中村哲医師の名言からの学び。[受け入れる生き方]

中村哲 画像 偉人の名言

やっぱり目の前で困っている人を見捨てるわけにはいきませんよね。

日本の医師、中村哲さん。

その半生を南アジアのパキスタンやアフガニスタンの復興に捧げ、「100の診療所よりも1本の用水路」の思いのもと、医者ながら独学で土木技術を学び、井戸や用水路を建設。多くの人々の生活や暮らしの礎を築きました。

今回はそんな中村哲医師の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「受け入れる生き方」について考察しました。

中村哲とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

中村哲の名言からの学びのイラスト4
  • 夢は昆虫学者
  • 32歳の時に初めてパキスタンへ
  • ハンセン病に携わり診療所を設立
  • 用水路をつくり65万人の生活を支える

夢は昆虫学者

中村哲さんは1946年に福岡県福岡市に生まれます。祖父は港の労働者をまとめる組長で、父親もその下請け業として沈没戦などのサルベージなどの仕事をしていました。

その後父親は家で旅館業を始めると、建築や土木関係の人が仕事のために長期間利用するなど、家はいつも賑やな雰囲気だったといいます。そんな環境で幼少期の中村さんは育ちました。

子どもの頃から虫の観察が好きだった中村さんは、将来は昆虫学者になるのを夢みていました。しかし現実主義であった父親にその夢を反対されると考え、大学は医学部に入ることを決断します。

32歳の時に初めてパキスタンへ

それでも昆虫に対する想いが強かった中村さんは、医学部から農学部へ転部しようと考えますが、高価な医学書を父が借金をして買ってくれていることを知り、そんな父親の気持ちを裏切れないとそのまま医学部を卒業することを決めます

27歳で大学を卒業した中村さんは、国立肥前療養所や大牟田労災病院などで神経内科に勤務し、32歳の時、趣味の登山で交流のあった福岡登高会から登山医として同行してほしいとの打診を受け、パキスタンのヒンズークシュ山脈に行くこととなります。

この山脈はモンシロチョウの原産地とも言われている場所で、昆虫が好きだった中村さんは最初は蝶見たさにその依頼を引き受けたといいます。

そこからパキスタンの地に心惹かれるようになった中村さん。38歳の時にたまたまパキスタンのペシャワール・ミッション病院が医師を求めいていることを知ると、日本キリスト教海外医療協力会から派遣され、その病院に赴任することとなります。

ハンセン病に携わり診療所を設立

そこでは主にハンセン病の治療に携わり、その後アフガニスタンの難民キャンプでも巡回診療を始めた中村さんは、診療所をいくつも建設するなどアフガニスタンとパキスタンの2カ国で活動を広げていきました。

20年近くハンセン病やその他の感染病に携わった中村さん。そんな時の2000年にアフガニスタンを襲ったのが大旱魃でした。中村さんは医療に先立って解決する問題があると、独学で土木を学び、井戸掘りを始めます。そして現地の人の協力を得ながら1000を超える井戸を掘り、多くの人の生活を救いました。

その3年後には旱魃により干やがった農地をよみがえらそうと、「緑の大地計画」を発足し、用水路建設を始めます。この時も独学で学び、その時に参考にしたのが江戸時代の蛇籠(じゃかご)と呼ばれる筒状の編みに細かい石を積み上げる治水技術でした。

これは大きな重機がなくても、現地の人たちで修復や改善ができるようにと考えられたもので、また主に家が石造りで、人々が石を使うことに慣れているといったアフガニスタンの文化に根差したものでもありました。

用水路をつくり65万人の生活を支える

7年の歳月をかけて用水路は完成を迎え、今では65万人を超える人々の生活を支えています。これらの功績が広く認知され中村さんは国内外で数々の賞を受賞し、アフガニスタンでは国家勲章も受章しました。

そんな時に悲劇が襲います。2019年アフガニスタンで活動中、中村さんは車に乗っていたところ武装集団に銃撃され、病院に搬送されるも、その最中に亡くなってしまいます。

中村さんの突然の悲報に多くの人が悲しみ、追悼式典ではアフガニスタンのガニ大統領自ら棺を担いで歩くなど、国をあげてその別れを惜しみました

中村哲医師の名言

中村哲の名言からの学びのイラスト1

これは平和運動ではない医療の延長なんですよ。医療の延長ということは、どれだけの人間が助かるかということ。その中で結果として争い事が少ない、治安が良い、麻薬が少ないということが言えるわけで、これが平和への一つの道であるという主張をしたことは少ないと思います。それは結果として得られた平和であって、平和を目的に我々はしているわけではない。

『信頼』は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。

立派な動機があってそこに赴き、 志と信念を貫いて現在に至ったというのが分かりやすいですけれども、 残念ながら、 私にはこれといった信念はありません。自分の気に入ったところで、 自分のできる範囲で、人々と楽しい気持ちで暮らす方がいい。それ以上の望みもなかったし、今もありません。

乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そして、これらが平和の基礎である。

アフガニスタン人は良くも悪くも宗教的な人たちなんですね。ひとつの文化なんです。われわれが日本語をしゃべり、味噌汁を飲み、下駄で歩くように、宗教はそれに近いものがある。それについてまで善悪を云々する権利は、他国の人にはないんじゃないですかね。

生きとし生けるものが和して暮らせること、これが確たる恵の証である。世界の片隅であっても、このような事実が目前で見られることに感謝する。

私たちは安易に平和や国際協力を語らない。それは生身の人間の現実に肉迫することでしか得られないからだ。もし私たちが現地活動に何かの意義を見出すとすれば、そこに手ごたえのある「人間との対峙(たいじ)」と、確かな「人間の希望」を感ずるからなのだろう。

どの場所、 どの時代でも、 一番大切なのは命です。 子どもを亡くした母親の気持ちも世界中同じです。親の気持ちは痛切です。 そういう命に対する哀惜、 命をいとおしむという気持ちで物事に対処すれば、 大体誤らないのではないかと私は思っております。

言葉から見た、中村哲医師てこんな人!

中村哲の名言からの学びのイラスト3

当たり前じゃない当たり前を求めた人

38歳の時にパキスタンの地に赴いてから73歳までの約35年。中村さんの人生はパキスタンやアフガニスタンにありました。

ハンセン病治療から始まり、薬では解決できない問題があると、医師でありながらスコップを持ち、井戸を掘り、水を人々に提供する。人として生きること、根本的な暮らしを支えることを第一に考えました。

中村さんは「水路一つが医者何百人分の働きをする」という言葉を残していますが、飲む食べることに困らない生活をおくること、まず健康的に過ごすことが病気を予防することになると強く感じていました。

綺麗な水に美味しいご飯が食べられる

日本だと気に留めないくらい当たり前のような状況ですが、それこそ中村さんが目指したものでした。そして多くの困難に直面しながらも井戸作りに用水路建設など少しずつ実現していき、今では65万人の生活を支える基盤をつくりあげました

平和を成すといった大きなことではなく、ただただ人として生きていくために必要なこと。それをひたすらシンプルに求めた結果、人々の幸せにつながる功績になったのです。

立派な動機があってそこに赴き、 志と信念を貫いて現在に至ったというのが分かりやすいですけれども、 残念ながら、 私にはこれといった信念はありません。自分の気に入ったところで、 自分のできる範囲で、人々と楽しい気持ちで暮らす方がいい。それ以上の望みもなかったし、今もありません。」という中村さんの言葉からもそれを感じることができます。

当たり前じゃない当たり前を求めた人。それが中村哲という人でした。

中村哲医師の名言からの学び。[受け入れる生き方]

中村哲の名言からの学びのイラスト2

相手を尊重し価値観を受け入れる

今回の中村さんの名言で印象的だったのが「アフガニスタン人は良くも悪くも宗教的な人たちなんですね。ひとつの文化なんです。われわれが日本語をしゃべり、味噌汁を飲み、下駄で歩くように、宗教はそれに近いものがある。それについてまで善悪を云々する権利は、他国の人にはないんじゃないですかね。」という言葉でした。

井戸や用水路づくりもさることながら、中村さんは用水路の近くにイスラム教の礼拝所であるモスクとイスラム神学校を建てました

当時、米軍により空爆の的になり、いくつも破壊されたモスクですが、それはアフガニスタンの人たちにとって心の拠り所でした。中村さんは米軍の戦闘機が飛び交う情勢不安定の中、彼らの意思と想いを尊重し、建設に踏み切ったのでした。

アフガニスタンの人たちは用水路以上にモスクの建設に歓喜したといいます。

近年、急速にグローバル化が進み、日本も外国から訪れる人の数が年々増えているのを肌で感じます。歴史や文化も違えば、人が大切に思うものものも、きっと自分とは違うでしょう。

しかし、それはわかりやすい外国の人だけでなく、普段関わる人間関係にも言えることで、皆それぞれに大切なものを抱えています。それを自分の良し悪しで判断するのは簡単ですが、そこから争いはなくならないはずです。

中村さんが語るようにまずはその人を尊重し、大切なものを受け止め理解する。その心くばりが大切であり、それは日々の生活でも意識して取り組むべきことであると、感じさせられました。

相手を尊重し価値観を受け入れる

パキスタンやアフガニスタンの文化を受け入れ、人々の暮らしをつくり支えた医師、中村哲さんの名言からそれを学びました。

受け継がれる中村哲さんの意思

中村さんが亡くなった後も、彼の意思は受け継がれ、現在もアフガニスタンでの医療活動や農業事業は続けられています。

今日の英語

  • accept・・・受け入れる
  • value・・・価値観