可能性を超えたものが、人の心に残る。
日本の建築家、安藤忠雄。
独学で建築を勉強したことで知られ、「住吉の長屋」や「光の教会」など、数多くの傑作を残し、現在でも世界中で活躍を続ける世界的な建築家です。
今日はそんな安藤忠雄さんの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「自分の仕事をつくる」について考察します。
安藤忠雄とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
17歳の時にプロボクサーになる
安藤忠雄さんは1941年に大阪で生まれます。安藤さんは生まれてすぐに祖父母に引き取られ、世界大戦末期の時代のなか、幼少期を過ごします。
小さい頃はとてもやんちゃで、勉強よりも外で一日中遊んでいるような子どもだったという安藤さん。中学2年生の時に、自宅を改装にきていた大工さんの仕事を見て、建築という仕事に心惹かれたといいます。
しかし高校生になった安藤さんは、双子の弟さんがボクシングをしていた影響からボクシングを始め、なんと17歳でプロデビューも果たします。しかし才能の限界を感じ1年半ほどでプロとして生きていくことを断念しました。
高校卒業後、建築の独学をはじめる
その後、高校を卒業しますが、大学に行けるだけの経済的な余裕はありませんでした。中学生の時に感銘を受けた大工の仕事から、建築を勉強したいと思っていた安藤さんは、建築学科に進んだ友人に頼み、専門書を買い込みます。
大学生が4年で勉強することを自分は1年で終わらせよう。そんな意気込みで、一日中本と向き合いう生活をおくります。また世界的建築家ル・コルビュジエの作品集を手に入れ、何度も図面を描き写すなど、独学で建築を学んでいきました。
そんな勉強の末、難関と言われる一級建築士の試験も一発合格します。安藤さんは本だけでなく実際に建築を見にいくことを大切にし、日本各地の伝統建築物を見てまわり、知見を深めました。
28歳で建築事務所を設立
また24歳の時には海外に飛び出し、約4年の期間をかけてアジアだけでなく、アメリカやヨーロッパ、アフリカなど様々な国々を旅しました。
帰国した安藤さんは28歳の時、梅田駅の近くに建築事務所をひらきます。特に実績もなかったため当初は小さな個人住宅の設計を多く手がけました。
そんな時の1976年、35歳で設計した個人住宅「住吉の長屋」が高く評価されたことをきっかけに、仕事の規模も少しずつ大きくなっていきました。
大病を乗り越え、世界的な建築家へ
その後も、コンクリートの壁から十字架の光が差し込むデザインが印象的な「光の教会」や、直島のアートプロジェクト、また海外でもイタリアやアメリカなどの美術館を設計するなど代表作を多数残します。
またアメリカの名門コロンビア大学やハーバード大学で客員教授を務め、56歳の時には東京大学の建築学科の教授に就任し、次世代の教育にも尽力します。
2020年現在、79歳の安藤さんですが、実は様々な癌を患い、胆嚢や十二指腸、膵臓など5つの臓器を全摘出しています。そんな大病を乗り越えながら、安藤さんは現在も精力的に建築に向かっています。
安藤忠雄の名言
地域が持つ特性を的確に捉え、つくり手の思いや住み手の思いなど、様々な人々の思いを一つに重ねることではじめて、「そこにしかできない建築」が生まれる。
モノをつくろうとする人間にとって、大切なのは、どれだけの感動に出会えるか、それを若い多感な時代に積み重ねられるかにかかっているのだと、改めて思う。
これからは、アジアから見ると、日本はどう見えるのかということをもっと考える必要がある。私も、仕事を通して「アジアはひとつ」「地球はひとつ」を実感している。お互いに助け合い、支え合いながら新しい世界をつくるべき時を迎えている。
小さな点からでも、情熱をもって辛抱強く続けていれば必ず実はなる。大切なのは、こころをつないでいくこと。人間も建築もまちづくりも一緒である。
自分がやりたい仕事を誰かが用意してくれることなどありません。与えられた仕事があれば懸命にやり遂げるのは勿論だけど、本当に自分がやるべき仕事は自ら提案し働きかけ、創りだしていくしかない。そこに向かっていくことが面白い。
無我夢中で仕事をしていれば、不平不満などは出てくるものではない。
私の場合は建築が専門ですが、それぞれの専門分野において、自分の腑に落ちるまでものごとを突き詰めて考えてきたかということが大事です。
人間の価値、人生の重さは、いかにひたむきに、精いっぱい生き抜いたかで決まると思います。どのような職業、境遇にあっても、真剣に生きている人間の姿はそれだけで、すがすがしく、美しい。
安藤忠雄の名言を引用・参考にした文献
言葉から見た、安藤忠雄てこんな人!
全力で人生を切り開いた人
日本を代表する建築家、安藤忠雄さん。国内だけでなく、海外にも数々の傑作を残し、現在は仕事の8割は海外からの依頼のようで、文字どおり世界中で活躍されています。
そんな安藤さんの建築への入り口は、「独学」という信じられないようなものでした。国家資格を必要とし、様々な専門知識を身につけないといけない建築という世界。そんな厳しい環境の中、安藤さんは毎日必死で勉強し、少しずつ夢に近づいていきます。
しかし建築士の資格を得て事務所を開くも、学歴や実績のない立場で、最初は誰も相手にしてくれなかったといいます。それでも小さな仕事を積み重ね、現在の世界的な建築家へなっていきました。
そんな安藤さんの成功は、妥協せず常に自分ができる全力を建築に投入していたからだと、「小さな点からでも、情熱をもって辛抱強く続けていれば必ず実はなる。大切なのは、こころをつないでいくこと。人間も建築もまちづくりも一緒である。」という言葉からも感じさせられます。
全力で人生を切り開いた人。それが安藤忠雄という人でした。
安藤忠雄の名言からの学び。[自分の仕事をつくる]
やりたいコトをつくる情熱と努力
今回の安藤忠雄さんの名言で印象的だったのが「自分がやりたい仕事を誰かが用意してくれることなどありません。与えられた仕事があれば懸命にやり遂げるのは勿論だけど、本当に自分がやるべき仕事は自ら提案し働きかけ、創りだしていくしかない。そこに向かっていくことが面白い。」という言葉でした。
世の中には無数の仕事が存在しています。
人はそれぞれ仕事をしながら支え合い、社会をつくっています。どの仕事もそんな人間社会の一部であり、それにやりがいや心熱くなれる想いがあれば、どんな種類の仕事も天職になるはずです。
ですが、誰しもが天職を感じれることは難しいのかもしれません。現に今の仕事に不満を持つ人も、少なくはないはずです。「やりたいことができない・・・」と自分の理想像と現実を比べ、「環境や境遇が悪い・・・」と自分以外のものを言い訳の材料にする。そんなこともあるかもしれません。
しかし、安藤さんは「自分がやりたい仕事を誰かが用意してくれることなどありません。」と言い、自分がやりたいと思ったのであれば、それを実現させるための、自発的な行動をしないといけないと語っています。
十人十色という言葉にもあるように人は皆、違っています。自分がやりたい仕事は、もしかすると自分しか思いつかいない仕事かもしれない。
仕事は与えられるものではなく、つくるもの。そして何よりそれを可能にするのは、やりたいコトに対する熱意であり、努力であるのだと、今回の安藤さんの言葉に触れて感じさせられました。
やりたいコトをつくる情熱と努力
日本を代表する世界的な建築家、安藤忠雄の名言からそれを学びました。