ジネディーヌ・ジダンの名言からの学び。[負けは成長への道筋]

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サッカーは、何が起こるか分からないとき、最も美しい。

フランスのサッカー選手ジネディーヌ・ジダン

イタリアのユヴェントスやレアル・マドリードなど名門クラブに所属し、常にチームの中心選手として活躍。また1998年のフランスワールドカップではフランスを初優勝に導き、個人でも数々のタイトルを獲得するなどサッカー史に残るプレーヤーです。

今回はそんなジネディーヌ・ジダンの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「負けは成長への道筋」について考察します。

ジネディーヌ・ジダンとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

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  • フランスのマルセイユで生まれる
  • 16歳でプロ契約
  • 24歳で名門ユヴェントスに移籍
  • レアル・マドリードで選手、監督としても活躍

フランスのマルセイユで生まれる

ジネディーヌ・ジダンは1972年にフランスのマルセイユに生まれます。両親は少数民族のベルベル人で、アルジェリアに住んでいましたがアルジェリア独立戦争が勃発したため、ジダンが生まれる少し前にフランスに移住しました。

一家は移民が多く住むカステラン地区に落ち着き、父親は倉庫番や夜間の警備の仕事を掛け持ちし、なんとか家計を支えていました。

そんな環境で育ったジダンがサッカーと出会ったのは5歳の時。近所の子供たちと家の近くの広場でサッカーをして遊んだのがきっかけです。またサッカーだけでなく父親の影響で柔道もしていたと言われています。

ジダンは9歳時に地元のサッカークラブであるASフォレスタに入り、翌年にはさらに強いチームであるUSサン=タンリに所属し、熱心にサッカーに取り組むようになります。

16歳でプロ契約

そして14歳の時に参加した3日間のトレーニングキャンプでASカンヌのスカウトの目に止まり、カンヌのユースチーム加入の打診を受けます。スカウトはカンヌにホームステイすることが条件と伝え、当初父親は故郷を離れるのを反対しますが、母は貧しい現在の環境で受けれない教育を受けさせることができると賛成し、ジダンはカンヌに渡ります。

カンヌのユースチームではプロと同じトレーニングを自分にかすなど、努力を続けたジダンは16歳でトップチームに昇格し、プロ契約を果たします

しかし華々しいデビューとはなりませんでいた。出場機会もあまり与えられず、また4部リーグでプレーするように言われるなど、苦しい時期を過ごします。転機となったとはプロ3年目のオリンピック・マルセイユとの一戦でした。その試合で活躍を見せると、その後チームは14連勝し、ジダンは「ディビジョン1で最も才能に恵まれた選手」と評価されるまでになります。

24歳で名門ユヴェントスに移籍

20歳でボルドーに移籍するとさらなる活躍を見せ、2年後にはリーグ・アン(フランスのプロリーグ)の最優秀若手選手に選ばれます。1996年のUEFAカップでボルドーは決勝まで勝ち進み、ジダンは4回戦で35メートルのロングーシュートを決めるなど、チームの中心選手として活躍します。

この時のプレーを見ていたイタリアの強豪ユヴェントスの首脳陣は「ミシェル・プラティニの後継者をみつけた」とジダンの活躍を讃えました。そして24歳でユヴェントスに移籍。移籍当初は適応に苦しみますが、フィジカルトレーニングや攻撃的なポジションへの変更もあり徐々にチームに無くてはならない存在になっていきました。

ユヴェントスには5年間在籍し、2度のリーグ優勝とチャンピオンズリーグ2年連続準優勝など活躍します。また1998年に自国で開催されたワールドカップでは決勝で2得点の活躍をみせフランスの初優勝に大きく貢献し、この年のバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞しました。

レアル・マドリードで選手、監督としても活躍

そして2000年にはスペインの強豪レアル・マドリードへ移籍します。銀河系軍団と称された一流選手が集まるチームの顔として活躍し、リーグ優勝にUEFAスーパーカップ、チャンピオンズリーグ優勝など数々のタイトルの獲得に貢献します。

