アンドリュー・カーネギーの名言からの学び。[義務の先にある努力]

Aカーネギー 画像世界の偉人の名言

チャンスに出会わない人間は、一人もいない。それをチャンスにできなかっただけである。

アメリカの実業家、アンドリュー・カーネギー

移民、貧困の環境からジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪にまでのぼりつめます。自身の事業から「鉄鋼王」と称されたカーネギー。

今日はそんな鉄鋼王カーネギーの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「義務の先にある努力」について考察しました。

アンドリュー・カーネギーとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

アンドリュー・カーネギーの名言からの学び。[義務の先にある努力]のイラスト1
  • 移民としてアメリカへ、12歳から働く
  • ペンシルベニア鉄道に引き抜かれる
  • カーネギー鉄鋼会社の創業
  • 精力的な慈善活動

移民としてアメリカへ、12歳から働く

カーネギーは1835年、スコットランドで生まれます。父親は手織り職人をしていました。しかしイギリスの産業革命により蒸気機関を利用した工場が増えると、手織りの仕事は次第に衰退していきます。

そのため1848年に一家はアメリカへ移住することを決断します。移住するために借金もしていたので、カーネーギーは12歳から家の近くの綿織物工場で働き始めます

その後工場を辞め、ピッツバーグ電信局で電報配達の仕事を始めます。仕事熱心なカーネーギーはモールス信号を耳で聞き分け、1年も経たずに電信技師に昇格します。また読書などで勉強し独学で様々な知識を得ていきました。

ペンシルベニア鉄道に引き抜かれる

するとペンシルベニア鉄道西区の支配人していたトーマス・A・スコットがカーネーギーを秘書兼電信士として引き抜き、カーネギーは当時の若者には高額の給料でむかえられました。

スコットはカーネギーに経営をおしえ、投資なども支援するなど、その後も二人は良好な関係を築いていきます。

1860年に南北戦争が始まると、武器を輸送するために鉄道が活躍、またカーネギーは製鉄業にも投資をしていたため、武器で鉄鋼が必要とされることによって、多くの資産を築きます

カーネギー鉄鋼会社の創業

それにともない終戦後はペンリルベニア鉄道を辞め、製鉄業に注力していきます。そしてキーストンブリッジ社やユニオン製鉄所を創業します。

そんな時、イギリスの発明家ヘンリー・ベッセマーが革新的な製鋼法を生み出します。カーネギーはこのベッセマー製鋼法にいち早く注目し、実用化を目指しました。

工場の24時間稼働、ライバル会社を買収、また自身の所有する会社も一つにまとめて1892年にカーネギー鉄鋼会社を創業します。そしてアメリカの鉄鋼生産の大部分を行うようになり「鉄鋼王」と呼ばれるようになりました。

精力的な慈善活動

慈善活動にも精力的だったカーネギー。彼を代表する活動が公共図書館の建設でした。1883年に最初の図書館が建てられると、それはアメリカやイギリスだけでなく、英語圏の様々な国に設置されていきました。

その後もカーネギー基金の設立や財団を作り、そのお金は学生の教育支援や大学教授、かつての従業員の年金として使われました。また自身の資産の大部分を様々な団体に寄付し、その額はおよそ3億5000万ドルにもなったと言われています。

1919年に気管支肺炎によって83歳で亡くなりますが、その遺産の3000万ドルも基金や慈善団体に送られました。

アンドリュー・カーネギーの名言

アンドリュー・カーネギーの名言からの学び。[義務の先にある努力]のイラスト4

成功にトリックはない。わたしは与えられた仕事に、全力をつくしただけだ。

やるべきことと、それ以上のことを行いなさい。そうすれば、未来は自然に開けるものです。

「明確な目標」があれば変化を起こして、環境を自分を従わせることができるが、そうでなければ、周囲に流され環境に支配されてしまう。

お金が人間を堕落させるのではない。儲ける為だけに儲け、貯める為だけに貯めようとすることが、人間を堕落させるのである。

人は受けるより与えることの方がもっと幸せなのである。

最も高い目標を達成するには、一歩一歩進むしかないという事実を、頭に入れておかなければならない。

私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。

言葉から見た、アンドリュー・カーネギーてこんな人!

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目標に全力に生きた人

移民としてアメリカに来たカーネギーは暮らしは貧乏、学校も行けずに働くなど、恵まれた環境ではありませんでした

しかしそこから自らの手で人生を切り開き、世界最大の収益を生み出す会社を創り上げました。

それは彼の「「明確な目標」があれば変化を起こして、環境を自分を従わせることができるが、そうでなければ、周囲に流され環境に支配されてしまう。」という言葉にもあるように、12歳で働くようになってから、どんなに小さな目標でもそれに向かって全力を注いできたからこその、偉業であると感じさせられます。

お金、教育といった人生に重要な環境に恵まれなくても、明確な目標と努力でそれは変えていける。

目標に全力に生きた人。それがアンドリュー・カーネギーという人でした。

アンドリュー・カーネギーの名言からの学び。[義務の先にある努力]

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与えられた以上の価値を与える

今回のカーネギーの名言で印象的だったのが、「私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。」という言葉でした。

この言葉に象徴されているようにカーネギーは自分に与えられた仕事に全力に取り組み、未来を切り開いていきました。その後転職した電信局でも自発的に勉学や技術を習得し、ペンシルベニア鉄道へと引き抜かれていきます。

常に与えられた仕事をこなすだけでは大きな変革は望めません。そこから自発的な努力と行動が積み重なることで大きく成長していける。カーネギーの人生はまさにその連続により大きく飛躍していきました。

与えられた以上の価値を与える

世界の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの言葉からそれを学びました。

今日の英語

  • steel・・・鉄鋼
  • duty・・・義務