チャップリンの名言からの学び。[笑いが悲しみを変える]

チャップリン 画像 世界の偉人の名言

笑いと涙には憎しみと恐怖への解毒剤になる力があると私は信じている。

俳優として監督として脚本家として、数々のコメディ映画を作ったチャーリーチャップリン

チャップリンの作品はただ笑えるコメディだけでなく、社会風刺をともなった作品も多く、戦時中という時代的にも様々な人々の心を惹きつけました。

今日はそんな喜劇王チャップリンの名言を紹介し、その言葉たちからの学びである「笑いが悲しみを変える」について書いていきます。

チャップリンてどんな人?

  • 5歳で初舞台に立ち、孤児院で育つ
  • コメディアンとして開花
  • 完璧主義な映画づくり
  • 笑いで反戦平和メッセージ
5歳で初舞台に立ち、孤児院で育つ

チャップリンは1889年、イギリスの首都ロンドンで生まれます。父、母ともに劇場俳優・歌手として活動していました。しかし1歳の時に両親は離婚し、母親のもとで育てられることになります。

チャップリンが5歳のある日、母が舞台で喉をつぶしてしまう事件がありました。チャップリンはよく舞台裏で母の友人たちを芸で笑わせていたこともあり、それを見ていた支配人が急きょ彼を舞台に立たせます。そこでチャップリンは歌を披露し、そして大喝采をあびました。これがチャップリンの初舞台でした。

チャップリンは10歳で劇団に入り、演技の練習を始めます。しかし、その後も母親の喉は回復せず舞台も辞め、ついには精神異常のため施設に入ることになってしまいます。チャップリンは孤児院などで暮らしながら、生きるために床屋やガラス職人などの仕事をして、その日その日を生きるような生活をしていました。

コメディアンとして開花

それでも劇団を転々としながら演技の技術を磨き、その後アメリカやカナダを巡業するまでになります。その時にアメリカの映画プロデューサーから高く評価され、キーストン・スタジオに入社することが決まります。

そして翌年の1914年に「成功争ひ」で映画デビューを果たしました。プロデューサーから面白い格好を要求されたチャップリンは、その後トレードマークになる山高帽、ステッキ、チョビ髭のスタイルで出演し、これ以降の作品でもこのスタイルで出演を続けました。

たちまち人気俳優として活躍しはじめたチャップリンは、出演だけでなく監督脚本家としても活動の場を広げていきます。1916年にはアメリカ大統領の年俸の7倍ともいわれる移籍金でミューチュアル社に移りました。この時に運転手として雇われたのが日本人の高野虎市さんで、彼の誠実な働きぶりに感動しチャップリンは親日家になったと言われています。

完璧主義な映画づくり

1918年には、のちにワーナー・ブラザースと合併するファースト・ナショナル社に移籍し、また自身のスタジオも設立、時間と労力を惜しまず作品作りに取り組める環境を作ります。

チャップリンは完璧主義として有名でもあり、「街の灯」という映画では3分間の出会いだけのシーンに342回のNGを出し、このシーンを撮影するだけで、1年以上の時間を要したというエピーソードもあります。

そんなこだわり抜かれたチャップリンの映画は人々を惹きつけ、「黄金狂時代」や「サーカス」など、制作した映画はヒットを続ます。サーカスはその年の第一回アカデミー賞で特別賞を受賞しました。

笑いで反戦平和メッセージ

その後は資本主義を批判した「モダン・タイムス」とドイツのナチス党を批判した「独裁者」などの政治メッセージの強い作品を次々と発表し、その影響力の高さから様々な議論を呼びました。

反戦平和メッセージによるアメリカ軍事産業への影響や、資本主義批判により、共産主義者のレッテレルをはられ、チャップリンはアメリカで危険人物とされてしまいます。そして63歳の時に事実上のアメリカ追放命令を受け、スイスへ移住することとなりました。

晩年はスイスで家族とともに過ごしたチャップリン。戦後から月日は流れ、83歳の時、ハリウッドは謝罪の意を込めてチャップリンをアカデミー賞名誉賞に選出し、20年ぶりにアメリカに行くことになります。

授賞式ではその場にいた全員がスタンディングオベーションで彼を迎え、その拍手は5分間も続いたと言われています。そんな波乱の人生を生きたチャップリンは88歳で息を引き取りました。

チャップリンのことば

チャップリン イラスト

笑いとはすなわち反抗精神である。

一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。

下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。

必要なのは知識でなく思いやりである。思いやりがなければ残るのは暴力だけである。心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。

私の苦痛が、誰かが笑うきっかけになるかもしれない。しかし、私の笑いが、誰かの苦痛のきっかけになることだけは絶対にあってはならない。

私は悲劇を愛する。悲劇の底にはなにかしら美しいものがあるからこそ、愛するのだ。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。

言葉から見た、チャップリンてこんな人!

悲劇を喜劇に変えた人

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」という彼の言葉にもあるように、チャップリンの人生は波乱万丈でした。

食べるものにも困るぐらいどん底の幼少期を経験し、それでも己の体一つで世界的なスターに登りつめました。

そんな苦しい経験をプラスに変えてきた自身の体験に裏打ちされるように、チャップリンの言葉には悲劇を乗り越えるだけでなく、それを受け入れ「笑い」「喜劇」へと変えることができる人間としての強さに溢れていました

悲劇を喜劇に変えた人。それが喜劇王チャップリンでした。

チャップリンの名言からの学び。[笑いが悲しみを変える]

悲しみの肯定から笑いが始まる

今回のチャップリンの名言で印象的だったのが、「私は悲劇を愛する。悲劇の底にはなにかしら美しいものがあるからこそ、愛するのだ。」という言葉でした。

大小あれ、人間は誰しも「悲しみ」を経験します。その悲しみを愛するというのは、自分に置き換えて想像しても、簡単なことではないと感じさせられます。

チャップリンがここまで世界的に有名なのは、なんと言ってもナチス全盛期の同時代にそれを皮肉った「独裁者」をつくったことだと思います。チャップリンはこの映画まで音の出ないサイレントムービー、パントマイムにこだわっていました。しかし初めてこの独裁者という作品で、最後の6分間のスピーチで世界に向けたメッセージを肉声に込めました。

悲惨な現実を哀れに、かわいそうに見せるのではなく、彼は娯楽好きな人々、より大衆に届くように喜劇を用いたのでした。そしてそれができるのは自分しかいないという使命感を持って。実際のこの作品は自身の最大のヒット作にもなりました。

悲しみを悲しみのままではなく、それを受け止め、笑えるものに昇華させる。それはチャップリン自身が悲劇をも愛することができた深い愛情を持っていたからだと、彼のことばを見て感じさせられました。

悲しみの肯定から笑いが始まる。

悲劇を笑いに変えた喜劇王チャップリンの名言からそれを学びました。

今日の英語

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tragedy・・・・悲劇

comedy・・・・喜劇

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