西郷隆盛の名言からの学び。[学んだことを行動へ]

偉人の名言

小人は、己を利することを欲し、君子は、民を利することを欲する。

江戸の末期から明治初期を生きた武士、西郷隆盛

身分の低い武家の出身ながらも、大きな力を持っていた薩摩藩になくてはならない存在になり、薩長同盟大政奉還西南戦争など明治という新しい時代の幕開けに多大な影響を与えた偉人です。

今回はそんな西郷隆盛の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「学んだことを行動へ」について考察します。

西郷隆盛てどんな人?

  • 腕の怪我から武術よりも学問を選ぶ
  • 一つの嘆願書をきっかけに出世
  • 薩摩藩になくてはならない存在となる
  • 西南戦争により亡くなる
腕の怪我から武術よりも学問を選ぶ

西郷隆盛は1828年には薩摩(現在の鹿児島県)に生まれます。西郷家は下級武士の家系でした。

武士の家に生まれ隆盛ですが、11歳の時に友人の喧嘩の仲裁に入ったところ喧嘩相手が不意に抜いた刀が隆盛の腕の神経を切ってしまいます

この怪我で隆盛は生死の境をさまようほどの高熱にうなされますが、なんとか命は助かりました。しかし刀が握れない体になってしまったため、武術ではなく、学問で生きていこうと考えます。

一つの嘆願書をきっかけに出世

その後16歳で薩摩の郡奉行をしていた迫田利済につかえ、年貢を集め、調査、管理する役職をつとめます。またこの10代の時に陽明学や禅などを学びました。

あまり重要な役職でもなく、元々武士としての身分も低くあったことから出世は望めないと思われいましたが、農政に関する嘆願書を出したことで状況が変わり始めます。

当時の藩主であった島津斉彬はそんな隆盛に注目するようになり、参勤交代のお供に隆盛を連れていき、上の階級の人とも顔合わせができるようにと庭の手入れをする庭方役に任命します。その時隆盛は26歳でした。

薩摩藩になくてはならない存在となる

しかしその4年後、隆盛が心から慕っていた島津斉彬が急死してしまいます。絶望に陥り、自らも死のうかと考えた隆盛ですが、仲間たちの説得により何とか思いとどまります。

この年1858に起きた安政の大獄(幕府による武力弾圧)により、日本の情勢はどんどん不安定になっていきます。そんな中、隆盛は新しい薩摩藩主と対立し、島流しにされてしまいます。

しかしその後1863年に起きたイギリスと薩摩藩との戦争である薩英戦争により薩摩は大打撃を受けます。そんな苦しい状況を変えるために必要とされたのが隆盛でした。

西南戦争により亡くなる

薩摩に呼び戻された隆盛は軍賦役に任命されると、仲違いしていた長州と薩長同盟をむずび、長い間続いてきた徳川幕府の終焉となった大政奉還にも大きな影響を与えました。

明治時代が始まると廃藩置県を行うなど、新しい改革にも貢献しますが、その後政府のメンバーらと意見の対立を起こし最終的には明治政府を離れます

薩摩に戻った隆盛は子どもたちに軍事や勉強など様々なことを教える私学を設立しました。しかし次第に影響力を増してきた隆盛を敵対視した明治政府は西南戦争により隆盛を追い詰めます。そして1877年、西郷隆盛はその日本最後の内戦により49年の生涯を終えることとなりました。

西郷隆盛の名言

人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。

文明というのは、道理にかなったことが広く行われることを褒め称えていう言葉であって、宮殿が荘厳であるとか、衣服がきらびやかだとかといった、外観の華やかさをいうものではない。

己れに克つための極意は、論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(主観だけで判断しない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。

世間の人がいう機会とは、たいてい思いがけずに得た幸運のことを指している。しかし、真の機会というのは道理に適い、時の勢いを正しく把握して行動する場合のことだ。

聖人・賢人の書を むなしく知識として読むのであったら、たとえば人の剣術を傍観しているのと同じで、少しも身につかない。身につかなければ、万一立ち合えと言われたら、逃げるよりほかないであろう。

この世の中で後の世でも信じ仰がれ、喜んで従おうとするものは、ただ一つ誠の心だけである

人間の知恵を開発するということは、愛国の心、忠孝の心を開くことなのだ。国に尽くし、家のために勤めるという道が明らかであれば、すべての事業は前進するであろう。

言葉から見た、西郷隆盛てこんな人!

天道を信じ生きた人

江戸時代末期の混沌の時を生きた西郷隆盛。幕府の力が弱まり、また外国との関わりが増す中で、日本は新しい時代を迎える大きな変革期にありました。

隆盛はそんな時代の移り変わりに大きな影響を与えた1人でした。各々がそれぞれの思いを持って行動する中、隆盛は自分の私利私欲ではなく国のためを思い、生きてきました

彼は天道、天から与えられた天命を掲げ、人間である自分がその道理にかなった、天の道にそっているものなのかを常に自分に問いただし、国のため、民衆のため、家族のためという自分以外のものにその意識を向けていました。

それは彼の「人間の知恵を開発するということは、愛国の心、忠孝の心を開くことなのだ。国に尽くし、家のために勤めるという道が明らかであれば、すべての事業は前進するであろう。」の言葉を見ても感じさせられます。

天道を信じ生きた人。それが西郷隆盛という人でした。

西郷隆盛の名言からの学び。[学んだことを行動へ]

学びを実践する習慣

今回の西郷隆盛の名言で印象的だったのが「聖人・賢人の書を むなしく知識として読むのであったら、たとえば人の剣術を傍観しているのと同じで、少しも身につかない。身につかなければ、万一立ち合えと言われたら、逃げるよりほかないであろう。」という言葉でした。

このサイトでは何人もの偉人の名言を紹介し、その都度学びを書いてきました。「先人から学べ」とはよく言ったもので、何百年前に生きていた人の言葉が現代の自分にも大きな影響を与えることがある。

そう思うと、人間の本質的なものは時代が変化しても、変わらないものなものであると感じさせられます。

しかし、そんな与えられた多くの学びも、現状に生かせないと何にも意味はありません。ただ知識だけが身につき、そしてそれは時間と共に忘れ去れれていくのだなと痛感させられます。

学んだことを自分で実践、行動してみてこそ、その人が感じた世界が見えてくるし、新しい自分を見出すことに繋がるのだと、今回の西郷隆盛の名言に触れて改めて感じさせられました。

何か一つ学びを得たら、何か一つその学びを実践してみる。学びを行動へ移すそんな習慣づけが大切。

高い志を持ち、日本を動かした幕末の志士、西郷隆盛の名言からそれを学びました。

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habit・・・習慣

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