天才とは1%のひらめきと99%の努力である。
生涯1300以上の発明をしたと言われているアメリカの発明王トーマス・エジソン。
上の言葉はエジソンの有名な名言です。80歳をこえても寝る間を惜しんで発明を続けた努力の人。
今日はそんなエジソンの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「失敗かどうかは自分が決める」について書いていきます。
トーマス・エジソンとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
好奇心の強い少年時代
エジソンは1847年にアメリカの北東部の街で7人兄弟の末っ子として生まれ、小さい頃から好奇心が強い子どものでした。
6歳の時にガチョウが卵を温めて孵化させることを聞いたエジソンは、自分の体でも温めて孵化するか試してみたり、火が燃えることに疑問を感じ、家の納屋を実際に燃やしてしまうなど、自分自身で体験しないと気がすまない性格でした。
8歳で学校に通いだすとそれはより強まります。「1+1はなんで2になるのか」など、ことあるごとに先生に疑問をぶつけていました。そんなエジソンを先生は変人扱いし、学校になじめなかったエジソンはわずか3ヶ月で学校を辞めてしまいます。
勉強は独学、実験のお金を稼ぐ
エジソンの母親は先生をしていたこともあり、学校を辞めたエジソンは自宅で母親から教育を受けたり、自ら読書などをしていたといいます。特に科学に興味を持った彼は家の地下室を実験室にして本に書いてある実験を一つ一つ自分で試し学んでいきました。
また小さい時から商才に優れており、11歳の時に自分で育てた野菜を街に売りに行き、それで実験費用を稼いでいたといわれています。また12歳の時に電車の中で新聞を売る仕事も始めました。
この頃から電信機に興味を持ちはじめます。仕事の合間に電信機の勉強しながら、将来は電信技手になろうと考えるようになります。その後も勉強を続け、16歳の時にカナダのストラットフォードという大きな駅で電信技手として働くことが決まりました。
22歳で発明の会社を設立
しかし仕事の時間帯が夜間だったこともあり、一時間おきに信号を送るだけでした。退屈だったエジソンは時計と信号機を組み合わせて、自動的に信号を送れる機械を作ってしまいます。これがエジソンの最初の発明だといわれています。
その後アメリカの電信会社に勤めるようになり、昼は会社で働き、夜や空いている時間など、寝る間を惜しんで発明に取り組んでいたといいます。そして21歳の時に議会の投票を集計する機械を発明し、初めての特許を取得します。
そして22歳の時に発明の会社を立ち上げ、1年も経たないうちに7つの特許を取りました。そして24歳の時に研究所兼工場を設立します。エジソンは30分の睡眠を研究所の机の上などで数回取る程度の休息で、24時間のうちのほとんどを発明の時間にあてていました。
80歳を過ぎても発明を続ける
29歳で電話の発明に着手するとグラハム・ベルと発明競争を繰り広げますが、結局特許はベルに譲ってしまいます。その後も音を録音し再生する蓄音機や発電機、映写機など様々な発明を行います。白熱球の発明で有名なエジソンですが、実はエジソンより早く発明したのはジョゼフ・スワンとされています。
またアメリカの自動王といわれたヘンリーフォードと親交を深め、この時代から電気自動車の開発に取り組んでいました。その後、研究所が全焼する事故に見舞われますが、そんな時にもフォードは資金援助し晩年まで二人の友情関係は続いていきました。
80歳を過ぎてからも1日15時間以上働いていたというくらい、発明を愛していたエジソンは1931年に84歳で息を引き取りました。エジソンが亡くなった日の午後10時にアメリカ中の家の電気が数分間消され、彼の死を悼んだと言われいています。
トーマス・エジソンの名言
私の発明は、すべての人にとって役に立つ物でありたい。そして、世界の平和に貢献するような物でありたい。もし私の発明で一人でも人が死んだとしたら、私には人生を生きる意味も資格もない。
成功できる人っていうのは、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提を持って挑戦している。
ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。
私はこれまで、偶然のひらめきで、価値ある発明をしたことなど一度もない。全ての発明というのは、その発明に関わった人の想像を絶するような熱意が注ぎ込まれているものなんだよ。
私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。
私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
言葉から見た、トーマス・エジソンてこんな人!
究極のポジティブシンキング
発明とは今までの世の中にないものを生み出す行為です。前例のないことへの挑戦には数え切れないくらいの挫折があったと推測できます。
しかし、エジソンの言葉にはそんな状況でも常に前向きに生きるポジティブさしか感じれません。壁にぶつかっても常に改善策を考え、熱量も持って発明に取り組んでいました。
発明王として名を残すその生涯には逆境や失敗に負けない究極のポジティブシンキングがありました。
トーマス・エジソンの名言からの学び。[失敗かどうかは自分が決める]
困難にぶち当たった時の考え方
エジソンの名言たちの中で印象的だったのが「失敗」に対する解釈です。
発明家としての職業柄、失敗は日常茶飯事だったでしょう。多くの偉大な発明の裏には何十倍の失敗があったはずです。
しかしエジソンはそれを失敗とは捉えず、「学び」でありむしろ成功だと言っています。そして諦めないかぎり失敗は訪れないと、常に前向きな姿勢を貫いていました。
できるかどうかではなく、できるまでやり続ける努力ができるかどうか。多くの人が諦めるボーダーラインを飛び越えて努力し続ける。そんなNever give upの精神がエジソンの言葉には溢れいます。
最終的にそれが失敗かどうかは他人ではなく自分が決めるもの。
生活を豊かにする偉大な発明をしたエジソンの言葉からそれを学びました。