夢はいつも好きから始まるんです
日本女子サッカーの象徴的選手、澤穂希さん。
中学生で日本代表デビュー、W杯優勝、得点王、MVP、FIFA最優秀選手賞と数々の偉業を成し遂げ、日本のサッカー史にその名を強く刻みました。
今日はそんな澤穂希さんの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「迷いは変化の合図」について考察します。
澤穂希とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
6歳の時にサッカーと出会う
澤さんは1978年に東京都の府中市で生まれます。一つ年上にお兄さんがいて、小さい時はお兄さんと一緒にスポーツや体を動かして遊ぶことが多かったと言います。
サッカーをやる前は水泳が好きだった澤さんは3歳の時から水泳教室に通い水泳に打ち込みます。しかし6歳の時にお兄さんの影響でサッカーを始めると、関心は一気にサッカーの方に移っていきました。
小学校一年生の時には地元のサッカークラブに入ります。サッカーを始めてからしばらくして水泳も辞め、サッカーに専念するようになりました。
15歳で日本代表デビュー
中学生になると女子サッカーの名門クラブである日テレ・ベレーザの下部組織に入団します。
そして入団してすぐに監督から才能を見出され、入団から一ヶ月でトップチームに合流します。そして中学校1年生で試合に初出場すると、3試合目には初ゴールも記録しています。
その活躍から1993年、15歳で日本代表に選ばれ、デビューとなるフィリピン戦では4得点の大活躍で鮮烈なデビューを飾りました。
女子サッカー大国アメリカに移籍
早くからその才能を表していた澤さんですが、その後いくつかの企業が女子サッカー部を背部にするなど、国内女子サッカーリーグが衰退していきます。
澤さんはよりサッカーに打ち込める環境を求め、大学を辞めて女子サッカーが盛んな国であるアメリカに行くことを決断します。
アメリカでの生活は4年間ほどで、体格で勝るアメリカ選手に技術で対抗し活躍をみせていましたが、その後アメリカの女子サッカーリーグが休止されることになり、日本に帰国します。
ワールドカップ優勝とFIFA最優秀選手賞
日本に帰国すると同じベレーザに所属、国内リーグではチームの優勝や自身もMVPを何度も獲得するなど、日本女子サッカーの象徴的存在となっていった澤さん。
そして2011年。日本がなでしこフィーバーに包まれた女子ワールドカップで得点王とMVPを獲得、チームも男子含めて日本サッカー史上初の優勝という偉業を達成しました。
次の年には男女を通じてアジア人では史上初となるFIFA最優秀選手賞も受賞し、同年に行われたロンドンオリンピックでも女子サッカー初となる銀メダル獲得に大きく貢献しました。
そして2015年に37歳で現役引退を決断。現役最後の試合では決勝ゴールを挙げ、選手としての最後を飾りました。
澤穂希の名言
目の前の目標が達成できなかったら、その次なんて絶対にこない。いつもその気持ちを忘れないでいます。
「お金にならないから走る気にならない」とか「誰も注目してくれないならサボっちゃえ」とか、そういった外的要因で自分のやる気が上下したことは一度もありません。
過去を振り返って「あの時、こうしていれば」と気づいたら、「次からそれを実践してみよう」と思うことが大事です。そうして自分を変えていかなくては、過去の自分がかわいそうです。
悔しい!と大きな声に出して言ってみてください。私はいつも悔しい!と言っています。なんだかとってもスッキリするんです。これでまた明日から前を向けます。
夢を叶えるためには、夢のレンガを積む作業が欠かせない。夢のレンガとは、自分の足元に自分で積み上げること。自分が立っている地面に、1日一段レンガを積む。
迷った時はまだ何かに満足していない時。夢を叶えるために前へ進むべきだって。
たとえ人気がなくても、好きなものは好きなんです。この気持ちだけは永遠に変わりません。
澤穂希の名言を引用・参考にした文献
言葉から見た、澤穂希てこんな人!
自分の中にモチベーションを持ち続けた人
澤さんは女子サッカーのみならず、日本のサッカー史に残る数々の偉業を成し遂げてきました。
そしてそこには彼女の純粋にサッカーに対する想いや、好きなことに夢中になる自身の高いモチベーションが大きな原動力になっています。
それは澤さんの「『お金にならないから走る気にならない』とか『誰も注目してくれないならサボっちゃえ』とか、そういった外的要因で自分のやる気が上下したことは一度もありません。」という言葉からも感じられます。
自分がサッカーを好きでどこまでも純粋にそれに打ち込んできたからこそ、自然とそれが大きな結果に結びついていったのでしょう。
自分の中にモチベーションを持ち続けた人。それが澤穂希という人でした。
澤穂希の名言からの学び。[迷いは変化の合図]
変化の合図を受け入れ前に進む
今回の澤さんの名言で印象的だったのが、「迷った時はまだ何かに満足していない時。夢を叶えるために前へ進むべきだって」という言葉でした。
2008年の北京オリンピック終了後、休止していたアメリカのプロリーグが再開されると、澤さんのもとへオファーが届きました。国内でキャリアを積んで充実していた澤さんは渡米をとても悩んだと語っています。
そして自分でも塾考し色々な知人にも相談しながら最適な道を模索していました。
しかし悩むことは現状を変えたい、変化を求める知らせであり、変化することが不安なのはいつでも決める前だけ。そう感じれた時、アメリカへ行く決断ができたといいます。
人には色々な悩みがありますが、悩むということは、心のどこかで状況の変化を望んでいる。
悩むことを悲観的にとらえるのではなく、新しい変化を望むサインだと考える。変化を恐れず前に進むと意外となんとかなる。その繰り返しがチャンスや人生を好転させていくのだと、澤さんの言葉に触れて感じました。
変化の合図を受け入れ前に進む
日本サッカーの偉人、澤穂希の名言からそれを学びました。