明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
インド独立の父、マハトマ・ガンジー。
武力による侵略、統治の世の中で非暴力を貫きインドを独立へと導いた偉人です。
今日はそんなガンジーの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「良い人間関係は許すことから」について考察します。
マハトマ・ガンジーとは?どんな人? 生い立ち・生涯・経歴を紹介
インドの裕福な家庭に生まれる
ガンジーは1869年にインド西部の町で生まれます。1700年代の後半からイギリスによる植民地化が始まり、その支配は現在のパキスタンやバングラデシュ、ミャンマーにも及んでいました。
父親は王国の宰相を務める有力者だったため、比較的裕福な家庭環境で育ちます。小さい頃は内気で神経質な性格だったガンジーは学校も終わるとすぐに帰宅するなど、人付き合いが苦手でした。
当時のインドは幼児婚の風習があり、ガンジーは13歳で近所の商人の娘と結婚します。カーストという身分制度も関係して、ガンジーも父と同じく宰相を目指し熱心に勉強を続けていました。
イギリスへ留学、弁護士になる
そして18歳の時に父親の友人からイギリス留学を勧められ、ロンドンのインナー・テンプル方学院に入学、法律を勉強します。
ここでもどの学生よりも熱心に勉強を続けたガンジーは21歳の時に弁護士の資格を取得しました。
これによりイギリス領のどこでも弁護士として働けるようになり、1893年に当時イギリス領であった南アフリカで弁護士として働き始めました。
その時の南アフリカには7万人を超えるインド人が仕事を求め移住していました。しかし白人からのひどい人種差別が蔓延しており、ガンジーも様々な嫌がらせを受けます。
差別をなくそうと立ち上がる
この状況を変えようとガンジーは立ち上がり、人権を守るための演説や新聞を通して南アフリカに住むインド人に対して広報活動を始めます。
多くのインド人が賛同し運動は拡大して行きました。ガンジーは逮捕される逆境にあいながらも、最終的にはインド人に対する差別的な規則を撤廃させることに成功しました。
1915年にインドに帰国したガンジーは南アフリカでの活躍から大歓迎で迎えられました。
ガンジーが最初に取り組んだのが身分制度の最下層にいる不可触民と呼ばれる人々を救うことからでした。
またインド全体としてイギリスからの独立の動きが大きくなる中、1918年イギリス政府は反乱を案じ、独立運動を押さえ込むための「ローラット方」と呼ばれる新しい法案を発表しました。
インド独立の父となる
この法案に猛反対したインド人たちはガンジーが提案した非暴力によるストライキを敢行します。
それからガンジーは何度も逮捕、投獄されながらもイギリス製品の不買運動や塩の行進などの非暴力、不服従を貫いた活動を続けました。
1945年第二次世界大戦が終わるとイギリスは戦勝国となりますが、戦争により大きく国力を失い、インド統治も困難な状況になっていきます。
これによりガンジーは再びインド全体に独立運動を号令し、1947年8月15日インドはイギリスからの独立を成し遂げました。
独立を果たしはものの現在も続く国内のイスラム教とヒンドゥー教の対立は根深く残りました。ヒンドゥー教のガンジーはこれを悲しみ、なんとか融和を試みます。
しかしこれがイスラム教への加担と一部の人々に捉えられ、過激派のヒンドゥー教徒に射殺されてしまいます。
それは独立からわずか半年後のことでした。ガンジーの死は国葬として営まれ、多くの人々に見守られる中、78歳の生涯を終えました。
マハトマ・ガンジーの名言
あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。
未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。
私は固く信じている。すべての善の行動は、最後は必ず実を結ぶ。
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。
非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい。
私は、どこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示しうるというのではなく、究極において正義が栄えるに違いないという断固たる信念を抱いているからである。
あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。
言葉から見た、ガンジーてこんな人!
正義を信じきる究極の楽観主義者
ガンジーの凄さを象徴するのは何と言っても非暴力で独立を成し遂げたことだと思います。
戦争は人類が誕生した時から一度もなくなったことがないと言われるくらい未だ答えのでない問題です。時に正義のために正当化される戦争。
しかし、戦争からは何も生まれないことは心のどこかでみんな知っている。それでも無くならないのがまた戦争です。
ガンジーは戦争の非生産さを誰よりも知っていたから、非暴力という手段を選択したのだと思います。すぐに殺され無意味な活動になることもありえたはずのその選択は、生半可な決断ではなかったでしょう。
それでも非暴力こそ独立の手段だと信じたガンジーは彼の言葉にもあるように究極の楽観主義者であると感じさせられました。
インド独立の父と呼ばれたガンジーは常に国や人々が良くなる道を考えた人でした。
マハトマ・ガンジーの名言からの学び。[良い人間関係は許すことから ]
許すことは人としての強さである
ガンジーの名言のなかで特に印象的だったのが「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。」という言葉でした。
ガンジーの非暴力はまず相手を許すことから始まります。
長年国を支配され、多くの理不尽な差別を受けてきた相手に恨みを持つことは、いわば普通の感情だと感じます。
しかしガンジーは相手に報復することなく自分たちの信じる道をただただ実直に主張し続けました。それは恨みを抱きそうな相手も同じ人間として尊重し許す、ガンジーの心の大きさと強さがありました。
人間関係に怒りや恨みごとなどマイナスな感情はつき物です。
しかし目には目を歯に歯をでは争いが大きくなるだけです。相手を受け入れ許すことが良い人間関係を築く上でとても大切で、それができる人こそ強い人なんだと、ガンジーの言葉に触れて感じさせられました。
許すことは人としての強さである。
相手を許し、非暴力でインドを独立へ導いたマハトマ・ガンジーからそれを学びました。