エレノア・ルーズベルトの名言からの学び。[人を尊重する生き方]

エレノア・ルーズベルト 画像偉人の名言

どんな関係においても大切なことは、何を受け取ったかではなく、何を与えたかです。

アメリカ32代目の大統領であるフランクリン・ルーズベルトの妻であるエレノア・ルーズベルト

ファーストレディとして大統領を支えながら、人権問題などに積極的に取り組み、大統領が亡くなった後も国連のアメリカ代表としても活躍し、世界人権宣言の起草にも大きな貢献を果たしました。

今回はそんなエレノア・ルーズベルトの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「人を尊重する生き方」について書いていきます。

エレノア・ルーズベルトてどんな人?

  • アメリカの富豪の家に生まれる
  • フランクリン・ルーズベルトとの結婚
  • ファーストレディとして存在感を発揮
  • 世界人権宣言の起草に貢献
アメリカの富豪の家に生まれる

エレノア・ルーズベルトは1884年にアメリカのニューヨークで生まれます。両親は2人とも富豪の名家出身者でとても裕福な家庭環境でした。

しかし両親はエレノアが10代の時に亡くなってしまいます。そのため彼女は祖母に引き取られ、育てられることとなります。

エレノアは15歳になると、イギリスのウィンブルドンにある女学校に入学します。その時の校長先生が女性の人権問題などに精通していたため、エレノアは彼女から大きな影響を受けたといいます。

フランクリン・ルーズベルトとの結婚

18歳でイギリスの学校を卒業すると、エレノアは故郷のニューヨークに戻り、マンハッタンにあるセツメント・ハウスという貧しい人たちを支援する社会事業施設で働くようになります。

そして21歳の時、人生の大きな転機となるフランクリン・ルーズベルトと結婚します。遠い親戚関係にあった2人、この時フランクリンは政界に進出し徐々に人気を得ていた時でした。

その後エレノアは6人の子どもを育てながら、主婦としてフランクリンを支えていきました。そんな夫フランクリンですが、1921年にポリオという病気を患ってしまい、政治活動をすることも難しい状況になってしまいます。

ファーストレディとして存在感を発揮

その時、エレノアは夫を励まし支えながら、ボランティアなどの社会活動にも積極的に携わるようになります。その後体調が回復したフランクリンは政治活動を再会し、1928年には州知事に当選、そして1932年には世界恐慌の逆境の中、大統領に就任することとなります。

これによってエレノアもファーストレディとなり、より一層夫を支える立場となりました。特にエレノアは人権や差別問題に対して提案やアドバイスするなど、大統領の政策に大きな影響を与えます。

そして1945年、第二次世界大戦の終結も目前にフランクリンが脳卒中により突然亡くなってしまいます。ファーストレディーとしての役目を終えたエレノアですが、新大統領に就任したトルーマンからアメリカの国連代表に任命されます。

世界人権宣言の起草に貢献

そして翌年開かれた国連総会では人権委員会の委員長に選出されると、自身が長年取り組んみ、世界的にも多くの問題を抱える人権問題に注力します。

そして国際的な権利章典の必要性を訴え、1948年の世界人権宣言の起草に大きな影響と貢献を果たしました。

69歳で国連の代表を退任したエレノアですが、その後も各国を訪問し講演会などの活動を精力的に行っていきました。そして1962年、78歳でその生涯を終えることとなります。

エレノア・ルーズベルトの言葉

エレノア・ルーズベルト イラスト

結局、基本的人権はどこに始まるかといえば、それは家のまわりからでしょう。

自分が役に立つと感じることは、おそらく私が経験した最大の喜びだったと思います。

暗闇を不安に思うより、一本のろうそくに火を灯しなさい。

平和について語るだけでは不十分です。信じなければならない。そして信じるだけでは不十分です。行動しなければならない。

希望を持つ方が希望を持たないよりも、試みる方が試みないよりも、より知的と言えます。できないと言っていては、何事も達成できません。

結局のところ、普遍的人権とはどこで始まるのでしょう。それは、ごく身近な小さな場所…世界のどんな地図でも見つけられないほど身近で小さな場所から始まるのです。けれども、それこそが人の生きている世界なのです。

あなたの心が正しいと感じることを行いなさい。行なえば非難されるでしょうが、行なわなければ、やはり非難されるのですから。

言葉から見た、エレノア・ルーズベルトてこんな人!

強く前向きにいきた人

子どもの時に両親をなくしたエレノア。金銭的には恵まれていたものの、その両親からはあまり愛情を注がれることはなかったといいます。その後祖母に引き取られますが、学校は単身イギリスでの生活をするなど、寂しい幼少期を過ごしてきたと推測できます。

そんな経験もあってか彼女は学校を卒業すると慈善団体で働たらくなど社会活動に取り組み、貧困なで苦しむ人たちの助けになろうとしました。

フランクリン・ルーズベルトと結婚し、大統領夫人になってからもその意思を保ち続け、ルーズベルト大統領の代名詞ともなったニューディール政策をはじめ、差別や人権問題などの政策に積極的に携わりました。

そしてその活動は国連へと移り、世界人権宣言へと繋がっていくのでした。

孤独とも取れる幼少期を生き、同じように辛い環境で苦しむ人を助けようとしたエレノア。

彼女の「暗闇を不安に思うより、一本のろうそくに火を灯しなさい。」という言葉には、そんなマイナスな環境でも常に未来を見据え、光となり進み続ける強さと明るさがありました。

強く、前向きにいきた人。それがエレノア・ルーズベルトという人でした。

エレノア・ルーズベルトの名言からの学び。[人を尊重する生き方]

家族を大切にする

今回のエレノア・ルーズベルトの名言で心に残ったのが「結局、基本的人権はどこに始まるかといえば、それは家のまわりからでしょう。」という言葉でした。

最近のニュースを見ても親が子どもを虐待し、子どもが親を殺めるような事件も当たり前のように起きていると感じます。またインターネットの進歩により、会ったこともない人同士が平気で誹謗中傷しあい、人を貶めている。そんなことも社会問題となって久しいでしょう。

人を傷つける。程度は違えど、そんな残忍性を人は誰しも持っていると思います。しかしそれを「思い」だけにとどめるのと、実際に「行動」として形にするのには大きな差があります

人を攻撃して傷つけること。人間という生物の枠組みとしてみると、それは一種の差別です。なぜならきっと自分は傷つけられたくないのにもかかわらず、それを他人に行ってしまうから。そこには自分と相手を分かつ優劣の差があるはずです。

ではなぜ平気で傷つけしてしまうのか。その一つが「尊重」の欠如だと、今回のエレノア・ルーズベルトの言葉に触れて感じさせられました。

人権問題は遠い国、途上国などにあるのではなく、常に身近にあるもの。それは一番最小なコミュニティである家族であったり、近い友人関係にこそあると認識させられました。

尊重とは文字通り、重く尊ぶという意味です。同じ喜怒哀楽の感情を持った人であること、1人の人として心から尊重し合う

それが血のつながっている家庭内や心許している関係でできないのであれば、他人にそれを向けるのは難しいのかもしれません。

当たり前に同じ人間として、その人格を大切にする。自分も他人からそうして欲しいのであれば、自ら先に実行する。

大きなことは小さなことの積み重ねでしかありません。自分を尊重し、家族を尊重し、身近な人を心から尊重することでその先の社会へと繋がっていくのかなと感じます。

まずは家族を大切にすること。そんな当たり前のことをエレノアの言葉は改めて深く教えてくれました。

生涯をとおして人権問題に取り組んだ活動家、エレノア・ルーズベルトの名言からそれを学びました。

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respect・・・尊重する

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