カーネル・サンダースの名言から学び。[幸せは与えるもの]

カーネルサンダース 画像世界の偉人の名言

最後に息を引き取るまで、夕暮れは暗闇にはなりません

日本人にも馴染み深いファストフード店、KFC(ケンタッキーフライドチキン)。その創業者がカーネル・サンダースです。

日本ではカーネルおじさんの愛称でも親しまれ、大体のケンタッキーの入り口には等身大のカーネルおじさん像が立っています。真っ白なスーツと、白髪、白ひげがトレードマーク。

そして現在は当たり前となっているフランチャイズビジネスを世界で初めて考案し、行った人物としても有名です。

そんなカーネル・サンダースの名言を紹介しその言葉たちからの学びである「幸せは与えるもの」について書いていきます。

カーネル・サンダースてどんな人?

  • 10歳から農場で働く
  • 40以上の仕事を経験
  • レストランを失い、フランチャイズを始める
  • 諦めない心により、世界中にケンタッキーが展開される
10歳から農場で働く

カーネル・サンダースは1890年にアメリカのインディアナ州で生まれました。幼い時に父親が亡くなったために、母親は工場で働きサンダースや弟妹を育てました。

サンダースはそんな母のために6歳から料理を作るようになり、母や弟妹が自分のつくった料理を喜んでくれるものをみて「おいしいもので人を幸せにしたい」と強く感じたといいます。。そしてその時の感動がのちのケンタッキーの理念となっていきます。

料理だけでなく、10歳になってからは農場で働き家計を助けました。学校は14歳の時に辞め、その後は独学で勉強しながら働き詰めの毎日をおくります。16歳の時には年齢を偽って軍隊に入り、キューバに滞在していました。

40以上の仕事を経験

1年ほどで軍を除隊した後は修理工や保険外交員、セールスマンなど40以上の仕事を転々としました。様々な職業を経験したサンダースは石油会社の支配人に勧められ、30代後半にガソリンスタンド経営を始めます

お客さんのために心をこめ一生懸命サービスすることが、一番の利益を生む。という理念のもと、車の点検や窓拭きなど様々なサービスを提供しました。しかし時代は世界恐慌による大不況でお店の経営は苦しく、最後には倒産してしまいます。

翌年の1930年、40歳となったサンダースは別の場所で再びガソリンスタンドを開業します。そしてガソリンスタンドの物置を改装し6席ほどの小さなカフェを始めました。

レストランを失い、フランチャイズを始める

国道に面したこのお店はすぐに評判となり、多くの人が訪れました。そしてこのお店のイチオシの商品がフライドチキンでした。サンダースは11種類のハーブとスパイスを組み合わせ、お客さんに喜んでもらおうと味にとことんこだわりました。そしてこのレシピは現在のケンタッキーの味に引き継がれています

お客さんが増えるにつれお店の規模も拡大し、1937年には147席を備えるレストランに成長しました。

しかし1955年に近くに高速道路が造られると、国道は人通りが悪くなり、サンダースのお店もお客さんが激減してしまいます。借金も膨らみサンダースはレストランを手放す決断を下します。

この時サンダースは65歳。資金もほとんど手元にない状況から、彼は「フライドチキンの調理法を教え、その代わりに売れたチキン1つにつき5セント受けとる」といういわゆるフランチャイズビジネスを世界で初めて考案し、再起をはかります。

諦めない心により、世界中にケンタッキーが展開される

ワゴン車に自慢のフライドチキンを積み込み、どぶ板営業で各地を回りました。しかし馴染みのないフランチャイズを受け入れてくれる場所はなかなかなく、1009もの会社から門前払いを受けました

それでも諦めないサンダースは、ついに1010社目で初めて契約を獲得し、1960年にはアメリカとカナダで400店舗を超えるフランチャイズ店を作り上げていきました。

こうして1970年には日本にも進出したケンタッキーフライドチキンは、現在、世界各地に2万店舗を展開する巨大企業へと成長しました。

サンダースは74歳で経営から身を引くも、味の品質を保つために世界中の店舗を訪ねて回るなど精力的に活動していました。そして1980年に90歳でその生涯を終えることとなります。

カーネル・サンダースの名言

カーネルサンダース イラスト

どんな失敗も、光明への踏み石となりうることを忘れてはならない

人を幸せにすることに引退はない

何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含め、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない

私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない

自分自身に正直であれば、自分が良い仕事をしているか、そうでないかわかるはずです

私にはたった二つのルールしかなかった。できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ。これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ

最も奉仕する者が最大の利益を得る。我が身の前に他人に奉仕せよ

言葉から見た、カーネル・サンダースてこんな人!

心から思い、信じた人

今まで紹介してきた偉人たちもそうですが、サンダースの人生も波乱万丈そのものでした。

学校を辞め10代から働き、様々な仕事を経験し起業するも経営難で会社は倒産。再び起業したレストランが繁盛するも、お店が火事で全焼してしまうなど、波の激しい人生でした。

そして資金難からお店を手放し、ほとんど手元にお金もない状況から、65歳でフライドチキンのフランチャイズ化を目指しました。しかしはじめは相手にもしてもらえず、1000を超える営業を繰り返し、ようやく最初の契約を掴み取りました。

彼の人生を振り返ると諦めてしまう状況は何度もあっただろうと思います。しかしサンダースはその逆境の度ごとに前に進む道を選びました。

失敗をすると次なる失敗を想像し、足がすくんでしまってもおかしくない中、しかも65歳という高齢でも挑戦できたのはサンダースが自分を信じ抜いていたからでしょう。

それは彼の「私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない」という言葉からも感じることができます。

心から思い信じた人。それがカーネル・サンダースという人でした。

カーネル・サンダースの名言から学び。[幸せは与えるもの]

幸せにすることを諦めない

今回のカーネルサンダースの名言の中で印象的だったのが、「人を幸せにすることに引退はない」という言葉でした。

何度も失敗を経験してきたカーネルサンダース。母親を気遣い料理を始めた時、ガソリンスタンドを経営した時、レストランを開いた時、いずれの出来事で共通していたのは、自分のできることで人を喜ばせるという信念を持っていたことでした。

ガソリンスタンドでは車の点検や窓拭きをサービスし、レストランでは「私の料理がもし美味しくなかったら、お代はいりません」と伝え、客席をみてまわる心配りを忘れませんでした。

65歳という高齢で新たな挑戦を始めたのも、この「人を幸せにする」という強い信念から発せられた行動だったのでしょう。その強い信念は世界中に広がり、サンダースが亡くなった現在でもその味で多くの人を喜ばせています。

人はついつい年齢を言い訳に行動をためらいがちですが、サンダースが言うように人を喜ばせ、幸せにすることに終わりはなく、どんな状況、環境でも自分ができることを探し行動することが大切なのだと、サンダースの言葉に触れて感じさせられました。

幸せにすることを諦めない

いくつになっても幸せを届け続けたKFCの創業者、カーネル・サンダースの名言からそれを学びました。

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