北里柴三郎の名言からの学び。[全ては基礎から始まる]

北里柴三郎 画像偉人の名言

医の基本は予防にある

日本の医師、北里柴三郎

近代日本医学の父、日本の細菌学の父と言われ、破傷風の治療法を開発し、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者にまで選ばれます。また伝染病のペストの原因となるペスト菌を発見するなど、世界的にも偉大な功績を多く残しました。

今回はそんな北里柴三郎の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「全ては基礎から始まる」について考察しました。

北里柴三郎とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

北里柴三郎の名言からの学びのイラスト4
  • 幼い頃は武士を志す
  • 医者嫌いからの心変わり
  • ドイツ留学しロベルトコッホに師事
  • ペスト菌を発見し、医学部を創設

幼い頃は武士を志す

北里柴三郎は1853年に熊本県の阿蘇に生まれます。時代は江戸時代の末期で、柴三郎の父親は庄屋という村の役人の仕事をしていました。両親は教育に厳しく、柴三郎は8歳で漢学者であった伯父の家に預けられ学問を学びます。

2年間伯父の家で過ごし、その次は母方の祖父の家に行き、儒教学者の園田保の塾で漢学や儒教を学びました。しかし小さい頃の柴三郎のは両親の思いとは違い、武士になることを願っていました

14歳になった柴三郎は実家に戻ると、武道を習おうと熊本に向かいます。そしてなんとか17歳の時に細川藩の藩学校に入学することができました。しかしその頃は明治が始まってすぐの時期で、なんと入学から間もなくして藩学校は廃止されてしまいます

医者嫌いからの心変わり

どうしようもない状況に柴三郎はしぶしぶ実家に戻ります。そして学問を重んじる両親の勧めで18歳の時に熊本医学校に入学することになりました。

しかし当初の柴三郎は「医者と坊主にはなりたくない」と医学を勉強するのを心底嫌がっていました。そんな柴三郎を大きく変えたのが、その学校で教師をしていたオランダの軍医マンスフェルトでした。

彼はオランダ語がすぐに堪能になった柴三郎に目をかけ、医学の面白さや奥深さを教えます。その影響は大きく、柴三郎は徐々に医学に心惹かれるようになっていきました。

ドイツ留学しロベルトコッホに師事

3年間在籍した熊本の医学校を終えた柴三郎は、さらに医学の道を深めようと23歳で東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学します。この学生の期間に「治療」ではなく「予防」する医学に関心を持ち、日本の予防医療に尽力しようと内務省の衛生局に就職します。

そして33歳の時にドイツのベルリン大学に留学します。そこで師事したのが結核やコレラ菌を発見した近代細菌学の開祖とされるロベルト・コッホでした。

柴三郎はコッホのもと勉強と研究に没頭します。それは下宿先と大学の道以外のことは知らなかったと言われるほどでした。そんな熱心な取り組みもあり、留学中の1889年に破傷風の純粋培養に成功し、血清療法という画期的な治療法も編み出すなど、世界的な細菌学者として一気に知られるようになります。

ペスト菌を発見し、医学部を創設

6年間の留学を終えた柴三郎は39歳で日本に帰国します。日本に帰ると福澤諭吉が柴三郎を支援し、私立伝染病研究所を設立します。そこで柴三郎は初代所長を務め、伝染病予防や細菌学の研究に尽力しました。

1894年には香港で流行していた伝染病で人類の歴史を見ても最も致死率が高かったとされるペストの原因を究明します。そして研究の末、ペスト菌を発見する偉業を成します。

その後、自身の研究所である「北里研究所」を創設し、研究だけでなく門下生の教育にも力を入れました。64歳の時には慶應義塾大学の医学部を創設、また日本医師会の初代会長を務めるなど日本の医学の発展に勤しみました。

そして1931年、日本の医学に多大なる功績を残した北里柴三郎は、東京にある自宅で78年の生涯を終えました。

北里柴三郎の名言

北里柴三郎の名言からの学びのイラスト1

学問と云うものは全く世界的なもので国境が御座いませぬ

北里研究所の事業も世界規模での医学発展において、医学あるいは衛生学のみならず他の領域まで侵入しまして農業、水産、工業などその他にも我が微生物の研究を応用して国家、社会に貢献したい考えであります

日本には何一つとして欧米文明諸国と肩を並べられるものがない。世界的に評価されている学者もいない。だから私は世界的な学者になるつもりで勉強している

細菌学者は、国民にとっての命の杖とならねばならない

君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ。よく世の中が行き詰まったと云う人があるが、是は大いなる誤解である。世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、これは熱と誠がないからである

研究だけやっていたのではダメだ、それをどうやって世の中に役立てるか考えよ

大業を成さんとするなら、各人がそのための基礎を固めるべきであり、その基礎とは自分自身の勉強です。どんなに志があっても力がなければ他人はその人を信頼しない

言葉から見た、北里柴三郎てこんな人!

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国のためという熱を持つ続けた人

近代日本医学の父と言われるほど、多くの偉業を残した北里柴三郎。しかし、その始まりは大の医者嫌いという意外なものでした。

幼少期は武士、明治時代になってからは軍人を志します。そんな柴三郎の思いは共通して「国の役に立ちたい」というものでした。

そして西洋医学が入る前の日本の医学は、欧米と比べると治療法などは限られたもので、医者はあまり頼れる存在ではありませんでした

そんな時に出会ったのが医学校のマンスフェルトであり、また実習の際に顕微鏡で見た細胞組織に感動し、医学の奥深さを知ることになるのです。

そこから熱心な勉強や研究を重ね、ペスト菌の発見や破傷風の治療法の開発など、世界に認められる功績を次々と残していきました。

そんな柴三郎の思いは武士を志した時と変わらず「国の役に立ちたい」というものでした。職業という手段は変わっても熱い思いは変わらず、生涯日本の医学の発展へと向けられたのでした

それは「北里研究所の事業も世界規模での医学発展において、医学あるいは衛生学のみならず他の領域まで侵入しまして農業、水産、工業などその他にも我が微生物の研究を応用して国家、社会に貢献したい考えであります」という言葉からも感じられます。

国のためという熱を持つ続けた人。それが北里柴三郎という人でした。

北里柴三郎の名言からの学び。[全ては基礎から始まる]

北里柴三郎の名言からの学びのイラスト2

基礎を強く丈夫に

今回の北里柴三郎の言葉で印象的だったのが「大業を成さんとするなら、各人がそのための基礎を固めるべきであり、その基礎とは自分自身の勉強です。どんなに志があっても力がなければ他人はその人を信頼しない。」という言葉でした。

スポーツ、勉強、仕事など世の中にある多くの事柄が、基礎と呼ばれるものから始められます

サッカーであれば体力づくりのための走り込みや筋トレ、パス練習など、英語で言うなら文法や単語、料理人であれば素材や味の知識・・・などなど、業種やジャンルは違えど、全てに何かしらの基礎があり、そして応用があります。

「基礎」という言葉を辞典で調べると「物事を支える基本」という意味がでてきます。基礎があるからこそ、その上に新たな技術や知識が積み上がるのであり、言うなれば基礎無くしては発展は望めない

基礎づくりという地味でつまらなく、大変と思える作業にこそ、その物の本質が隠れているのかもしれません。

基礎、基本が大切。

よく聞かれる言葉であり、歴史をみても多く人が語ってきた言葉でもあります。それゆえにとても普遍的な内容であると、今回の北里柴三郎の言葉に触れて改めて感じさせられました。

基礎を強く、丈夫に

近代医学の基礎を築いた医師、北里柴三郎の名言からそれを学びました。

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  • foundation・・・基礎