最高の治療薬は“笑い”である
アメリカの医師、パッチ・アダムス。
本名はハンター・キャンベル・アダムス、無料の病院を設立し、クリニクラウンという「笑い」で病気を治す治療を実践し、世界にそれを広めた第一人者です。
1998年には彼の人生を描いた映画「パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー」も公開されました。
今回はそんなパッチ・アダムの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「思いやりとは動詞である」について考察します。
パッチ・アダムスとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
幼い頃はいじめに苦しむ
パッチ・アダムス、本名ハンター・キャンベル・アダムスは1945年にアメリカで生まれます。父親が軍人であったため、幼い頃は海外の駐屯地で育ちました。
その後父親が亡くなると、母親はアダムスや子供たちを連れて母国のアメリカに戻ります。
学校に通うようになったアダムスでしたが、なかなか学校に馴染むことができず、次第にいじめに遭うようになってしまいます。
人を楽しませようと思い立つ
アダムスはそんな現実から逃れるように病院に通い、入院生活をして過ごしました。
しかし18歳の時にこのまま問題に背を向けるのではなく立ち向かおうと思い立ち、自分を変えようとピエロの格好で人々を楽しませる活動を始めます。
また何度かの入院生活の中で利益を優先する病院のあり方に疑問を持っていたアダムスは、もっと患者のことを考え優しい医療を目指そうと医者になることを決心します。
医者を目指し医大に入学
そして19歳の時に医学予備校に入り、22歳でヴァージニア医科大学に入学しました。
4年間の大学生活を終えると、アダムスは医者を目指した時の夢であった、患者のことを考え無料で治療を受けられる病院ゲズントハイト・インスティテュートを設立します。
無料といっても立ち上げ当初は寄付もなく、またそんな病院経営に疑心を持つ人も多くいたため、アダムスは病院存続のために別の仕事をしながら12年間無料診療を行いました。
「笑い」を病気を治す手段として考える
アダムスは医学生のころから、精神状態と体におこる病気や症状などの出来事に因果関係があると考え、心が癒され前向きな気持ちになる「笑い」を治療法として活用しようと考えました。
そしてクリニクラウンと呼ばれるピエロなどの格好に扮し、笑いを届ける活動を始めます。そんな彼の取り組みや無料診察の病院が徐々に話題となり、1998年にはアダムスの歩みを題材にした映画、パッチ・アダムス トゥルー・ストーリーも公開されました。
2020年、現在74歳のアダムスは今でも精力的に笑いの治療の大切さを伝えることに尽力し、世界中で講演活動などを行っています。
パッチ・アダムスの名言
ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。
情熱を持ち、不可能だと思っていた夢を見る。
ひとをケアすることは、科学的見地からしても、あなたのためにいいことがある。
ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。
僕の人生は面白く楽しいものだけではないんです。おかしさや楽しさだけに、笑いを使っているのではなく、それは目的の手段として使っているのです。
ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。
“笑い”が健康に有効であるという科学的証明は少なからずあるが,それ以上に有効なのが“友情”である。
言葉から見た、パッチ・アダムスてこんな人!
笑いを冷静に用いた人
パッチ・アダムスは「笑い」で人の心を癒し、病気を癒すことを求めた医者です。
科学の進歩に伴い医学も進歩してきました。昔なら不治の病とされていた病気も現代では簡単に治ることも珍しくありません。
病気があれば原因を特定し、必要であれば体を切り治すのが現代医学です。薬や手術によって多くの命が救われたのは紛れもない事実ですが、逆に薬や手術で治らなかったものが、笑いという人間の前向きな自発行動により治癒したという事実もあります。
これはどちらが正しいとは言えないことで、どちらも必要な医療であり、状況によって選択する必要があると感じます。
アダムスも闇雲な感情論でその治療をするのではなく、笑いが人の心を癒し、病気を治すという事実のもと、最善の手段としてそれを選んでいました。
それは彼の「僕の人生は面白く楽しいものだけではないんです。おかしさや楽しさだけに、笑いを使っているのではなく、それは目的の手段として使っているのです。」という言葉からも感じることができます。
笑いを冷静に用いた人。それがパッチ・アダムスという人でした。
パッチ・アダムスの名言からの学び。[思いやりとは動詞である]
思いから行動へ
今回のパッチ・アダムスの名言で一番心に残ったのが「ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。」という言葉でした。
Careとは日本語で「気配り」や「思いやり」という意味で相手のことを気にかけることです。
気にかけるとはさもすると自分の思いだけで完結してしまうこともあります。例えば満員電車で座れずに立っているお年寄りを見つけて「大丈夫かな?」と思う。
思うだけ。そんな人も多いのではないかと感じます。僕も今まで席を譲ろうか迷い、結局そのまま何もせずやり過ごしてしまうこともありました。
しかし、相手に対して感じた気持ちを行動として表さないと、それは伝わらず、何も思っていないと一緒になってしまいます。
愛、思いやり、気配りは概念ではなく、行動という動詞である。
このパッチ・アダムスの言葉をみた時に、そんな過去の自分の行動を反省しました。思いだけでは伝わらないことはたくさんあり、それを伝え、行動で示すことが相手を本当の意味でケアすることなのだと感じさせられました。
思いから行動へ
笑いで多くの人々を救った医師、パッチ・アダムスの名言からそれを学びました。