ズルはできない、俺が見てるから。
日本を代表するプロ野球選手で現役時代はゴジラという愛称で親しまれた松井秀喜さん。日本ではジャイアンツ、アメリカではヤンキーなどで活躍しました。
小さい頃からその才能は輝き、数々の記録を残した偉大なホームランバッターです。
今回はそんな松井選手の名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「成功体験に縛られない」について書いていきます。
松井秀喜とは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
規格外の体格で生まれる
松井さんは1974年に石川県の能美市で生まれます。生まれた時から体が大きく、3歳で保育園に入ると、保育園史上最大の園児と言われるくらい規格外の子供でした。
そんな体格もあって小学校に入ると3年生以上から入団できる軟式野球チームに特別に入れてもらえることになりました。しかし監督の指示が理解できず、すぐに辞めてしまいます。しかし5年生になると兄の影響で再び野球チームに入り、そこから本格的な野球人生が始まりました。
当初からその才能は飛び抜けており、元々右打ちだった松井さんですが、あまりにも打球を飛ばすので友人たちが左で打つように勧め、それがきっかけでそれ以降左打ちになったと言われています。
甲子園での5打席連続敬遠
小学校の時は野球と並行して柔道もしており、石川県で3位となり国体の強化選手にも選ばれるくらいの腕前でした。しかし中学進学を機に野球だけに絞ります。打率は6割を超え、3試合連続ホームランを放つなどの活躍をみせます。
高校は甲子園の常連校である名門星稜高校に入学。最初は投手でしたがすぐに野手に専念、1年生の時から4番で出場し「北陸の怪童」として名前が知れ渡るようになります。
その才能は全国区になっても変わらず、3年の夏の甲子園では5打席連続敬遠を受けます。その後この敬遠が物議をかもし社会問題にまで発展。対戦相手の監督に「高校生の中に一人だけプロの選手がいた」と言わしめました。
巨人に入団。10年連続二桁ホームラン
高校時代の活躍でドラフトも注目される中、4球団から1位指名を受け巨人が交渉権を獲得します。松井さんの第一希望は阪神でしたが監督の長嶋さんから直接電話をもらい、それに感銘を受けた松井さんは気持ち新たに巨人の入団を決めました。
開幕前のオープン戦では苦しみ2軍スタートとなりますが、すぐにそこで活躍しシーズン序盤から1軍デビューを果たします。1年目のセ・リーグ高卒ルーキー新記録となる11本塁打を放ち、メジャーに行く2002年まで10年連続2桁本塁打を記録しました。
メジャー挑戦への最後の年となる2002年のシーズンは打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で史上8人目となる50本のホームランを打ちました。そして最高の成績を残し、その年の末にニューヨーク・ヤンキースへと移籍します。
ヤンキースで愛され現役引退
メジャー2年目には自身のメジャー記録で最多となる31本塁打と108打点を記録します。2009年にはワールドシリーズでシリーズタイ記録となる1試合6打点を記録しワールドシリーズのMVPに選出されます。
同年にエンゼルスに移籍すると赤ゴジラと呼ばれ愛されます。古巣となったヤンキース戦ではかつてのチームメートが一斉に松井の元に駆け寄り抱擁するシーンも見られ、松井さんのまわりから愛される人柄が垣間見られました。
怪我にも悩まされ、満足な結果を残せないシーズンも多くなった松井さんは2012年に引退を表明。引退会見で一番の思い出を聞かれた際には「長嶋監督と二人で素振りした時間」と答えました。
引退後には国民栄誉賞を受賞し、現役時代の活躍からヤンキースのGM特別アドバイザーを務め現在もアメリカを拠点に活動されています。
松井秀喜の名言
自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。
たとえ良い打撃をしても、その感覚を次の打席も続けようとは思いません。良かったことを忘れることも大切なんです。
調子が悪くなったときも、絶対に前の感覚を思い出そうとするのは嫌なんです。そう思った時点で、それは後戻りですから。
どんな技術やパワーよりも逆境に強い力を持った選手になりたい。
僕は変化というのは自分からは求めていません。求めていかなくても変わるところは変わっていくでしょうし。こっちのやり方がダメならあっちの方という考えはないんです。
野球というスポーツは、3割を打てば一流選手になります。つまり、一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです。僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました。
生きる力とは成功し続ける力ではなく失敗や困難を乗り越える力です。
言葉から見た、松井秀喜てこんな人!
自分のできることに愚直になる
幼少期から人とは違う能力を持ち合わせたかのような規格外の活躍を見せてきた松井さん。
しかしそんな松井さんでも失敗し、スランプに陥ることもあったのだと、そして持って生まれた体格だけでなく、人並み以上の努力や練習もあったのだと彼の言葉を見て感じさせられます。
「自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。」という松井さんの言葉にあるように、自分にできることだけに集中し、ただひたすらに野球に打ち込んできたからこそ、日本シリーズでもワールドシリーズでもMVPになる偉業を果たせたのでしょう。
自分のできることに愚直になる。それが歴史に残る野球選手、松井秀喜という人でした。
松井秀喜の名言からの学び。[成功体験に縛られない]
良かったことも忘れる
松井さんの名言で印象的だったのが、「たとえ良い打撃をしても、その感覚を次の打席も続けようとは思いません。良かったことを忘れることも大切なんです。」という言葉した。
悪いことを引きずらない。という言葉はよく聞きますが、松井さんは良いことすらもすぐ忘れることが大切だと言いました。
成長は小さな成功体験の積み重ねだとよく聞きます。それは経験としても精神的な面でも大きな自信となります。
しかし成功とは成し遂げた瞬間、過去のものとなります。時代は流動的でその時のやり方が未来で受け入れられる保証はどこにもありません。悪いことも良いことも、その瞬間がピークであり、それが過ぎればただの過去です。過去になるものは置いていく。
そんな生き方が身軽で、きっと常に躍動的に挑戦していける原動力になるのかなと、松井さんの言葉に触れてかんじました。
多くの記録を残しながらもそれにとらわれず愚直に野球と向き合った松井秀喜さんの言葉からそれを学びました。