そして2006年のドイツワールドカップを最後に現役引退を発表。代表自体は2004年に「若手に道を譲る」という理由で引退していましたが、ジダン不在のフランス代表は低迷を続け、多くの国民がジダン復帰を願っていました。当時のフランス大統領が直接ジダンに代表復帰を説得し、またチームメイトの懸命の呼びかけもあり、ジダンは代表復帰を決意します。そして迎えたワールドカップではチームを準優勝に導き、自身はMVPを獲得するなど現役最後までハイパフォーマンスを維持していました。

引退後はレアル・マドリードのクラブアドバイザーに就任し、2016年には監督にも就任、チャンピオンズリーグでは2連覇の偉業を成し遂げるなど、監督としても類稀な才能を発揮しています。

ジネディーヌ・ジダンの名言

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戦術的に最も優秀な監督ではないが、私は違うものをもっている。それは希望と情熱であり、その価値のほうが遥かに高い。

僕は自分が負うべき責任の前では常に孤独だ。責任を放棄するつもりもないし、そこから逃れられるわけでもない。

相手チームのことはまるで気にならない。自分のことと10人の仲間のことしか考えない。ゲームのこと、そして自分たちのこと。僕らの力は僕ら自身にあるんだから。

負けた者が努力した結果、次の機会で勝利を掴めば、対戦相手にだけではなく、挫けそうな自分の弱さを克服した、尊い勝者となるでしょう。その意味では、私の負けず嫌いは、自分への戒めでもあると思います。

いつか皆さんもジダンを忘れる日が来るでしょう。その時こそ、また素晴らしいサッカーの歴史が始まる時だと思います

本当の勝敗というのは、試合の直後ではなく、その後の人生で決まるのではないでしょうか。

成功の可能性は0%だと言われて、諦める事ができるような、そんな軽い気持ちで夢を追いかけたわけじゃない

フェイントは相手を抜くためじゃない。ゴールまでの選択肢を増やすためだ

言葉から見た、ジネディーヌ・ジダンてこんな人!

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人と違った視点を持った人

1990年代~2000年代初期において最も活躍し、強く印象を残したであろうジネディーヌ・ジダン。多くの人が世界ナンバーワンに彼を選ぶほどに、ジダンのプレーは他の選手と一線を画していました

ジタンのポジションは司令塔と呼ばれるチームの柱となるポジションで、彼は強靭なフィジカルと高いテクニック、また広い視野と戦術眼などの様々な能力を備え、的確にゲームをコントロールしていました。

そんなジタンのプレーを象徴するような言葉が「フェイントは相手を抜くためじゃない。ゴールまでの選択肢を増やすためだ」です。

1つのプレーを点として捉えるのではなく、ゴールまでの道筋を描き、そこに向かうための最適の解として選択する。

歴代のレジェンドたちもジダンのことを最高と評価するのは、このゴールに対する意識と、ひとつひとつのプレーにおいて、人とは違った視点を持っていたからだと彼の言葉に触れ、そう感じさせられました。

人と違う視点を持った人。それがジネディーヌ・ジダンという人でした。

ジネディーヌ・ジダンの名言からの学び。[負けは成長への道筋]

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弱さを受け入れ、成長へ進む

今回のジネディーヌ・ジダンの名言で印象的だったのが「負けた者が努力した結果、次の機会で勝利を掴めば、対戦相手にだけではなく、挫けそうな自分の弱さを克服した、尊い勝者となるでしょう。その意味では、私の負けず嫌いは、自分への戒めでもあると思います。」という言葉でした。

勝負には必ず勝ち負けが存在します。負けず嫌いの程度は人それぞれですが、心から負けることを望むような人はいないはずです。

勝負に負けるのは戦っていた相手にだけではありません。実力不足、準備不足、精神的な弱さなどの自分に対する負けでもあるのだと、ジダンのこの言葉を見て気づかされました。

だから尚更悔しいし、そんな弱い自分を変えたいし、乗り越えたい。でも、そんな弱さを受け入れることが成長への一歩であり、負けることこそが次なる挑戦の原動力となるとも感じさせられます。

だから負けたときには謙虚に受け入れ、成長できる喜びで前に進むことが大切だと、ジネディーヌ・ジダンの言葉から学ぶことができました。

ジネディーヌ・ジダンについての本の紹介

今日の英語

  • growth・・・成長
  • competitive・・・負けず嫌い