もし、黄色と橙色がなければ、青色もない。
一瞬だと、なんかよくわからない言葉ですが、「ひまわり」「椅子」など黄色や橙色の絵画が印象的なフィンセント・ファン・ゴッホの言葉だと、一気にこの言葉に厚みと、重みが出てきます。
今日は世界的な画家、ゴッホの名言とその言葉たちからの学びを書いていきます。
ファン・ゴッホとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
最初は画商の店員
若くして亡くなったゴッホですが、絵を描き始めたのも割と遅く、期間でいうと10年足らずと言われいています。
1人で突然遠出したり、一日中草花を観察していたりと、幼少期から少し変わった一面を持っていたゴッホに周りは手を焼いていたみたいです。
大人になると伯父の紹介で最初は画商の店員として働きますが、人間関係がうまくいかず解雇されてしまいます。
聖職者を志す
画商を解雇され、程なくは小さな寄宿学校で教師を無給でしていましたが、「伝道師になって労働者や貧しい人の間で働きたい」という想いから、聖職者を志すようになります。
神学校入学は受験科目のあまりの多さに挫折しますが、ベルギーのボリナージユという場所で半年ほど伝道師として活動します。
しかし次第に教会の教えとは違った行動をとるようになり、最終的には追い出される形で伝道師を辞めてしまいました。
死後に評価された作品たち
伝道師としての道も断念せざるをえなかったゴッホは、この時期から画家になることを決意し、作品を制作していきました。弟を頼ってパリに行き、そこで「ひまわり」などの名作を生み出していきます。
僕もイギリスに行った時に美術館でみましたが、やはり他の絵画よりもゴッホの周りには人だかりが多かったですね。
しかしゴッホの作品が評価されたのは彼の死後で、生前に売れたのは友人の姉が購入した一枚だけだと言われています。
日本の浮世絵に影響を受けた
ゴッホは日本の浮世絵に強く影響を受けたことでも有名です。多くの浮世絵をコレクションし、歌川広重などの作品を油絵で模写していまいた。
ゴッホは新しい造形表現として浮世絵を研究し、線、色、形を単純化させる手法を自らの作品にも反映させていきました。
ファン・ゴッホの名言
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う。
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく。
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。
言葉から見た、ゴッホてこんな人!
失敗すら楽しんでいた楽観主義者
ゴッホは37歳の時に拳銃自殺をした。ということが定説となっています。
また精神病の他にも様々な病気を患い、病院を行き来していたというエピソードから、ネガティブで暗い印象を感じてしまいがちですが、彼が残した言葉には、失敗すらも人生の糧と捉え、楽しみ、挑戦し続ける人格が垣間見えます。
実際の彼は多くの挫折を経験し、生きている時にほとんど社会的な評価を得られない立場でありながらも、10年で2000点以上の作品を残し続けました。
そんなゴッホの心はとても前向きで、ポジティブであったと感じます。
ファン・ゴッホの名言からの学び。[後悔することはいいこと]
後悔することは人生を濃いものにしてくれる。
「後悔のない生き方、選択をしよう。」
そのような言葉はよく聞きますが、ゴッホの言葉には「後悔がなければ人生は空虚になる」という、真逆のような考え方があります。
失敗や、後悔なくしては人生は深まっていかない。
失敗は成功のもと。という諺にもあるようにそのようなマイナスな要素から、人間は多くのことを学んでいけるんだと思います。
絶望的な状況で人生を後悔したとしても、それが未来への糧となると考えたら、少し明るくなれる気がします。
多くの失敗をし、生前評価を受けずとも歴史に残る偉大な作品を残したゴッホの言葉から
それを学びました。