ルーシー・モード・モンゴメリの名言からの学び。[前むきな意欲]

モンゴメリ 画像世界の偉人の名言

決めたということは行動するということ。

名作「赤毛のアン」の作者であるルーシー・モード・モンゴメリ

1908年にこれが出版されるとすぐさま大ヒット。世界各国で翻訳され、日本では小説だけでなくアニメ化もされるなど、国境越え愛され続けている作品です。

今日はそんな赤毛のアンを書いたモンゴメリの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「前むきな意欲」について書いていきます。

ルーシー・モード・モンゴメリとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介

  • カナダの小さな村で生まれる
  • 詩を書き、作家を志す
  • 働きながら作品を書き続け赤毛のアンが生まれる
  • 世界で愛される作品へ

カナダの小さな村で生まれる

モンゴメリは1874年にカナダのプリンス・エドワード島の小さな村クリフトンで生まれました。

しかしモンゴメリが生まれて1年ほどたった時、母親が結核の病気で亡くなってしまいます。モンゴメリの初めての記憶がこの母の死であり、小さいながら当時のことを覚えていました。

その後、父親は仕事のため一人カナダ本土に移ります。モンゴメリは祖父母に育てられました。

モンゴメリは小さい時から書くことが好きな少女でした。父親との手紙のやりとりから始まり、自分で詩を書きアメリカの有名な雑誌に送ったりもしていました

詩を書き、作家を志す

詩が雑誌に採用されることはなくても、モンゴメリは変わらず詩を書き続けました。しかし祖父母はそんなモンゴメリを理解してくれず、実用的なことをしなさいと厳しくしつけたと言います。

モンゴメリは15歳の時に父親と暮らすために本土へ向かいます。父親は再婚し、新しい母親ができますが、モンゴメリとこの再婚相手はあまり関係がよくありませんでした。

詩を書き続けていたモンゴメリは新聞に詩を投稿し、それが初めて採用、掲載されることになります。

それにより作家になりたいと強く思ったモンゴメリですが、家の手伝いを押し付けられるなど義母との関係が悪化、1年ほどで故郷の島へと帰ります

働きながら作品を書き続け赤毛のアンが生まれる

そして1892年にプリンス・オブ・ウェールズ大学に入学し、2年制のコースを優秀な成績で1年で卒業します。その後は教師になり、仕事のかたわら作品を書き続けていました

雑誌などにも精力的に送ってはいたもののほとんどが不採用でした。しかしモンゴメリは決して諦めませんでした。そして20歳の時に採用された作品に初めて原稿料がつきました。彼女はその原稿料で詩集を買ったと言います。

モンゴメリは10代の時から小説のアイデアが浮かぶとノートに書き留めておく習慣がありました。そしてそのアイデアを元に生まれたのがあの「赤毛のアン」でした。しかし当初はどこの出版社も取り扱ってくれず、原稿はクローゼットの中にしばらく置かれることになります。

世界で愛される作品へ

それから約1年ほどたち原稿のことを思い出したモンゴメリはダメ元でもう一度出版社に送りました。そしてこれが運命となり1908年、赤毛のアンが出版されることとなります。

出版されると本は瞬く間にヒットし、世界各国で翻訳されるなどモンゴメリの人生を一変させました。

その後も赤毛のアンの様々なシリーズを書き続け、晩年まで作品作りに勤しんでいたモンゴメリは「アンの想い出の日々」を書き終わった直後に67歳で息を引き取りました。

ルーシー・モード・モンゴメリの名言

モンゴメリー イラスト

夜が明けると朝がいちばんすてきだと思うんだけど日が暮れると夕方のほうがきれいに思えるの。

人生は広くもなれば狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく人生に何をそそぎ込むかにかかっている。

私はここで生きることに最善をつくすわ。そうすれば、いつかきっと最大の収穫が自分にかえってくると思うの。

自分の失敗を笑いそしてそこより学べ。自分の苦労を笑い草にしつつそれから勇気をかきあつめよ。

あたしは、自分がこの世に生きているために、ほかの人たちが、いっそうたのしく、暮らせるというようにしたいの。

なんて素晴らしい日でしょう。こんな日に生きているというだけでしあわせじゃないこと?

人生には生きる価値があるわ、そこに笑いがある限り。

言葉から見た、ルーシー・モード・モンゴメリてこんな人!

どんな時でも作家でいた人

モンゴメリは本人の希望とは裏腹に、作家に専念できた時は一度もありませんでした

若くして両親を亡くし、また祖父母はモンゴメリの創作活動に理解を示してはくれませんでした。そのため教師として働きながら創作し続け、また祖父母が体をこわした時には彼らの仕事と介護をしながらもそれを続けました。

それは結婚してからも変わらず、常に作家とは別の仕事などがある環境の中でも不平不満を言わずに作家としてあり続けました。それはモンゴメリが残した「私はここで生きることに最善をつくすわ。そうすれば、いつかきっと最大の収穫が自分にかえってくると思うの。」などの前向きな言葉の数々から感じることができます。

どんな時でも作家でいた人。それがルーシー・モード・モンゴメリでした。

ルーシー・モード・モンゴメリの名言からの学び。[前むきな意欲]

意欲は全てに勝る

今回のモンゴメリの名言で一番心に残ったのが「人生は広くもなれば狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく人生に何をそそぎ込むかにかかっている。」という言葉でした。

長い作家人生で集中して創作できる環境はほとんどなかったモンゴメリ。また赤毛のアンが出版されるまでは日の目を見ることもありませんでした。

それでもモンゴメリが書くことをやめなかったのは、逆境のような状況下でも書きたいという意欲がなくならなかったという他にありません。

その長年の前向きな意欲の結実が赤毛のアンでした。どんな環境でも自分の意欲次第で未来は前向きに変わっていく。モンゴメリの言葉を見てそう感じさせられました。

意欲は全てに勝る

不屈の名作「赤毛のアン」を書いた作家ルーシー・モード・モンゴメリからそれを学びまし。

今日の英語

  • willingness・・・意欲
  • novel・・・小説