超える基準]
限界という言い訳をつくらない
今回のマイケル・ジョーダンの名言で印象的だったのが、
「才能のある人は、たくさんいるし、 もちろん、私もその一人だと思っている。しかし、人生を通じてほかのプレーヤーと違っている点は基準である。」
「限界とはほとんど幻に過ぎない。」
という言葉でした。
多くの努力を重ねてきたジョーダンですがそれは「ただの努力」ではなく、他の誰よりもその努力の基準を高め「最高のプレイ」ということを常に自分自身に厳しく課していました。
「限界」それは誰しもが持っているものであり、そして多くの場合それは自分自身によって決められるものです。
10キロ走って限界と感じる人と、100キロ走って限界とする人では努力の量に大きな差が生まれます。同じ「努力」であってもどこを基準にするのかでその取り組みや成果も変わってくる。限界を決めてしまいたい心と戦いながら、昨日の自分よりさらに一歩前に進む。
その限界を決めない取り組みが大きな成功につながっていくのだと、マイケル・ジョーダンの言葉に触れて感じさせられました。
限界という言い訳をつくらない。
自分に限界を設けず挑戦を続けたバスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンの名言からそれを学びました。