天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず
慶応義塾大学を設立し日本の教育の礎を築いた福沢諭吉。
1984年から1万円札の肖像画にもなり、普段の生活でも馴染み深い人物でもあります。
そんな福沢諭吉の名言を紹介し、そこからの学びである「アウトプットの意味を考える」について考察します。
福沢諭吉とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
下級武士の息子
福沢諭吉は1835年江戸時代の末期に大阪で生まれます。当時の日本は商人の子供は商人に、武士は武士へと身分が決められた社会でした。諭吉の父親は下級の武士であったため、そんな身分制度とは関係のない学問を好んでいたと言います。
しかし父親は諭吉が生まれてすぐに病気で亡くなってしまします。一家は大阪から大分の中津に引越します。生活は苦しいものでしたが、母親は内職をして生計を立て、手先が器用な諭吉はそれをよく手伝っていたと言います。
この時代の武士の子供は6歳ころから塾に通うことが一般的でしたが、諭吉は塾に行かず13歳くらいまで母の内職の手伝いばかりをしていまいた。
そんな諭吉もその後塾に通い始めますが、学ぶのが遅かったため、周りの生徒に知識がないことをバカにされます。それが悔しくて、毎日夜遅くまで勉強し、諭吉の成績はどんどん伸びていきました。
蘭学を学ぶ
それから数年後、日本にペリーが来航し、江戸幕府に開国を要求する出来事が起きます。この歴史的な事件は遠く離れた中津まですぐに広まり、諭吉の心にも衝撃を与えました。そして当時唯一の貿易国であったオランダの蘭学を学ぼうと長崎へ行くことになります。
ここでも勉強熱心な諭吉は3ヶ月も経つ頃にはオランダ語の本を少しずつ読めるようになっていました。その後一度故郷に戻った後、日本一の蘭学塾とされていた緒方洪庵の適塾に通うため大阪に向かいます。適塾には全国から優秀な若者が集まり、一冊の本を取り合うくらいに皆切磋琢磨して勉学に励んでいたと言います。
それから諭吉は中津藩の命令で江戸で蘭学塾を開くことになります。この時、福沢諭吉は23歳、この塾がのちの慶應義塾として発展していくのでした。
外国の使節団→慶應義塾
開国後、日本はアメリカやイギリスなどと貿易を始めたこともあり、諭吉は塾で蘭学を教えるかたわら、夜は英語の勉強に励みました。そして勝海舟が艦長を務めるアメリカの使節団の一員に加えてもらい、アメリカへ行きます。
帰国後、翻訳の仕事をします。そして今度はヨーロッパの使節団に選ばれるとフランス、イギリス、オランダ、ポルトガルなどの国々を回り、文明だけでなく、政治や思想など様々なことを学び帰国。
それらの体験をまとめた「西洋事情」という本を出版します。30万冊も売れたこの本によって人々は諸外国と日本の違いを知ることができました。
そして福沢諭吉は33歳の時に生徒の増加にともない塾を引越し、名を「慶應義塾」と改めました。
学問のすすめの出版
その頃、時代は明治への移り変わり、戦争含め混沌とした世にありました。福沢諭吉は学問こそ、そこに光を照らせる存在になれると信じ、学問の大切さを説いた「学問のすすめ」を出版します。
また「時事新報」という新聞を作り、正当に意見を主張し、正しい情報を得られる社会を目指しました。
その後もたくさんの本を出版し、人々に多くの知識を伝えていった福沢諭吉は66歳でこの世を去ります。お葬式には1万5千人を超える人々が集まり、故人を惜しみました。
福沢諭吉の名言
行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。
未だ試みずして先ず疑うものは勇者ではない
自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
活用なき学問は、無学に等しい。
信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。
やってもみないで、「事の成否」を疑うな。
言葉から見た、福沢諭吉てこんな人!
学問をもって自由を求めた人
福沢諭吉が生きていた時代は身分制度、幕末、外国との不平等な条約など様々な問題が同時に起こるような混沌とした時代でした。
武力によって国を治めようという動きがある中、諭吉は武力での争いでは解決はないと感じ、話し合いによる和解を主張しました。それには正しい知識が必要だと、外国の視察で強く感じだのでした。
学問により、何からも縛られない自由を求めた人、それが福沢諭吉でした。
福沢諭吉の名言からの学び。[アウトプットの意味を考える]
知識は得ただけでは不十分
福沢諭吉の言葉には自由と独立の文字が多く見られます。彼はただ知識を溜め込むのではなく、それをどう使い、独立と自由へ向かえるか。その為の行動をしていました。
この実際に行動に起こす事がとても大切で、そしてなかなかできない部分であると感じます。知識をインプットするだけでは不十分で、それを実践し、実体験をする事で本当の意味での「知る」という事になる。
説得力のある人の言葉には必ず自身の経験から得たモノがあります。逆に説得力のない人はどこか他人から得た知識だけを伝えている。人はそれを敏感に感じ取ります。
何かを得たら、それを実際にやってみる。
インプットとアウトプット、どちらだけでも不十分であり、この一連の流れを繰り返すことが、メッセージを人に伝えられる根拠になるのではないかと、福沢諭吉の言葉を見て感じさせられました。
知識を得るだけでなく学問の大切さを人々に伝え続けた福沢諭吉の言葉からそれを学びました。