一生懸命に作ったものは、一生懸命見てもらえる。
世界に誇る日本の名監督、黒澤明。
米週刊誌『タイム』アジア版の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出されるなど、「世界のクロサワ」として世界各地で高く認知されている日本人の1人です。
今日はそんな黒澤明監督の名言を紹介し、その言葉たちから学んだ「頑張ることは理由にならない」について書いていこうと思います。
黒澤明とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
画家を目指した学生の時代
黒澤明さんは明治時代の終わり、1910年に東京の品川で生まれます。
体育教師だった父親の勧めで、幼少期から映画に慣れ親しんでいたようで、主に西部劇などの洋画を観ていたと言います。
小学生の時は絵を描くことが好きだった黒澤さん。しかし個性的な作風の絵を同級生に笑われ、気の弱かった彼はいじめの対象でした。しかし担任の先生だけは黒澤さんの絵を褒め続け、それにより自信をつけた黒澤さんは、後にこの担任先生を生涯の恩師と語っています。
そんなこともあってその後画家を目指し美術学校(現在の東京芸大)を受験しますが、結果は不合格。しかし画家の道を諦めきれず、洋画を勉強、二科展に静物画が入選するまでになります。
助監督に応募し映画業界へ
そんな中、次第に自分の画家としての才能に疑問を感じ始めた黒澤さんは、ある日、新聞に助監督募集の広告が出ているのを偶然見つけ、すぐさま応募。
100人に1人の狭き門を突破し、現在の東宝になるP.C.L.映画制作所に入社することになります。そして山本嘉次郎監督など、様々な監督の下で助監督を務め、経験を積んでいきました。
山本監督の「監督になりたければシナリオを書け」という助言の元、忙しい助監督業のかたわら、脚本を書き続けます。その後、手がけた脚本で賞を受賞し、注目されるようになります。
助監督として異例の速さで昇進、33歳で監督としてデビューを果たします。初監督作品である「姿三四郎」は大ヒット、山中貞雄賞を受賞しました。
多作なことでも有名な黒澤さんはこのデビュー以降、55歳まで毎年のように作品を発表し続けました。
世界のクロサワへ
1950年、人間不信をテーマに描いた「羅生門」が公開されると、海外で高い評価を獲得。日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、「世界のクロサワ」として注目されるようになります。
この羅生門で主演を務めた三船敏郎さんとは、三船さんがデビューしたての頃からの間柄で、黒澤さんは三船さんの才能に一目惚れし、2人が組んだ作品は16本にもなりました。
その後もヒューマンドラマの傑作と言われる「生きる」や上映時間3時間半にも及ぶ大型時代劇「七人の侍」など、作品を次々にヒットさせます。
黒澤さんは生涯で、アカデミー賞をはじめ世界三大映画祭と言われるヴェネツィア、カンヌ、ベルリンすべてで賞を獲得しました。
最後まで現役監督として
黒澤映画は日本のみならず現代に生きる映画監督に多大なる影響を与えてきました。
「スターウォーズ」の監督であるジョージ・ルーカスや「未知との遭遇」や「E.T」などのスティーヴン・スピルバーグなど、誰もが知る名監督たちもその1人でした。
死ぬ間際まで作品を作り続けていた黒澤さん。1995年に「雨あがる」の脚本を書いていた頃、京都の旅館で転倒、骨折しそのまま療養生活に入ります。
そして1998年に脳卒中により88歳の人生を終えました。
黒澤明の名言
観客が本当に楽しめる作品は、楽しい仕事から生まれる。仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それが全て作品に生かされたという充足感が無ければ生れない
些細なことだといって、ひとつ妥協したら、将棋倒しにすべてがこわれてしまう
何もないところからものを創りだしていると思っているのは、人間の驕りだよ。生まれてから今までのどこかで、耳にし、目にした何かが、知らず知らずに入り込んだ記憶が、何かのきっかけで呼び覚まされて動き出す。そうやって、創造していくんだと思うよ
悪いところは誰でも見つけられるけれど、いいところを見つけるのは、そのための目を磨いておかないとできない
私は、言葉こそうまく喋れないが、世界中の何処の国へ行っても、なんの違和感も感じないから、私の故郷は地球だと思っている。世界の人間がみんなそう思えば、今、世界に起っている馬鹿な事は、ほんとに馬鹿な事だと気が付いてやめるだろう。
人を憎んでる暇なんてない。わしには、そんな暇はない 。
撮影する時は、勿論、必要だと思うから撮影する。しかし、撮影してみると、撮影する必要が無かったと気がつくことも多い。いらないものは、いらないのである。ところが、人間、苦労に正比例して、価値判断をしたがる。映画の編集には、これが一番禁物である。
言葉から見た、黒澤明てこんな人!
全力でやり続ける苦しみと喜びを知る人
黒澤さんは完璧主義としても有名で、演出から映像にも映らない小さな小道具に至るまでいっさいの妥協を許さなかったと言います。
リハーサルだけで数ヶ月かけるのは当たり前。
夕日を眺めるだけのシーンにOKを出すのに半年以上かける。
自身の脚本の登場人物も性格だけでなく、家族構成や趣味、体格、生活環境から歩き方まで徹底的につくり込む。
などなど、そんな完璧主義なエピソードは数知れません。
それは黒澤さんの言葉からもとてもよく感じる部分であり、彼は常に全力で妥協なく映画というものに向き合っていたのだと感じます。
そして自分に一番厳しく、ただただ夢中に自分が作りたい映画を作り続けていた。
黒澤さんは誰よりも高い次元で、作品を生み出す苦しみと、それに没頭する喜びを知る人でした。
黒澤明の名言からの学び。「頑張ることは理由にならない」
「頑張った=価値がある」ではい。
黒澤さんの言葉の中で僕がもっとも印象深かったのは、「人間、苦労に正比例して、価値判断をしたがる。」という名言です。
これは僕にとって耳の痛い言葉でもありました。
本来の達成すべき、自分が思い描いた目標がある。しかしそれに及ばないながらも「一生懸命頑張ったんだから」という知らず知らずの理由を作り、結果的にそれを目的と変えてしまう。
本来達成する結果ではなく、頑張ったという過程をゴールにしてしまう。
この言葉にはそんな人の弱さ、甘え、妥協といったモノを強烈に明るみにしてくる強さがありました。
僕は結果至上主義というわけではないですが、そもそも全力を出さないと結果なんて出ないのは当たり前で、むしろ全力を出して初めて結果につながる道が見えてくる。妥協する人にはその道すら見えない。
全力は人それぞれなので比べられないですが、少なくとも昨日よりも今日。より全力でやったという実感が大切だと感じました。小さいことから妥協なく。
常に最高を求め小さいことにも妥協なくこだわり抜いた名監督、黒澤明さんからそれを学びました。