未来にはいくつかの名前がある。意志薄弱な者はそれを不可能と呼び、臆病者は未知と呼ぶ。しかし勇敢な者はそれを理想と呼ぶ。
フランスの詩人、小説家の、ヴィクトル・ユーゴー。
19世紀におけるロマン主義を牽引した文豪として知られ、「ノートルダム・ド・パリ」や「レ・ミゼラブル」など、何度も映画化されるような名作をいくつも残しました。
今回はそんなヴィクトル・ユーゴーの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「信じることは大きな愛である」について考察します。
ヴィクトル・ユーゴーとは?どんな人? 生涯・経歴を紹介
思想対立する両親のもとに生まれる
ヴィクトル・ユーゴーは1802年にフランスのブザンソンという街で生まれます。父親は共和派(君主を持たない政体)ナポレオン軍の軍人で、母親は王党派(王政を支持する政党)の資産家の娘でした。
政治思想の違いから常に両親は対立状態にあり、また父のジョセフは任地を転々とする日々を送り、家にはほとんど帰ってこなかったと言われています。そのためユーゴーは主に母親に育てられました。
また生後まもなくして母親や兄弟とフランスだけでなく、ヨーロッパを渡り歩く日々を送ります。そして10歳の時にパリに移り住むと、兄弟と一緒に寄宿学校に通い始めます。
17歳で詩のコンクールで優勝
軍人であった父親はユーゴーを軍人に育てたいと思っていましたが、そんな父親の想いとは裏腹にユーゴーは詩を書くことに没頭します。そして17歳の時にアカデミー・フランセーズ(フランス最古のアカデミー)の詩のコンクールで優勝するなど、才能を開花させていきます。
そして20歳の時に自身の最初の詩集である「オードと雑詠集」を出版すると、フランス国王ルイ18世にも注目され、その後は年金をもらいながら作家活動に勤しむようになります。
27歳の時に発表した戯曲「エルナニ」では、これまで主流であった古典派の常識を大きく外れた作品として話題となり、「エルナニ合戦」と呼ばれるほど古典派とロマン派の論議の的として注目を集めます。
クーデターをきっかけに国外に亡命
エルナニはその後の世界文学がロマン派主流へ移り変わるきっかけとなった作品とされ、公演も大成功に終わります。またユーゴーは29歳の時に名作「ノートルダム・ド・パリ」を発表します。これらの作品の成功により彼はロマン派の作家として大きな名声を得ていきました。
また35歳の時にはフランスの最高勲章とされるレジオン・ドヌール勲章を受賞しました。そして43歳の時には国王ルイ・フィリップから子爵の位を与えられ貴族となったことで、政治活動にも力を入れるようになります。
しかしその後、1851年にナポレオン3世によるクーデターがフランスでおこり、それに反対したユーゴーは弾圧から逃れるために逃亡生活を送ることとなります。
レ・ミゼラブルを発表
ベルギーへ亡命したユーゴーはそこでナポレオンを批難した「小ナポレオン」を発表し、大きな反響を呼びます。これにより弾圧が過激になるのを恐れたユーゴーはイギリス領のジャージー島へ移り住みます。
そして1862年、60歳の時にかねてより執筆に取り組んでいた大作「レ・ミゼラブル」を完成させます。そして出版されたこの作品は現在でもフランスで聖書の次に読まれる名書として世界的な大ヒットを記録します。
1870年、ナポレオン3世が失脚したことで、ユーゴーは19年ぶりにパリに帰還します。英雄として迎えられ、晩年は議員活動に尽力したユーゴーは83歳でその生涯を終えました。
ヴィクトル・ユーゴーの名言
人は強さに欠けているのではない。意志を欠いているのだ。
人生最大の幸福は、愛されているという確信である。自分のために愛されている、否、もっと正確には、こんな自分なのに愛されているという確信である。
愛すること、それは行動することだ。
意見は変えても良いが、原則は変えてはいけない。葉は生え変わっても、根はそのままでなければならない。
愛することは、ほとんど信じることである。
一人の人の献身がすべての者に力と勇気とを与える。
愛が無くても与えることはできるが、与えること無しに愛することはできない。
勇気ある者たちは、全財産を失ったとしても、勇気そのものは決して失わない。
言葉から見た、マルクス・アウレリウスてこんな人!
常識を覆す勇気を備えた人
10代から文才を開花さ、活躍し続けたフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴー。彼の作品は早くから世で注目を集め、フランス国王に支援を受けるまでになります。
彼は文学におけるロマン主義(自由な感性や感情に重きを置く)の第一人者として、活躍していきます。そして戯曲として発表した「エルナニ」は上演をめぐり、ロマン主義グループと古典劇の伝統を守ろうとするグループの対立を生み、大きな論争を巻き起こしていきました。
彼の「一人の人の献身がすべての者に力と勇気とを与える。」という言葉にもあるように、これまでの常識や概念から逸れる行動には大きな勇気が必要です。
ヴィクトル・ユーゴーは大きな勇気を持ち、自分が先頭に立ちながら文学の変革を担っていきました。そしてその変わらない強い意志が晩年の大作「レ・ミゼラブル」へと繋がっていったのだと感じさせられます。
常識を覆す勇気を備えた人。それがヴィクトル・ユーゴーという人でした。
ヴィクトル・ユーゴーの名言からの学び。[信じることは大きな愛である]
信じることは大きな愛である
今回のヴィクトル・ユーゴーの名言で印象的だったのが「愛することは、ほとんど信じることである。」という言葉でした。
人は愛情があれば人に何かを与え、何かをしてあげたくなります。親子の関係がいい例ですが、たぶんに親は見返りを求めない無償の愛と呼ばれるものを子どもに与えます。
子どもが成長するにつれ、それは物だけでなくなります。時にはこんな大人になってほしいと、自分の希望に沿わせた人生を与えようともするでしょう。
自分の思想や望みを与える。
これは単に親子関係だけでなく、先輩後輩、上司部下、友人、兄弟など様々な人間関係に起こり得ると思います。自分が相手のためを思ってした行動も、本当の意味で相手のためになるのか。それはわかりません。
与える愛は尊く大切ですが、逆に「与えない」ことも愛であると、この言葉を見て感じさせられました。
他人と自分は違う考えや想いを持ち、生きているという認識が大切であり、たとえ自分がこうしてほしいという想いに反した行動をしたとしても、そんな所も含め、まずはその人自身を尊重し信じてみること。
それも相手に対する大きな愛であると、ヴィクトルユーゴーの名言から教えられました。