
正しいことをするためには、少しの勇気が必要なんだ。
『エルマーのぼうけん』は、アメリカの作家ルース・スタイルス・ガネットによって執筆され、1948年に出版されました。
当時22歳だったガネットが、雨の日の退屈しのぎに「もし自分が冒険に行くなら何を持っていくか」を想像して書いた物語がベースとなっています。挿絵は彼女の継母であるルース・クリスマン・ガネットが担当し、その緻密で温かみのある白黒の絵が、物語のリアリズムと幻想的な世界観を見事に融合させています。
エルマーのぼうけんの物語の主な特徴
この物語の最大の特徴は、主人公の少年エルマーが、暴力ではなく知恵と身近な道具を使って困難を乗り越える独創的な解決法にあります。
どう猛なライオンやワニが立ちはだかる「どうぶつ島」において、エルマーはリュックに詰めた歯ブラシ、チューインガム、色とりどりの輪ゴム、キャンディーといった日用品を巧みに使い、動物たちの気をそらして進んでいきます。
「特別な魔法」ではなく、子どもの機転と勇気が奇跡を起こすワクワク感は、発表から70年以上経った今も世界中で愛されています。捕らわれたりゅうを救い出し、空を飛ぶラストシーンは、読者に自由への希望を抱かせてくれる不朽の名作です。
エルマーのぼうけんの名言|短いひとこと名言


鏡を見てごらん。きみはもっと立派に見えるはずだよ。

計画を立てよう。闇雲に動いても解決しないよ。

ありがとう、ねこさん。きみがいなければ、ぼくはここへ来られなかった。

空から見る世界は、なんて素晴らしいんだろう!

急がば回れ、だね。焦るのが一番いけない。
エルマーのぼうけんの作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

ニューヨークに生まれ、文学的な環境で育つ
ルース・スタイルス・ガネットは1923年8月12日、アメリカのニューヨーク州ブルックリンに生まれました。父ルイスは『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の高名な文芸批評家であり、母メアリーも編集者という、文学に囲まれた環境で幼少期を過ごしました。
彼女は進歩的な教育で知られる「シティ・アンド・カントリー・スクール」で学び、自由な発想を養いました。この学校での経験は、後に彼女が描く、常識にとらわれない主人公エルマーのキャラクター造形に大きな影響を与えたとされています。
化学を専攻し、研究生活の傍らで執筆
ガネットは1944年にヴァッサー大学を卒業しますが、意外にも彼女の専攻は文学ではなく化学でした。卒業後は医学研究所やボストンのレーダー研究所などで化学者として働き、科学的な思考を重んじる日々を送っていました。
そんな中、仕事の合間の休暇中に、自分を励ますようにして書き始めたのが『エルマーのぼうけん』の草稿でした。彼女は後に、「特別な意図があったわけではなく、ただ自分自身を楽しませるために書いた」と振り返っています。科学者としての論理的な思考と、幼少期から培った豊かな想像力が組み合わさることで、エルマーが機転を利かせて危機を乗り越える独特の物語が誕生したのです。
『エルマーのぼうけん』三部作の成功と日本での人気
1948年に出版された『エルマーのぼうけん』は、継母であるルース・クリスマン・ガネットが挿絵を担当し、その緻密で温かみのあるイラストとともに大評判となりました。続いて『エルマーとりゅう』『エルマーと16ぴきのりゅう』が刊行され、三部作として完結します。
特に日本での人気は絶大で、1963年に翻訳出版されて以来、累計発行部数は700万部を超え、日本で最も読まれている海外児童文学の一つとなりました。ガネット自身も、自分の物語が遠い日本の地でこれほど長く愛されていることに、深い感謝と驚きを生涯持ち続けていました。
大家族に囲まれた晩年と、100歳の生涯
私生活では芸術家のピーター・カーンと結婚し、7人の娘に恵まれました。彼女は作家として多くの著作を残すことよりも、家族との生活や農場での暮らしを大切にしました。子育てを終えた後も、地域の活動や自然保護に静かに関わり続けました。
2023年、ガネットは世界中のファンに祝福されながら100歳の誕生日を迎えました。そしてその約1年後の2024年6月11日、ペンシルベニア州の自宅で安らかに息を引き取りました。彼女が遺した物語は、単なる冒険記の枠を超え、「困難にあっても知恵を絞れば道は開ける」という希望を、今も世界中の子どもたちに送り続けています。
